- ベストアンサー
“もの”という“もの”
1. 生けとし生けるもの(という私の表現癖)は間違いで、生けとし生きるものが正しいでしょうか? 2. こういう場合に、“もの”は漢字(“者”か“物”しかないようですが)で表記することは不適当でしょうか? 3. “もの”寂しい、“もの”がなしい。という表現があります。 こういう場合の“もの”とは、普通“なんとなく”という意味にとりますが、正確にはどういう意味でしょうか? “1.”が存在体であれば、ここの“もの”とは一体、何なのでしょうか?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「もの」という概念はなかなか難しく、和語では「物」と「者」両方におなじく「もの」があてられています。 これは要するに当て字であって元来和語では「物」と「者」に共通する概念を見いだしていた(いる)という事に他ならないでしょう。 これは今の常識「物質は精神と対極のもの」という考え方と反しているので見逃しがち、あるいは単に同じ音であって別の言葉じゃないかというように思われがちなのですが、要するに昔の日本人は物に精神が無いとは思っていなかったというあらわれでしょう。 モノという概念はおそらく「存在する個」というような概念なのではないかと思います。そこに精神が宿ると。 物の数に入らない、とはモノとして認めてもらえない数えてもらえないほど小さいつまらない存在でしょう。 で「ものがなしい」「ものさびしい」ですが、今日では「なんとなく」で良いように思いますが、前記の説に沿って深読みするならば人間の個としての存在を自覚させられるようなそんな状態ではないでしょうか。 人間もまたモノ(生き物)であって寿命がくればこの世から消え去ってしまう。そういう一個のモノでしかない。そういう時間や空間の中での人間の存在に気がつく瞬間に何か感慨というか感動のようなものを感じる事が往々にしてあるのです。 そういうわけで2の答えとしては広い意味を持たせるためにはひらがなの「もの」が適当だと思いますが、どの字を当てるのか選択は文学的なものというか広く考えていいように思います。 以上自説の開陳に過ぎませんが。ご容赦ください。
その他の回答 (5)
> 【「と」「し」強めの助詞だということですです】動詞の連用形というのは、教えていただきました。私はそれはまだ同じ見解にはなっていません。 ◎Paik答 国語辞書に載っていますが、これで納得できないのなら、一から国語の勉強してください。 【いき とし 生(い)けるもの】-日本国語大辞典 (「し」は強めの助詞。「いき」は四段動詞「いく(生)」の連用形、「いけ」は命令形)この世に生きているすべてのもの。あらゆる生物。 >【2.すべての生き物だから、人も動植物もあるよ」は、その通りですね。 【だから「もの」がよろしい】は、だから私も漢字表示はしていませんが。 それで漢字の“者”、“物”にならないところの“もの”なるものの正体がなんだろうという話です。 > 【3.元は物体の「もの」です】は、まだ同じ見解には到りません。 【「物の怪(もののけ)」】の“もの”は、“物”というのとは異なるように存じます。 ◎Paik答 「もの」という言葉は、形のあるものから無いものまで幅広く使われていますが、もとは形ある物の総称「もの」で、そこから形の無い対象も表すようになり、形のあるようなないようなもの、超自然的な恐ろしいもの「物の怪」など、対象を明示せず漠然と言うもの、ものがなしいのもの、などのように発展してきました。 >◆私の質問は “生けとし生けるもの”という書き方ですが、PaikSeungさんの先のご回答では、「生きとし生けるもの」と修正されています。これは賛成できないと存じました。 >◆このごろなにか歌かなんかで、“生けとし生きるもの”という言い方が少し有名なようです。 しかしこれはやはり私は“生けとし生けるもの”が正しいのではないかと存じまして、皆様の知見を伺っております。 ◎Paik答 “生けとし生けるもの”が、自分は正しいと言ったって、辞書をはじめ多くの書物が、「生きとし生けるもの」になっています。 “生けとし生けるもの”が正しくて、「生きとし生けるもの」が間違いだという理由を提示しないといけません。 なぜ「生けとし」でないといけないのか、理由がないと、質問者様がただ信じ込んでいるということであって全く科学的でありません。 >◆この後のご回答であるかもしれませんが、“ものさびし”、“ものがなし”などに対置的なフレーズ表現はご存じのように、“うらさびし”、“うらがなし”です。 “もの”は心の外に現われ、外の有様、情況であるに対し、“うら”は心のそこはかとなく醸し出され影の成長するようになってくる状況です。 ◎Paik答 結構だと思います。この結構はよいという意味です。 それ以降はオカルト的な方向へ発展しそうで(国語カテゴリーの範疇を逸脱すると困りますので)もうやめます。 以前質問者様は「東京」の旧仮名遣いを「とふけふ」、「幼稚園」を「やふちえん」だとおっしゃったことがありました。 思い込みはいけません。 私は細細しい心情を知ってるつもりです。 思い込みはいけません。 お礼ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
「生きとし生ける物」が正しい言い方です。 いきーとーしーいけるーもの (ト・シは共に強調の助詞)世に生きているほどのすべてのもの。あらゆる生物 辞書には{物}で表記されています。 もの寂しい、もの悲しい>のものは接頭辞で状態を表す名詞・形容詞の語頭にそえて、 何とはなしにそうである、の意味を表す。 もの静かな人 もの足りない もの珍しい もの笑いの種
お礼
有り難うございます。 cxe28284さんもPaikSeungさん同様に、「生きとし生ける物」が正しい言い方であるというご見識なんですね。 PaikSeungさんに失礼なコメントを書いてしまいました。 正しい言い方が判ってとても嬉しいです。 有り難う御座いました。
