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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本語における「理想」の意味)

日本語における「理想」の意味

このQ&Aのポイント
  • 日本語における「理想」とは、完全なもの、最高の状態を望むことを意味します。
  • 日本語の「理想」と西洋の文脈での理解は異なり、イデア界の神的なものを追求する善の行いと明確に区別されます。
  • 「理想」という語の定義や理解、理想と貪欲の関係は個人や文化によって異なります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.9

成る程、あたしから見て何でそんな頓珍漢な質問が出て来たか判ってきた。コミュニケイションをするには余りにも端折り過ぎで、自分の生きざまと相手の生きざまが違うのだと言うことを全く無視して、自分が判っていることは相手にも判っている筈だと言う根拠のない前提に立って質問がなされるから、話しがややこしくなっちまうんだね。 先ず、あんたの理想という言葉で意味するものが物質的な豊かさの獲得という、極端に限定されたものを指しているから、あたしには何でそれが理想なのか皆目見当もつかなかった。だから、唐人の寝言みたいな頓珍漢な質問をする奴だと誤解されちまう。確かに、理想という言葉はそんなに古い日本語ではないかもしれないが、中国には桃源郷という言葉がとっくにあった。そして、そんな概念は平城、平安期の日本人に既に知られていた筈だ。また、キリスト教の神だプラトンだなんて持ち出さなくても、仏教には上下足す八方に十方浄土があり、その中でも西方の極楽浄土は特に日本人に人気があった。 今度機会があったら、惠心僧都の『往生要集』の極楽を読んでご覧なさい。それは正に理想の世界だ。でも、物質的豊かさとはまったく無関係な世界だ。この極楽が凄いんだ。どんな民族でも地獄の描写は常に面白い。何とまあいろいろな拷問を考えつくかと感心されてしまう。ところが、天国の描写となると、いきなり退屈になっている。ダンテの『神曲』の天国篇なんて、あんな所に居たら1週間で飽きてしまう気がする。ボッシュの絵の天国なんて、なんかアナーキーでヒッピーみたいな所がある。あたしは直接読んでいないので無責任なことを言うが、イスラム教の天国もキャバクラみたいなところだそうで、直ぐに飽きてしまいそうだ。 ところが『往生要集』の極楽なら、あたしゃ是非行ってみたいと思ったね。極楽以外の残りの九方の浄土に入るには、結構難しい入学試験がある。難しい教義を学んで奥義を究めなくちゃいかんとか、偉い坊さんになって出世しなくちゃいかんとか、真夏の竹やぶで1週間裸で蚊に食われる修行をしなくちゃならんとか、お金持ちになって莫大な寄付をしなくちゃならんとか、人間には一寸出来そうもない入学試験ばかりだ。ところが、極楽だけは、「阿弥陀様お助け下さい」って言うだけで良いんだそうだ。殆ど無試験で入れるってことだ。だから、極楽だけが人間用に用意されているらしい。 んで、その極楽に入ると、極楽の入門コースから始まる。そこは、絵も謂れぬ綺麗なところで、匂いも香しい。いくらでも美味い食い物が在る。まあ、超電化住宅に無料で生活を許されたみたいな物だ。そして、其処此処にある菩提樹の木の下で阿弥陀様が講義をなさっておられる。その講義の素晴らしさと来たら、超一流の学者さんの講義を聴いているようで、一言一言が目から鱗が落ちるように解っちまうのだそうだ。そして、そうだその通りだと感激するたびに、百万年寿命が延びる。 そんな感激を何度も繰り返しているうちに、知らず知らずのうちに極楽の中級コースに入っている。そこでは、最早美しい景色も香しい匂いもない。非常に質素な中で、阿弥陀様の講義を聴いている。そして、どんどんと究極への「理想」に近づいて行くそうだ。そして、その究極の状態では、あんたは最早あんたではなくなり、阿弥陀様と完全に合体融合しているんだそうだ。それが、平安末期から鎌倉時代に日本人が認識した理想の世界だ。どうだ、知的な世界だろう。だから、物質的な充足は単なる方便であって、理想でもなんでもないっちゅうことを、我々の先祖達は認識していた。 キリスト教やイスラム教の天国と比べて、あたしがある有名なインド人の物理学者にこのインド人の考えた極楽の話をしたら「そうかお前解ったか。インド人は頭が良いんだ」って威張ってた。 神道だって同じだ。お祈りのときは、ご先祖様や神様には無念無想でただ頭を下げる。決して、なんかの願い事を叶えてくれなんてお祈りしては駄目なんだそうだ。一々こちらから私の願い事はこれです何んて言わなくては解んないもんが神様であるものか。それに、こちらの願い事よりももっと重要なことを神様ご先祖様は知っている筈だ。だから、神様ご先祖様に任しておいて、何も祈るな、ちゅうことだ。んで、あんたが死んでもいきなりご先祖様になれる訳ではない。あんたのことをまだ覚えている人間が生きている間は、単なる死んだ爺さんや婆さんなだけだ。でも、その死後、時間をかけて段々とあんたの御霊が浄化されて行き、皆の記憶が無くなった頃に、あんたはご先祖様という集合体に合体する。まあ、上の阿弥陀様そっくりだ。んで、その状態が日本人にとって最も理想的だと考えて来たんだ。だから、あんたの言う理想と、ここで言う理想がどれだけかけ離れているかお判りだろう。 自分の拙い経験とその外挿だけの思い付きで理想云々するのではなくて、我々の先人達が考えて来た理想って何なのだろうと言うことも考えながらこの問題を論じないと、話しが限りなく浅く、陳腐になってしまう。 あんたは、決して木の股から生まれて来たのではなくて、日本人として日本の文化の中にどっぷりと浸かって生まれて来たことを忘れちゃ駄目だ。そして、あんたのご先祖様達はあんた並みか、あるいはあんたよりももっと優れた思考をして来たかもしれないと言うことも忘れちゃ駄目だ。あんたがどんなに西洋人の考えて来たことを学んだところで、結局あんたは日本語で考えることしかできないことを忘れちゃ駄目だ。別な言い方をすると、日本語で考えるあんたの思考法に関しては、西洋人には絶対に真似が出来ない物をあんたは持っている。幸いにも、日本人は世界から尊敬される長い歴史と、独特な深い文化を持っている。それによって、この人類の多様性に関して大変な貢献をしている。 確かに西洋の文化はその強大な軍事力の故に、他の文化に決定的な影響を与えて来た。だから、西洋の文化を学ぶことは重要なことだ。しかし、それはあんたが西洋人になるために学んでいるのではない。そんなつもりになって西洋人の土俵の上で相撲を取ったって、所詮西洋人に敵う筈がない。 しかし、そのような無視出来ない多大な影響力を持つ異国の文化を学ぶのは若いうちが一番良い。相手の手の内を知って置かないと、いよいよあんたが目覚めた後で、お前ら西洋人とはまた違った世界観もあるのだと西洋人に向って説得することが出来ないからだ。だから、今のうちは、西洋人の考えて来たことを一杯学んでいるあんたのそのやり方は、正しいやり方だ。 しかし、そのうちにあんたが歳を食ってくると、もう西洋は良い、ところで日本はどうなんだと言う気になって来るものだ。そして、いよいよ自分の土俵で相撲を取るときがやって来る。 若い故に西洋かぶれしているあんたを見ていると、そんなことを頭の片隅に入れておいて、いつか自分で何者なんだ、俺って日本人じゃないか、と言うことに気付いて欲しいと言う気になった。 まあ、あたしはあんたに一つの理想を描いているのかもしれんな。

