※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大英博物館 古代エジプト文明展)
大英博物館 古代エジプト文明展
このQ&Aのポイント
大英博物館で開催中の古代エジプト文明展に行ってきました。
エジプト人の楽園への道は「死者の書」による42の罪の否定告白。
展示されているグリーンフィーヒルドパピルスには、アモン神なのかアメン神なのかの謎があります。
今日森アートギャラリーの大英博物館 古代エジプト文明展に行ってきました。お盆休みとのことで親子づれで混雑。でもたいへん勉強になりました。エジプト人が楽園に行けるためには、「死者の書」によると42もの罪の否定告白をオシリス神にしないといけないそうです。紀元前950年から930年頃のものと思われるグリーンフィーヒルドパピルスというのが展示され、感激。ところが、かなりエジプト文明についての難しい質問なのかも知れませんが、高校の世界史の教科書によると、アメンホテプ4世という人(紀元前1372年~1354年)がテーベのアモン神の神官と対立して、唯一の神太陽神アトンにして、都をアマルナに移したそうです。しかし、長続きせず失敗し、アメン信仰は復活したらしいとのことです。さて質問ですが、新王国より新しい後期王朝時代のものと思われるグリーンフィールドパピルスに書かれた、神はアモン神でしょうか?アメン神でしょうか?復活したアモン神と考えるのが妥当ですが、日本の隠れキリシタンのような、隠れアトン信者もいたかも?死者を天秤で量って裁く神も違うようなので、興味のある人は、おすすめですから展覧会に行って、新王国時代と思われるパピルスと比較してみてください。しかし、さらなる考古学的発見がないとわからないとするのが、私の立場です。吉村作治氏の「世界不思議発見」に期待?
お礼
さすが、daidouさんはエジプトのことに関して詳しく、私の知識も増えますが、まだ、ベストアンサーにはして問題解決というのはおしいですね。議論の余地があります。私の古い高校の世界史の教科書によればアメンホテプ4世が打ち立てた、一神教改革は、内部分裂と海の民(聖書ではぺリシテ人)の進出で破綻したとあります。ところで、この海の民というのが、何者か、未解明と教科書にありますが、現在では、分かっているのでしょうか?海上の民ですから、かなり広い地域にエジプトの一神教の考えを伝播したのではと考えます。これが紀元前1350年ごろの話しです。日本の狛犬もスフィンクスにルーツがあるのではないか、という説は初めて聞きましたが、海の民が沖縄までやって来て影響を与えたか、また、沖縄の文化が独自にシーサーを考えたのかは謎です。民族大移動の問題に発展!セム語族は一神教で、インドヨーロッパ語族は多神教。話しは変わりますが、これは想像上生物であるの東洋の「龍」と西洋の「ドラゴン」は文化的交流で人が考えた出したものなのか?東洋と西洋で独自に発想したかという疑問と同じです。ちなみに私は、キリスト教の神を信じており、そちらの解釈からエジプト文化の影響を考えてます。考古学的に十戒の入った契約の箱を見つけようとすると、インディジョーンスのナチスの人たちみたいに神の怒りに触れるかな(笑)。再投稿をお待ちします。