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哲学はウツの治療に役立つか
哲学者に自殺者は少ないという話をたまに聞きます。 Wikiで調べると確かに少数派のようです。 理由はこのカテではいわずもがなという気がしますので省略するとして、 哲学者に自殺者が少ないなら哲学がうつ病の治療に役立つのではないでしょうか。 うつ病の人たちの多くは「希死念慮」、「自殺願望」を持っています。 哲学者が自殺しないなら、哲学はうつ病に対して効果があると言えないでしょうか。 正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。
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- hakobulu
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「希死念慮」という言葉は知りませんでした。 生命力の枯渇が原因で保存能力が減衰するために結果として安定を求めるという、極めて論理的な、ある意味で物理的な現象と言えるわけで大いに首肯できるメカニズムですね。 保存と安定については何度か述べておりますので詳しい説明は避けますが、端的に言えば、茶碗にしてもその形状を維持するには(現状の)保存能力が必要とされるわけで、腹立ちまぎれて壁にぶつけられ割られたあげく、さらに原子段階にまで粉々になってはじめて安定した状態が訪れます。 つまり、自己保存能力を失いかけている人間にとっては、自己破壊=自死以外に安定できる道は無いように思えてしまうのは極めて合理的な思考形態です。 生命力の枯渇、自己保存能力の喪失と言いましたが、その最大の原因はおそらく自己存在の否定だろうと思います。 自己存在を否定するものとは何かと言えば、それは、他者であったり、環境であったりするわけですが、最大のものは自分自身でしょう。 他者や環境がどうあれ、それをどのように受け止めるかは、すべて自分自身の判断によっているからです。 その判断がどのように個人の中で形成されてきたのか、という点に着目するのが精神分析ということになるのでしょうが、過去のことをあれこれ考えても仕方ないのだから、現状の対処法のみに着目させるようにすることを目指すのが認知行動療法だろうと理解しています。 たとえば、(ごく普通の)他人が怖いという症状の場合、精神分析では、怖がるような薄弱な精神が築かれてきた過去の生育暦などを掘り起こすことによって、無意識に潜む怖れの元を解放することを目指します。 認知行動療法の場合は、何がどのように怖いのか、を論理的に判断させ、それが誤りであることを証明することによって納得に至る、という過程を経るようです。 わたしは個人的興味でこの二つの方法について読んだりすることがある程度ですが、一見矛盾する両者(認知行動療法は精神分析の手法を否定していたはずです)の良いとこどりができるのではないか、と考えています。 良いとこどり、というのは、鬱病にしても様々なパターンがあるのでその人に適した視点が必要になるからです。 本人が納得できなければ、どんなに優れた理論も無意味です。 この2つは(薬物療法以外では)有力な方法だと思いますが、クライアントにおける、物事の(単純な)論理を理解できる能力と、分析者なり療法者なりに対する信頼が必須の条件になると思われます。 今回のご質問に則して述べるならば、神経症全般に関しても言えることですが、ほぼ共通して言える最大の要因はイラショナルビリーフと呼ばれるもので、不合理な思い込み、といったようなことがネックになっている場合が非常に多いようです。 どのような角度からこれを氷解させていくのか、は個別の事情次第なので何とも言えませんが、いずれにせよ、論理的な思考ができる人ほど、この状態からの脱却が比較的に見た場合容易である、ということは言われているようです。 哲学者には論理的思考が必要だとすれば、一旦陥ってしまった陥穽から脱却できる可能性は高いのかもしれません。 どんな人間であれ、嵐の海に出てしまうことは必ずやあると思うのですが、そこからある程度の冷静さを以って回避なり克服なり、あるいは帰るべき港なりへの航路を見出すためには、やはりそれなりの思考回路が必要になることでしょう。 例によってあちこち飛んでしまったようなので、最後にご質問の要旨に沿って真面目に回答したいと思います。 哲学の効能ということで言えば、視点の転換 かもしれませんね。 これによって自己納得に至る場合は、案外多いような気がします。
- o-sai
