- ベストアンサー
皆さんは何が楽しくて生きていますか?
皆さんは、何が楽しくて生きていますか? 私は、健康、仕事、お金、子供、も不足なく、趣味もあり、友人もいます。 充分に幸せな境遇で、感謝もしています。 でも、何も面白くなく、死にたい、と思い、生きているのがやっとです。 もちろん、家族にも他人にも、そんな素振りは絶対見せてないつもりです。 でも、ずっと空虚で、これは10代の頃からな気がします。 何か応えを求めてるわけではありません。 贅沢だ!甘えるな!ボランティアに行け!ってことですよね。 やはり、環境を変え、何か行動を起こすことしかないですよね?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
何処か、心の中に「空白」を感じているのかな? 物質的、あるいは環境的には満たされている状態 なのに、不満は何も無いはずなのに、、、、。 要は、「心の財」を求めていらっしゃるのですね。 人間の財産には3つあると言われています。 (1).「蔵の財」・・・お金や家や服、アクセサリーなど (2).「身の財」・・・健康や家族や環境など そして3つ目が (3).「心の財」・・・幸せ感や満足感、達成感また生きる 喜びなど 実は「財」と言っても、(3)が最も大事なものです。 これを求めるのは、決して贅沢でも、甘えでもありません。 ご安心ください。 ただ、この「心の財」を得るのには、「人間どう生きるのか?」 といった“迷い”から自我を解き放つ必要があります。 この知恵こそが「仏の知恵」というものです。 『人間は本来この世に人生を楽しむために生まれた。』 と言われています。法華経にある『衆生所遊楽』という 文字がそうです。貴方だけではなく、ご家族、また地域の 方、そのほか今この世の中に生きている人間の心の中には 等しく、“尊い生命”があります。そして、真心からそういった 人に尽くしていく事は、自身の生命境涯を上げ、喜びに満ちた 円満な人生をおくれるのではないでしょうか。
その他の回答 (5)
>皆さんは、何が楽しくて生きていますか? 今のところ、子供の成長。かな。 >贅沢だ!甘えるな!ボランティアに行け!ってことですよね。 そうですね。それもいいけど、 小笠原に行くのもいいですよ。 アジアでもいいです。 >やはり、環境を変え、何か行動を起こすことしかないですよね? 環境を変えることが大切なのではなく、 環境を変えようと思うことが大切なのです。 まあ、第二の人生のやりがいをみつけなさいってことです。
お礼
回答ありがとうございます。 >環境を変えようと思うことが大切なのです。 そうですね。 意識を変えることから始めたいと思います。 ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
我々、淘汰の反力として生じた生命の唯一の生きる目的は、 「生きる事」です。 もちろん具体的な環境への適応において、食欲や性欲、睡眠欲、 虚栄心など、様々な二次的「目的」が派生しますが、それらは 総体として「生きる事」を形成しているのです。 また、進化の結果として発達した脳の認識性において、そうした 「生きる」意思は、肉体的生存の追求は、意識への展開として 「人生を通算した精神的充足量の最大化」へと転化されます。 先の、多様な即物的対象への衝動の集積としての結果的生では、 1つには、それぞれの欲求が矛盾する=人生の通算において 充足量を減じ、2つにはそうした短絡的衝動は希薄な意識= 充足量の低下を招く、というWのマイナス効果があります。 自己存在の本質に根差した生により、生きること自体による 精神的充足こそが、「人生を通算した精神的充足量の最大化」を 可能にするのです。 それは、社会生命としての人類においては、自己の生命性の 社会的拡張の自覚化=愛に基づき、自律的に社会行動を導く =助け合いとしての労働によります(普段の労働も本質的には 助け合い=ボランティアなのです。ただ、人の意識が『お金をもら うためにイヤイヤ働く=お金を奪い合う競争社会(弱肉強食)』に 堕しているだけであって)。
お礼
回答ありがとうございます。 難しくて私にはよく理解できませんが、、 生きる目的は「生きる事」、精神的充足こそが目的であり、 二次的な、即物的な欲求は、充足量の低下を招く。 やはり、人のために、人の役に立つこと=愛であり、助け合いとしての労働こそが、 精神的充足=生きる楽しみとなる、という事でしょうか。。
- 522923
- ベストアンサー率31% (66/212)
