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死ぬための準備
私は乳がんで遠隔転移があります。現在、抗がん剤で治療中の状態です。今後病状はどうなるかわかりませんが、ある程度、死ぬための準備をしておかないといけないと考えています。 特に同じような状況にいらっしゃる方・ご家族の皆様へ、どのような準備をされていますか?具体的に教えていただければ有難いです。 死を意識しながらも、どんな日常生活をおくっていらっしゃるかを知りたいです。かなり漠然とした質問で申し訳ありません。 私には不安がたくさんあります。もし私が自分の母より先に旅立つとなれば実母の面倒は、どうすればいいのか、またそれをどのようにみんなで話したか、もし治療法が他になくなった場合に、緩和ケア病棟に入れるのかどうか、入れるとしてもどこに入ればいいのか等を含めて皆様のお考えや具体的な生活、さらには死への恐怖感を克服するための精神力のつけ方・ガンと共に歩むための方法等がもしあれば、教えてください。お願いします。
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- tiko10
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同じ病気です。スキルスで左乳房全摘・リンパ節19個を手術でとりました。先月医師より10年生きるのは無理だと言われました。(年金もらえないの・・・?)3度抗がん剤を打ちましたが、こんなことでは体を悪くする(あくまでも私の主観です)と思い、今後の治療を受けないと決断。病院行きをやめ、只今身辺の整理をしながら、薬のない生活に突入したところです。まだまだこれからいろいろと考えて行くわけですが、まず(1)仕事を減らし、時間を作りました。(2)病気の日記をつける。(3)生命保険の整理(4)自分のお金を1つの銀行にまとめる(5)死後子供が困らないように、必要なことは1冊のノートにすべて書き込んでおく(6)やりたいこと、行きたいところを羅列して元気なうちに実行する(7)葬儀手順を作成(辛気くさい曲は嫌、私の好きな曲をかけてもらう)(8)自作の骨壺を作る(9)やりかけて放っていることを整理する(10)仕事を譲る準備(11)アルバムの整理(放置している写真をまとめておく)(12)大好きな本を読む(13)大切なものだけ残しサークルや役員などをやめる(14)同窓会を開く(15)遺言状の作成というようなことを考えています。 この病気になってから、涙がたくさん出てきます。泣けてきて眠れないことが多くなりました。最近同じ病気で身近な方がなくなり、その凄まじい最期を知ってかなりショックでした。でも恐怖は今のところありません。経験がなく考えてもわからないので、目の前にあるやるべきことをするだけです。仕事が忙しいのはありがたいことです。 この病気になってよかったと思います。私は相手優先の人間ですから相手のことばかり考えてきましたが、入院して手術した時、自分が主体であることに驚き、不思議な気持ちになりました。嬉しくもありました。もしかしたら夫より先に死ねるかもしれません。姑よりも。これほど自分のことを考える時間をくれた病気に感謝しています。不安を与えないよう母と姑には知らせていませんが、夫にもあまりよけいなことは言わないように心がけています。(自営業のため私の場合、夫はかなりのストレスとなっています。)どうせ本当のことは当人しかわかりません。無理をしないようになりました。 まずは、自分のことをゆっくり考えてはいかがですか。自分はどんな人間なのか、どんなことを思っているのか、1つのテーマを決めて思うことをただただノートに書き出していくのです。残すためではなく自分を知るために。たとえば、私の好きな色、私の指のこと、私の特技、私の車、空を見て思うこと、庭先の花のこと、ペットのこと、お金について・・・などなど。何でもいいのです。それで、「あなたにとってのストレスになっていることと楽しいことの2つを書き出し、前者をやめて楽しいことをする」のはどうでしょう。 死ぬための準備には「すべきこと」と「したいこと」がありますよね。 どっちも大事だけど、できれば私は「したいこと」を優先したい。 私のお葬式の最後は「ケセラ・セラ」を流してもらうつもりです。「後のことは知りません。なるようになるでしょ」 長々とつたない文章を読んでくださってありがとうございました。 ・・と、実はこの私も「死ぬ前にしておくべきこと」を探してここに来たのですが。
