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直観主義論理の認知史モデルについて
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ヘンペルのカラスより、命題A:「全てのカラスは黒い」 ご質問の提示ではこうです。 「カラスについて見たこと聞いたことがある限りで、全てのカラスが黒いのではないとは言えない 同値...「全てのカラスについて知っています、全てのカラスが黒いのです」 前提αと前提βの違いは大きな違いです。しかしながらこれらは論理学的に同値ですよね。 > しかしはじめの質問の内容は(¬Aでないことが証明されない、だからAであることが証明される)となると思うのですが タイプミスでたぶん(¬Aが証明されない、だからAであることが証明される)と書きたかったのだと思いますが、だとしたら、そんなことはないでしょう。 論理式の途中で前提を変化させてはいけないでしょう。 「全てのカラスが黒いのではない(なかには黒くないカラスもいる)と証明されない、 だから全てのカラスは黒いと証明される」 と言えますか? これは、直観による推論の誤りの好例となりますね。 ヘンペルがこれを危ぶみ、 「全てのカラスは黒いと証明することは、黒くないものはカラスではないと証明すること」 と言ったのはあまりに有名です。 > 知識状態αではAか¬Aかは分からないということを、ただそれだけを示しているのになぜ(知識状態βでAが証明される)といえるのでしょうか。 直観は知識状態αにおいて、Aか¬Aかは分からないということただそれだけに留まるのではないでしょう。 第一に、命題とは、知識状態に導かれる直観的推論そのものです。知識状態αにおいてはAが直観されるのです。そして、それについて吟味するには、裏や待遇による手順のみで有効であるとヘンペルは言うわけです。 第二に、知識状態を措定した論理そのものが介入します。αRβという関連はβがおなじ論理の措定上にあることを知らせるでしょう。知識状態の比較は重要なモチーフだと思います。 直観は知識状態を的確に評価しうるだろうか、獲得していないどのような知識を未然に敷衍して都合の良い推論を出すであろうか、ということが、推論の吟味にとって不可欠です。 「全てのカラスについて知っているかどうか」という暗黙の言説が、「見聞きした範囲でしかない」に基づく直観の前提に潜んでいるでしょう。 > 逆に(知識状態αで¬Aでないことが証明される⇔αRβなる知識状態βが存在し、知識状態βでAが証明されない)というタイプなら、¬Aが証明されるのだからAが証明されないことは証明されているということで、まだわかります。 それを言うなら、(知識状態αで¬Aでないことが証明される)は(知識状態αでAであることが証明される)と同値です。¬Aが証明されるのだからとおっしゃるところは、書き間違いでないとすると意味が分かりません。 > 証明できないことが証明されているということですか? ある前提から導きだせる範囲では証明できない、という意味ととらえてよいと思います。