kusa-mura
質問者

お礼

どうもありがとうございます。回答内容もさることながら、期待を寄せていただいて、感謝しております。 さて、もう投稿それ自体で完成されているので、僕から付け加えることもないのです。しかし敢えて整理すると、理想の問題を考えるにあたって、ユートピアを検討してみたということですね。そして日本の主要な宗教のユートピアにおいて究極の目的は何であったかといえば、 ・仏教:阿弥陀様と合体(『往生要集』) ・神道:ご先祖様に同化 であるということでした。 イスラム教のように死後という最も快楽におぼれる世界を想定してもよいところに来て、神道も仏教も、酒池肉林を退けている。かくして、欲望を垂れ流すような思想ではなかったと、(当然かもしれませんが)まず言えます。 更にこういう文化背景があるのだから、西欧の理想という言葉とその下地はなかったにしても、似たような概念があったのではないかと考えられます。実際、設問で説明したキリスト教の「理想」とは、 ・キリスト教:イデア≒神を探究 ということでした。 どうやらこれは、阿弥陀様やご先祖様に同化しようとする仏教や神道とアナロジーがあると言えそうです。 かくして日本が文化的に、理想を貪欲と等しく結ぶような土壌をもっていたと言い得るはずがない。むしろキリスト教と最初から似ていたんだとも言えそうです。さて、ここで設問の3項目に沿って整理してみます。 (1)理想とは、欲望の探究ではなく、浄化され、至高の存在に近づくことである。 (2)理想とは聖に属し、俗な貪欲とは対極に位置する。 (3)この判断基準は、仏教と神道にある。 またもう少し考えを煮詰めてみます。お勧めの『往生要集』は読んでみようと思います。『神曲』を読んでいて、そちらを読んでいないのは、何とも面目がない話です。