単純に『考え方の違い』だと思います。 確かに、生きがいを持って生きている人もいます。しかし、皆が皆、生きがいを持って生きているとは言いません。 ・生きがいを持って生きている人 ・死にたくないから生きている人 ・自分の存在価値を理解している人 もっともっと色々な人がいると思います。 皆が生きがいを持って生活をしていたら、本当に素晴らしい事だと思いますし、生きがいがあれば、夢や希望を持って日々苦しくも楽しく生活がしていけると思います。 しかし、日々の忙しさ等により惰性で生活をしている人も多いと思います。本来は『皆が夢を持て!!』と言うべきところですが、今回はあえて言いません。 そのかわり、最低限思っていれば良いと思うことを書かせて頂きます。それは、『誰かの為に・・・』と言うことです。多くの二とは生きているだけで『誰かの役に立っています』。親や祖父母がいれば、生きているだけで親・兄弟・祖父母に嫌な思いをさせなくても済みます。子供や伴侶がいれば尚更人を悲しませなくて済みます。そして、仕事をしていれば、会社にも同僚にも役に立っています。ここでたまに自分は・・・という方もいますが、お金を貰って仕事をしている以上は、必ず役に立っているのです。そして、ビジネスが成り立っている以上は、買ったお客さんの役にも立っています。 上記の事は、質問者様でなくても誰でも代わりが出来ることです。しかし、代わりが出来るからといって、質問者様が役に立っていないということでもありません。『誰かの為に・・・』という気持ちを強くもって行動に移せればとても立派な人です。そこまで強くなくても、今の自分が多少なりとも人の役に立っていると感じれば、そこに自分の生きがいや、生きている意味もあるのではないでしょうか。 誰かを喜ばせられないとしても、誰かを悲しませない事も生きている理由ではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり、人間は「誰かのために・・・」というのが必要なのですね。 やはり、人間は「人の役に立っている」と思うことが、生き甲斐に繋がるのですね。 人間ってやっぱり単純で、いいものですよね。 そういえば最近、それを忘れて、自分のことだけ考える生活でした。 そういう環境(人の役に立てる)に身を置きたいと思います。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
一度、アジアやアフリカの、食うや食わずで 生きる、ただその為に必死な人たちを観てきたら どうでしょう。 私には中国人の知人が多いのですが、彼らは異口同音に 言っています。 日本は素晴らしい。 天国だ。 少し働けば死ぬほど食えるし、贅沢を言わなければ 仕事はいくらでもある。 戦争も無いし、犯罪も少ない。 日本に産まれたことは宝くじに当たったようなものだ。 こんな日本で、自殺が三万なんて信じられない。 豊かになった中国人ですら、ですからね。 数年、途上国を放浪してきたら、考えが変わるのでは ないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 はい、ちょっと病気になったり、ケガをしただけでも、健康の有難みだけでも、よくわかりますね。 平和で豊な日本で暮らしている私たちは、どれほど恵まれた環境にいるのか、よく分かります。 考えが変わる、というか、この目で見て体験することは、頭で理解するのとは違うかもしれませんね。
- silversmith
- ベストアンサー率27% (68/243)
日々の成長。 自身の成長。 日々の生活から得る何気ない経験や、読んだ本、TVで得る知識。 仕事や様々なコミュニティーで出会う、人との繋がりから得る影響、経験や知識。 映画や絵画、デザインなどが与えてくれる感動や思考の深み。 日々、刻々と変わる自身の成長が、楽しみに生きています。 また、質問主さんは、家族がおられるのであれば、 やはり、子供の成長は日々の楽しみなのではないのでしょうか。 環境や行動で、気持ちの変化を求めるのも一つですが、 私が心がけているのは、 「今という一瞬を大切に生きる」 そうすれば、退屈な毎日とか、面白くないとか、死にたいなんて、考える暇なんてありませんよ!
お礼
早速の回答、ありがとうございます。 私は50代のオバサンで、子供たちは既に成人し、来春には下の子も独立します。 付き物が落ちたように、子供にも無関心になってしまい、自分でも戸惑っています。 自分が成長するどころか、人間的には後退してるような気さえします。 今の自分は、今まで生きてきた結果ですね。 >「今という一瞬を大切に生きる」 そうですね。私は毎日無為に過ごし、落ち込み、正反対です。 考える暇がないほど、働いたり、行動しないといけないですね。 わかってるのに・・・。 温かい言葉をありがとうございました。実行したいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >要は、「心の財」を求めていらっしゃるのですね。 その通りだと思います。 1と2、「蔵の財」「身の財」は過不足なく、恵まれていることには感謝しています。 >これを求めるのは、決して贅沢でも、甘えでもありません。 ご安心ください。 そう言っていただき、本当に救われました。 >ただ、この「心の財」を得るのには、「人間どう生きるのか?」 といった“迷い”から自我を解き放つ必要があります。 この知恵こそが「仏の知恵」というものです。 >『人間は本来この世に人生を楽しむために生まれた。』 そうなのですね。 私は仏教には縁がなく、思春期をキリスト教の学校で過ごしました。 妙に「罪の意識」ばかり強く、自分を否定してしまいます。 「仏の知恵」というのは、とても人間的で肯定的ですね。 >真心からそういった人に尽くしていく事は、自身の生命境涯を上げ、 喜びに満ちた円満な人生をおくれるのではないでしょうか。 やはり、人のために生きることが、生きる喜びとなるのですね。 だんだん、確信が持ててきました。ありあとうございました。