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鬱病の定義も広意ですよ。 僕の周りでの罹患者たちは、「根拠のない自尊心」が否定されて発病しています。 例えば「年長者は敬え」とか「先輩は敬え」とかのプライドを否定されると辛いようです。 その中の一つに「「哲学」を持っている」というのも当てはまるのかもしれません。 たいていへ理屈こねる奴はモテません。 モテないから哲学に逃げる。 オタク連中が小難しい言葉を使いたがるのは、そういうことです。 「根拠のない自尊心」を完全否定されてるのを認めたくないというヘリクツです。 容姿が美しく健康で喧嘩に強く、、金に困っていない奴は哲学に逃げたりしません。 「哲学」と称している多くは「負け犬の遠吠え」です。 だからそんなもの、自殺防止に役立ったところで無意味です。 負けた奴が自殺する、それだけのこと。 惨めなアホが死に絶えたところで、悲しむのは親だけでしょう? 何があっても生き延びて、受け継いだ遺伝子を未来に繋げるのが命です。 それが正真正銘の哲学ですから、哲学の定義を「自殺願望をどうこうする為の詭弁」に貶める必要はありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 哲学にもいろいろあるんですねぇ
>貸したほうにはお金が戻らないどころか、世間ではお前が殺したようなものだといわれますね。 迷惑な話ですね。 世間はそんなこといいません。 (一部のアホは別です)
お礼
ご回答ありがとうございました。
>そうですか、でも少なくとも自己破産というサービスは利用してもらいたいです。 ・・・こんなものを利用するなら死んだ方がいいよ。 貸した方の責任を借りた方がいうのはおかしい。男らしくない。 返せない借金はしない。 返せなくなったら切腹して責任取る。 自己破産してのうのうと生き残って、貸し手責任だ何だという奴は【人間のクズ】 昔の日本人は潔く勇気あった。 今の日本人は弱虫でこずるいだけの人間でアジア諸国からも軽蔑されている。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >貸した方の責任を借りた方がいうのはおかしい。男らしくない。 >返せなくなったら切腹して責任取る。 貸したほうにはお金が戻らないどころか、世間ではお前が殺したようなものだといわれますね。 迷惑な話ですね。
この様な、テーマを取り上げることは、とても哲学の優しい使い方だと思い歓迎したい気持ちです。 しかしながら、結論めいたことを先に書くならば、哲学の鬱治療へ大きい期待は出来ないと思います。 理由の一つに、他の方も書いていますが、鬱状態の時はエネルギーが少ないので哲学のような一つのテーマを掘り下げて考える事が無理なことです。体力、知力が追いつかないのです。 哲学者に自殺者が少ないのが事実だとするなら、鬱を抱えて哲学は無理で、その時点でふるいにかけられる面もあるのではないでしょうか。 もっと広く考えるなら、鬱を煩った人は何らかの分野で大成する人が少ないとも言えると思います。 鬱が治ったにしろ、鬱は再発しやすいですからね。 哲学が鬱に全く効果がないかというと、そうでもなく、ある程度の可能性も感じます。 治療法の一つに「認知療法」と言うのがあります。基本は薬物に頼らない精神療法です。 鬱を患う人は、現実をゆがんで受け取る傾向があるので、 (例えば、ある課題を与えられたら、失敗したことだけを重く考えるとか) その、現実の受け止め方を正す治療法で、最近注目されている方法の一つです。が・・・ 華々しい成果を期待すると裏切られる様です。 認知療法は、哲学と重なる部分もあると思います。そう言う方面での使い方なら、多少の期待も出来るかも知れません。 (個人的には、哲学は鬱の治療より予防に効果がある気がします) 認知療法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%99%82%E6%B3%95 http://page.freett.com/710mami/utu3.htm
お礼
ご回答ありがとうございます。 >個人的には、哲学は鬱の治療より予防に効果がある気がします そうですね、私もそう思います。 普段から理性的な思考をする人ならばウツにかかる危険性は低いだろうというのは予測できますね。 ウツの人に哲学しろというのは酷な話なのかもしれないですが、メンタルヘルスのカテを見ていると現時点の医学では治療は難しいと言わざるを得ないと感じています。 認知療法は効果が期待できそうですが、あくまで本人次第という部分が大きそうですね。