- snow-2
- ベストアンサー率60% (3/5)
よく頑張っておられますね。私は、末期癌の患者さんの緩和ケアをやっている医師です。転移があれば、いろんな心づもりはしておいた方がいいですね。でも、それは、あなただけの問題ではありません。私だって、いつ事故で死んでしまうかもしれないのです。命は、今あるけど、すべての人にとって永遠ではありません。そして、その時間は本人が決めるものでもなく、ましてや医師が決めるものでもありません。末期の癌の患者さんを看取る時にはいろんな問題が浮上します。それまでの人生の総まとめですから当然です。その時に悔いることがなるべく少ないようにしておくことでしょうか?家族のトラブルの解決、残される遺族のそれから生きて行くための準備、いろいろです。だけど、一番してほしいのは、周りの家族への感謝の気持ちを「声と言葉」にして伝えておいてほしいと言うことです。若い頃、夫婦喧嘩をしても、終わりよければ全てよし!です。親御さんが御健在なら、「産んでくれてありがとう、お父さんお母さんの子供に生まれて良かった」と、ご主人には「結婚して今まで一緒に暮らして幸せだった」と、子供には「生まれてきてくれてありがとう、あなたたちの母親であることを誇りに思う」と、あなたのために泣いてくれるであろう人たちのために感謝の言葉を伝えておいてほしい。「もし、地球が1週間後に滅びる」としたら、何をしておきたいかを考えると、答えは出て来ると思います。私は、職業柄、父の臨終には間に合いませんでしたし、看病もあまりできませんでした。だから、ずっと、前から話してました。「お父さんとお母さんの子供で良かった、産んでくれてありがとう、あまり裕福ではなかったけど、その時その時で精一杯のことをやってくれたのはわかってるから、感謝している。どちらかが先に亡くなったら、私がちゃんと面倒を見るから心配しないで。」ともう、これきり生きてる内に会えないかもしれないからと、結局5-6回程話したでしょうか。これから、治療もうまくいかずきつくなることがあるかもしれません。それから、この世からいなくなるのは恐いし寂しいでしょう。でも、あなたのことをご家族は忘れません。あなたが生きてきた証は、子から孫へと引き継がれ、続いて行くのです。あなたが生まれて生きてきた価値は十分あるのです。最後はきついのではないかと不安でしょう。でも、今は緩和ケアも浸透してます。大丈夫です。家族で、病気の話をタブー視しないことです。みんながあまりに気を使い過ぎると、話し辛い。いい話ではないから、つい口を噤んでしまう。その気持ちもわかりますが、家族の中では秘密をもたず、何でも話すと、不信感もなくわだかまりも消えて行きます。いろんな機能が衰えて行く時に、無くなった機能を数えるのではなく、まだできる機能があることに感謝して、朝、目が醒めて、今日の日を迎えられたことを喜んで下さい。そして、あなたの命が消えるまでは、あなたに何らかの仕事があるのだと感じて下さい。きつい姿でも、家族に見せることによって、命の尊さ、健康の有り難さを、身をもって教えているのですから。そして、「苦しくても頑張って、自分達のために生きてくれた」と残される家族が納得して見送れるです。しばらくは嘆き悲しまれるでしょう。でも、きっと、あなたのために、「元気で笑いながら生きて行こう」よ思える日が必ずきます。きっとです。私も、あなたの名前は存じませんが、この質問とあなたを忘れることはないでしょう。あなたが少しでも良い人生の幕引きができるように応援してます。
拝読しました。 まず、ご回復を心から祈念します。 死ぬ準備という言葉を言えるあなたの冷静さに畏敬の念を覚えました。 それで、これが正しい選択というのはない局面に立たれていらっしゃると。こんなことをその立場になったこともない私が言う資格はないと思います。ただ、父が3年前に胃ガンで他界したときのお話を簡単に紹介させていただきたく存じます。 父は最後まで生にこだわった人でした。7月に余命3ヶ月を宣告されたあとも、俺はまた来年の桜を見るんだと。言うもんですから、長男の私もあれこれ考えた訳です。 もしかしたらまだ道が残されているかもしれないと思う一方で、現実的なことも考えるのです。ホスピスも当然検討しました。ただ来年の桜をあきらめない人にホスピスとは、最後まで言い出せませんでした。 医師の宣告どおり3ヶ月後にはなくなる訳ですが、死の一週間ほど前でしたでしょうか、医師が私に話があるというので、行ってみますと、悪い予感はしていたのですが、とうとう引導を渡されました。 