kusa-mura
質問者

補足

【問いを締めるにあたって】 ご回答を多数お寄せいただき、どうもありがとうございました。当初は僕の言葉の至らない点があって、問いの意義に疑問も出されましたし、なるほど、理想などその当人が良いと思えば、他人があれこれ言うことでもないような気もしました。No.1の方のおっしゃる通りです。 しかしNo.6のお礼欄を使って補足したように、僕としては何が「理想」と呼ぶに値するものかを、今一度問い直すことが、理想と欲望の見分けがつかなくなった状況を呈してしまった社会において有益に思われたのです。実際、回答者の方々からも、現状の日本で「理想」が非常に曖昧になってしまっているという同意は得られたように思います。 幸いにも文明とは何かという論点から議論は活発化し、西洋と東洋の思考スタイルを対比するというテーマ、職人とは何かというテーマ、また何をもって文化の創出とみなせるかというテーマも出ました。なかなか面白いやり取りができたと思います。しかし結局のところ、「理想=イデア」という考えを支えには文化が必要なはずです。どの回答も秀逸で僕には面白かったのですが、この点について、最も直接的に答えてくださった回答をBAに選ばせて頂きました。 参加してくださった皆様方が多様な意見をお持ちであることを考慮して、ここで僕が無理に(1)(2)(3)と立てた問いの答えを書くことはしません。しかし共通する結論としては、日本人が「理想」と呼びうるものを考えるにあたっては、自国の文化を見直すことから始めること必要があるということは言えると考えられます。その日本の「文化」と呼ぶ対象が人それぞれ違うとしてもです。皆さま、どうもありがとうございました。

その他の回答 (32)

noname#139258
noname#139258
回答No.2

ごめんなさいちょっと興奮しちゃって 強く言いすぎちゃいました。反省してます。 たぶんkusa-muraさんの主張したい事は 私の思いつかないところのレベルの事なのだろうって考えたら、 わたしがでしゃばったのかもって思いました 気を悪くしたのでしたら、本当にごめんなさい。

kusa-mura
質問者

お礼

大丈夫です。どうもありがとうございます。

noname#139258
noname#139258
回答No.1

私は自分の自己実現のために学校を選んで、そこで頑張ってます。 これは自分の理想のために頑張って入った環境なんです。 その学校に入れた自分は、理想の環境を努力して手に入れたと思ってるんです。 今は理想の環境の中に所属する自分を更に成長させようとしてるんですけど (もっといい環境にしようと、個人ながら、努力しています) これって、実現しないものなんですか? 私はいま、自分の所属する環境が現実のものだって普通に思いながら、一生懸命 やっているんですけど、これって実現しないほどの願望なんですか。 貪欲ってなんですか? >>>つまり理想とは実現しえないほどの充足を望むことで >>>あって、この説明のみでは、貪欲greedの最たる状態ではないか? >>>とさえ思われるのです 実現した現実の環境で頑張っている人達がいて、その人達を「貪欲だ」と言い切れるほどの 傲慢さがあるんですか? 一生懸命やっている人達がいるんですよ? なんかムカつきますこの質問

kusa-mura
質問者

お礼

ありがとうございます。理想と貪欲は全然違うものだから、おいそれと混ぜるようなことを書くんではないよ!ということですね。 確かに、やることなすこと望むこと、何もかも貪欲とくくられたら、たまったものではありません。何かしら「正しい」と思う気持ちがないと、その目的に向かって邁進できません。後ろめたい気持ちなどもちたくないものです。 しかし、どの望みが「理想」と呼んで胸を張れるものであろうかと考えると、設問に示したように、その基準は曖昧だと僕は思ったのです。これはよろしくないと思って、質問してみました。この答えの糸口がわかったら、理想というものに対して確固たる自信を持って、邁進できるかもしれないなと僕は思っています。 一生懸命やることそれ自体が素晴らしいことであって、真摯な気持ちがあるかどうかが、一つの基準となるというご意見を頂いたと、まず考えてみたいと思います。そうですね、僕も学生の頃、そう思っていました。これも一つの有力な説として、受け止めさせていただきます。 ご学業、うまくいくようにお祈りしております。

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