哲学者があまり自殺をしないのは、絶望的な状況にあっても、必死に答えを出そうとするからだと思います。真実なるものに執着するからこそ、自死を選択をする事は無い。何せ死んだって答えは出ないですからね。 ただ、うつ病の人には哲学をするだけの気力がないと思うので、対疾病の効果を期待するのは、ちょっと違うんじゃないかなと思いました。あと、メンタル面で問題がある人は「哲学」じゃなくて「妄想」を抱えているのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ただ、うつ病の人には哲学をするだけの気力がないと思うので そうなんですよね、これが非常に問題ですよね。 ただ薬を飲んでいれば治るようなたぐいの病気ではありませんので、 本人の治したいという熱意に期待するしかないのかなとも思います。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>借金は自己破産という棒引き制度がありますから、、、 おいおい、もう少し哲学してくださいよ。 自己破産ってことは、取引先や従業員や、そしてお金を融通してくれた親類縁者や配偶者までに甚大な迷惑をかけることなんですよ。今までも迷惑をかけてきましたが、その迷惑をかけっぱなしで、返済はしません!って宣言することなんですよ。 そんな人迷惑をかけちゃいけないという日本人の倫理観が自殺者を増やしているかもしれませんね。 哲学しない人は想像力も乏しいんじゃないかな。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自己破産ってことは、取引先や従業員や、そしてお金を融通してくれた親類縁者や配偶者までに甚大な迷惑をかけることなんですよ。今までも迷惑をかけてきましたが、その迷惑をかけっぱなしで、返済はしません!って宣言することなんですよ。 うんうん、でもそれはお金のルールですから道徳とは別に考えるべきだと思いますよ。 お金を貸すほうもそういうリスクをわかっていないのかなと思います。 >そんな人迷惑をかけちゃいけないという日本人の倫理観が自殺者を増やしているかもしれませんね。 そうかもしれません、道徳が日本人を殺していると思うときがありますね。
>正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。 それは当然だと思います。 しっかりとした人生道を歩んでいる人自殺少ない。 迷っている人自殺多い。 借金は自殺を導くよ。 自己破産すればいいってそんな簡単なものじゃないよ。 「哲学者」と「人生の哲学」を持っている人とは別物だよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >借金は自殺を導くよ。 自己破産すればいいってそんな簡単なものじゃないよ。 そうですか、でも少なくとも自己破産というサービスは利用してもらいたいです。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
認識の浅さが疾病の原因なら、今の世の中の人全てが鬱病になって然るべきです。 心(考えている事)と体(生きている事)のバランスの狂いが、心の病につながる事は、最先端の数学者や哲学者の伝記に見られます。 さらに深く考えれば鬱病から逃れられるはずもなく、もっと自然や人とのつながりの中に身を置くべきでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >認識の浅さが疾病の原因なら、今の世の中の人全てが鬱病になって然るべきです。 正常と病気の線引きは難しいですが日本人が総ウツ状態っていうのも非現実ではないようにおもいます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>自殺の理由として正当でしょうか。 自殺するのに、”正当なる理由”なんぞあるかいね?
お礼
ご回答ありがとうございます。 正当という言葉は適切ではなかったかもしれませんが、 たとえば借金は自己破産という棒引き制度がありますからそれを理由にすることに無理があると思います。 借金と人生という別々の話を混ぜてしまったら正当な理由とはなりえないでしょう。 理由にならない理由が正当でない理由と言えるかもしれません。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 ウツも哲学も色々ですから何がどう影響するのかは分かりませんが、自分という人間に対する認知に哲学が役立つことを期待したいです。 すべてはその人次第ですがそれは言うまでもなく当たり前のことですね。