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継ぎ接ぎの纏まり
日本では、諸宗教の儀式がそれ等の宗教から切り離されて混ざってしまっていますが、元の宗派からの解釈によりますと、そういう展開は真理への冒涜だと見做され得るのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは 下記内容と理解しています。 1)儀式 教義があっての儀式なので、教義に沿わない儀式は 教義の語解釈と言えると思います。 教義A->儀式A 儀式があっての教義というのは、一般的にはあまり 存在しない考え方だと思います。 2)教義からの儀式の独立・乖離 教義=言葉で表現されている 儀式=動作などのシンボルで表現されている と考えますと、儀式は教義そのものと考えることができます。 3)教義・儀式の融合 教義A+教義B(融合)=>教義C となる場合はあります、この場合儀式は、 教義Cー>儀式C となります。 同様にシンボルの操作として 儀式A+儀式B(融合)=>儀式C となる場合もあるとは思います。 質問の内容は、融合以前に 1)の時点で 教義A->×ー>儀式A の場合が内容に含まれそうですから、意味がはじめから 無いのかも知れませんね 回答には、なってはいませんが、考察の足しにでも
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- JidousyaGaisya
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回答No.2
本来的な信仰は無心で行なわれていくべきですので、 『断片的な諸要素の価値が外部の門外漢には分かり難い』 と元の宗派の信者達には思われていますでしょうね。
質問者
お礼
http://okwave.jp/qa/q7554125.html 上記のページでも、御教授を賜れませんでしょうか?
質問者
補足
教義から乖離した基準に基づく価値判断が導入されている、 という事情は【冒涜】に傾倒していくのでしょうか?
補足
有り難う御座います。 宗教的な場と違う環境の下で、複数の別教団に入信している方々が、『更に別の宗派の儀式』を非日常的なイベント等で勝手に【形骸化・共有】してしまいますと、当該教団員達の反感を買うのでしょうね。