医師は、本人には言わないわけです。結局私が父へ死の予告を告げる役目を負うことになりました。 父には率直に伝えました。私は泣いてしまいましたが、父はその私をなだめるのです。 「もう、考えんでもいい」と。 父は私にもそうとは気づかせぬよう、しかし少しずつ死への心の準備をしていたのです。 胃ガンというのは、多くの場合、最後まで意識がハッキリしていることが多いようです。 私はほかのガンのことを多くは知りません。ですが、この意識という問題は全てのガンで問題になりうるのです。 父の場合でも、痛みはほとんどなかったのですが、高熱に悩まされまして、そこで意識を平常に保つか、言い換えれば薬で楽にするかどうかが切実な問題としてあがってきたのですが、父は頑なにこれを拒絶しましたので、途中使うこともありましたが、意識を最後まで保って亡くなりました。 これでよかったかは分かりません。父の場合は以上のようでした。一方、ガンが脳に転移した場合等、父のケースとは違った形で意識の問題が持ち上がってくることもあるでしょう。 「死ぬための準備」ということで言えば、人はそれぞれ違った人生観、世界観があるので、人がとやかく言うことではありません。あなたの選択によるところがほとんどでしょう。 ただ、先ほどからの意識という点に限って言えば、意識レベルがある程度のレベルにないと、今後のことを検討することが困難になることも予想されます。 すみません、最後のほうは非常に冷酷なことを述べてしましました。 繰り返しになりますが、ご快復を心から祈念しております。
- ozisan
- ベストアンサー率11% (154/1339)
不安を煽るようですが・・・ 知人が胃がんで入院していました。 とりあえず痛みをとる治療法なのですが、かなりきつい薬のようでした。 http://homepage3.nifty.com/vories/kanwa.htm 意識がはっきりしている間に、今の不安を話されるべきだと思います。 ご家族の方が、しっかり後の事をやってくれます。 手塚治虫氏のブッダと言う作品のなかに 「死は、輪廻転生の為の一瞬の通過点だ。何も恐れる事はない。」 「この世に終点などない。必ずどこかにつながっている。」 と言うような記述があったと思います。
お礼
ozisan様 ご回答、ありがとうございます。お返事遅くなってしまい大変申し訳ないことです。参考url、拝見しました。緩和ケアについてわかりやすく説明してくれてありましたね。残念ながら滋賀は自宅からは遠いので、自宅近くの緩和ケア病棟のある病院を探し、相談に行ってみます。行くタイミングが難しいのですが・・・・((((((^_^;) 意識のある今のうちに、家族に不安を話していきます。実母がもう85歳になり、私の病気のことは伏せてあるので、伏せたままにしておくのがいいのかどうか・・・それも迷います。いいアドバイスがあればお願いします。 ブッダ私も読みました。いい作品ですよね。勇気付けていただき、ありがとうございます!!
昨日、NHK「ET-V」で緩和ケアについての特集が、ありました。 緩和ケアは、ほかに治療法が、なくなったときの為ではなく 治療の一環として精神的、身体的に楽にするものだそうです。 東京の有明病院(たしか)を紹介していましたが、他にもあると思います。希望を捨てないでください。 私の母は、胃がんでした。立派に言い残していきましたが、そんなことより生きていてほしかった。
お礼
早速のご回答をありがとうございます。 お返事が遅れてしまい申し訳ありませんでした。 緩和ケアとは、治療の一環ということだったのですね。ありがとうございます。 以下、失礼を承知でご質問させていただきます。 zxcv1234様のお母様について、最期は一般病院に、はいられていたのでしょうか?ご自宅ないしはホスピスまたは緩和ケア病棟に、はいられていたのでしょうか?痛みとかそれに伴う苦しみがない状態で私は最期を迎えたい・・・それさえ叶えば「死に場所(?)」は問わないのですが、そんな願いを叶えられやすい場所って一体どこになるのでしょうか?・・・悩みばかりですみません。 もしお母様について思い出されzxcv1234様が心痛まれるようであれば、ご回答いりませんので・・本当に申し訳ありません。
お礼
noname#20062様 ご回答ありがとうございます。お礼が遅れてしまい大変申し訳ないことです。 お父様のことを思い出されてお辛いことでしたでしょう。 意識のあるうちに、自らの意思をきちんと家族に伝え協力してもらう必要があるということですね。ありがとうございます。