#2です。 質問者様の御礼の内容がよくわかりません。 >私も其処までは理解していたのですが どこまでですか。私の回答については全部知っていることであった、という意味ですか。 >PaikSeungさんは日本語の先生だと存じますが、 違います。 再質問、反論あるならば、具体的に整理してもう一度お礼欄に書いてください。
お礼
PaikSeungさんありがとう。 どこまでですか。私の回答については全部知っていることであった、という意味ですか。 【「と」「し」強めの助詞だということですです】動詞の連用形というのは、教えていただきました。私はそれはまだ同じ見解にはなっていません。 【2.すべての生き物だから、人も動植物もあるよ」は、その通りですね。 【だから「もの」がよろしい】は、だから私も漢字表示はしていませんが。 それで漢字の“者”、“物”にならないところの“もの”なるものの正体がなんだろうという話です。 【3.元は物体の「もの」です】は、まだ同じ見解には到りません。 【「物の怪(もののけ)」】の“もの”は、“物”というのとは異なるように存じます。 ◆私の質問は “生けとし生けるもの”という書き方ですが、PaikSeungさんの先のご回答では、「生きとし生けるもの」と修正されています。これは賛成できないと存じました。 ◆このごろなにか歌かなんかで、“生けとし生きるもの”という言い方が少し有名なようです。 しかしこれはやはり私は“生けとし生けるもの”が正しいのではないかと存じまして、皆様の知見を伺っております。 ◆この後のご回答であるかもしれませんが、“ものさびし”、“ものがなし”などに対置的なフレーズ表現はご存じのように、“うらさびし”、“うらがなし”です。 “もの”は心の外に現われ、外の有様、情況であるに対し、“うら”は心のそこはかとなく醸し出され影の成長するようになってくる状況です。 そういう“もの”は物体の物という漢字も者という漢字も宛てられません。そういうようなことに敷衍して欲しくて質問を出しました。 反論はありません。そういうご見解だという理解を致しました。日本語がたいへんお上手であり、該博なご知見をお持ちで、きっと祖国では日本語の先生だと存じましたが、それは失礼しました。 それにしてもお上手な日本語と該博なお知識はとても生半可な日本人は足元にも及びません。 更なる質問は特にありません。まことに有り難う御座いました。どうぞ日本人の細々しい心情のご理解が更に深まりますように。
1.「生きとし生けるもの」が正解。「と」「し」は意味を強める助詞です。 だから「生き」という動詞連用形名詞でないと変です。 2.すべての生き物だから、人も動植物もあるよ。だから「もの」がよろしい。 3.元は物体の「もの」です。「物の怪(もののけ)」の「もの」と同じ。 「もののけ」は存在物かな? 「ものさびしい」の「もの」は「もののけ」の「もの」よりも存在感がありません。 「けはい」のようなものです。 スピリチュアルなものです。
お礼
有り難う御座います。 私も其処までは理解していたのですが、「もののけ」は存在性を持つ場合と、そうでない場合がありますね。 「ものさびしい」などの「もの」接頭語的な使い方ですが、その由縁や淵源が知りたいのです。 気配はむしろ、外在てきですが、「ものさびしい」などの場合はむしろ、内心てきなそこはかとないものについて使われますね。 スピリチュアルは日本語では霊的ということばや幽界的とかで言い換えることができるでしょうが、ものさびしい」の「もの」は「スピリチュアル」でいうような価値付着的な観念がないように思われます。 何か自然に気持ちがなんとなく、っていうようなもののようでして。 ありがとうございました。 多分、お国ではこういう感情やことばに該当するものはないかもしれませんね。 PaikSeungさんは日本語の先生だと存じますが、先生方はどのようなご知見があるでしょうね。
補足
PaikSeungさん、仰せのように【生きとし生ける】が正解のようですね。 臨済・黄檗でもそのように使っていますね。 それにしてもPaikSeungさんは素晴らしいお方ですね。有り難う御座いました。
- jasko
- ベストアンサー率24% (478/1966)
人間をさす場合は者をあてます。 それ以外の生命体には物をあてます。生き物、すなわち生物は物です。 ですが、生き物という言葉があるわけですから、生きていない物もあります。 そもそも生命体でないものにも物を使います。買い物とか物置とか。 では「もの」は形のあるもの、物体なのかというとそれだけではありません。 さびしいものを感じる・・・・・・これは気持ちを表していますから、形のあるものではありません。 ものは物理的に存在している事象以外のモノにまで使える言葉です。 ナントナクとらえどころないモノまで対象として捕らえてしまう便利であいまいな言葉なのだと思います。 だから責めて物体として存在が認められるものには漢字の物や者をあて、 それ以外は平仮名で表記しているのでしょう。
お礼
私も仰せのとおりと存じます。 国語と日本人の国語生活の中で、更なるご知見を求めて質問申し上げました。 有り難う御座いました。
お礼
有り難う御座います。 最高のお話です。 地上的に存在する個的object(対象客体)というような観念を担っている語なんですね。 私たちも付喪神などや、便所の神様とかかまど神様などと、あらゆるものやあらゆるところでの神様に畏敬の挙措を教えられました。 私もはしなくも、ヒンドゥの教えを40年ちょいと精進し勉強していますが、そういう個的存在観念とそこはかとかなく普遍的な全存在観念というところは、とても共通しています。 中国からの文物も当然流入してきましたでしょうが、何か根底は南インドの方々のお気持ちととても近いんですね。 岩波新書で大野普さんの日本語の淵源を読んだことがありますが、今更ながらその勘的説に頷くものです。 すくなくとも、漢字での“物”ではなさそうですね。有り難う御座いました。