回答があまり出ないようですので、少々ポイントがずれるかも知れませんが、総論として簡単に書かせてもらいます。
浄土真宗など一部の宗派を除く日本の既成仏教各派では、妻帯はいわば現実が先行する形で黙認されており、教義的な位置付けは整っていない、というのが現実ではないでしょうか。
僧侶の妻帯が公式に認められたのは明治5年の太政官布告によるもので、「自今僧侶の肉食妻帯勝手たるべきこと…」とされたことが大きな転換をもたらしました。この布告は仏教の旧弊を正そうとする目的をもったもので、特別に戒律に反する意図はなかったのですが、神仏分離以後の宗教的混乱もあるなか、現実には戒律の骨抜きを後押しする結果となってしまいました。
そもそも僧侶の妻帯が問題になるのは、もちろん戒の問題があるからです。ただ日本人は、伝統的に厳格な戒律に対する生理的な違和感をもっていることもあって、結局戒律というのはごく一部的にしか根付かなかったと言えるでしょう。
本来、小乗仏教での出家授戒は具足戒といい、三師七証(3人の教師と7人の証人)をたてて比丘(男性)ならば250戒、比丘尼(女性)で348戒を受けるものです。この具足戒は、在家に対する出家の生活態度を明確に律するのが特徴です。
異性との性交渉について言えば、出家者はもちろんご法度で、もし破れば波羅夷、すなわち教団から追放されるという重罪でした。
かの鑑真和上が日本に伝えたのもこの具足戒でしたが、いろいろな理由からあまり根付かず、これに対して後代に最澄の死後延暦寺に戒壇院を設けて始められた大乗戒(十重四十八軽戒)がむしろわが国の戒の本流となりました。
重要なことは、小乗では「不淫」であって一切の淫行が否定されていたのが、大乗戒の十重禁戒では菩薩としての生活を意図したために僧俗ともに「不邪淫戒」とされたことです。これによって禁忌の対象が邪淫、つまり“よこしまな淫行”に限定されるものととなったことです。ここに、出家であっても限定的に性交渉が可能になる契機があったといえるでしょう。
最澄は円頓戒と呼んでいますが、比叡山におけるこの大乗戒が影響力を持ち、以降その流れを汲む既成仏教各宗派では、およそこれに準じた戒が採用されています(曹洞宗は十六乗戒で一見独特ですが、禁戒は大乗戒と一緒です)。
総じて、わが国の戒の歴史は、一言で言えば「凝縮」と「理念化」に尽きます。前者はどんどんと煩瑣な項目が削られ落ちて大項目だけに集約されてきたことを指しますし、後者は、その大項目も具体的な行動規範ではなしに理念的に解釈されるようになってきたことを指します。例えば、禅宗であれば「禅戒一如」などと言い、坐禅の中に全ての戒が包含される、といった観念的な解釈が優勢となってきたのです。
ここでは詳述しませんがこのことは色々な社会的状況の結果ではあります。
いずれにしてもこのような背景下では、不邪淫戒が具体的な輪郭を失って、ある幅をもって解釈されるようになるのも当然だったと言えるでしょう。
一方、浄土真宗の「肉食妻帯」肯定はもちろん親鸞に始まるもので、彼の徹底した凡夫性・悪人性の自覚に根ざすものですが、その歴史は必ずしも一条鉄で来たわけではありません。
初期の歴史では、宗派の展開の中でその異端性、反戒律性が、他の仏教諸派に対する対抗言説として積極的に強調されていきました。
しかし後代、上に書いたように他の宗派が戒の解釈を緩めた以上、そのカウンターとしてことさらに「肉食妻帯」を強調する意義も薄まらざるを得ませんでした。
しかも江戸時代の宗教統制にがっちり組み入れられたうえは、ことさらに異端性を強調することがかえって危険なものとなったせいなどもあって、徐々に反戒律性が真っ向から否定されるようになり、親鸞の妻帯は悪人性の結果などではなく宗教的な自己犠牲の精神によるものだ、といった風に宣揚されるに至ります。
歴史的に見ると、真宗内部の「肉食妻帯」の論理はかなりの紆余曲折を経たものなのです。
※ 簡単に書きましたのでわかりにくい点があるかも知れません。必要であればどうぞ補足をして頂きますようお願いします。
お礼
非常によくわかりました! ありがとうございます。 大乗戒では限定的ながらも性交を認めるものの、妻帯そのものについては黙認なのですね。 >浄土真宗など一部の宗派を除く日本の既成仏教各派では、、、 浄土真宗以外にも妻帯を認めている宗派があるんですか? よろしければお教えください。 また、チベット密教など、日本以外の大乗仏教ではどういう状況でしょうか?