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閲覧ありがとうございます。以下の考えをどう思います
閲覧ありがとうございます。以下の考えをどう思いますか? ■実在性■主客や抽象具象などの相対性において概念にはその意味の実在性に軽重がある。例外は虚実における実在性である。「虚-」は実在性の軽さの極みだし「実-」は実在性の重さの極みだ。実在するかしないかの二分法では虚実は矛盾概念になる。虚実の他は実在性に関して相対概念である。例えば善の実在性にも軽重がある。実-善と虚-善とが実在性に関して矛盾概念になるとするのが厳密ということになる。 ■虚実のジレンマ■イデアは概念で理解するほかに方法がない。しかし抽象概念は実在性が疑われる。イデアの実在(非虚構)は現実主義にとって虚構(非実在)である。逆に現実(非虚構)は理想主義では虚構(非実在)とされる。この虚実のアンチノミーはこう解される。実-イデアが実在し虚-イデアは実在しない。実-現実が実在し虚-現実は実在しないのである。虚-イデアや虚-現実を考えてしまうからジレンマになる。 ■虚実皮膜論■創作の世界で虚構を近松門左衛門はこう言う「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず」(虚実皮膜論)。虚構だからなんでもいいかというとそうはいかない。虚構に終始せずに真実味というものを出さねばならない。しかしいかにも現実であるようになってもいけない。そこに現実ではないものが必要だ。 ■虚構創作すべし■虚-イデアは実在しない。実-イデアの虚構として実-イデアが現実化する。現実が虚構なのではない。虚-現実は実在しない。実-現実の虚構として実-現実がイデア化する。イデアが虚構なのではない。虚構を創作すべしと思う。■虚構の意図、主題、媒体は様々あるだろう。自分は記号論理学がつまらない理由が分かった。例えばA∨A'(排中律)という恒真式だ。でもこれには現実感がない。恒真だとしても事実との一致がない。そこで真理をモデル事象として現実化した。サイコロ🎲で1️⃣と6️⃣の面が8頂点を含む。現実的で真実だ。理想がモデルとして現実になる。 ■多面的なものの見方■ サイコロの真理モデル事象を見て気づいたことの一例で、多面的なものの見方ということの意味の解釈がある。多視点的に8頂点を見るとすれば最低でも8つの視線が必要だ。だが1️⃣▽6️⃣ の表裏二面的な見方で十分とも言える。1️⃣▽2️⃣▽3️⃣の三面的見方には盲点がある。 ⬜️⚪️⬜️ ⚪️⚫️⚪️ ⚪️⚪️⚪️ ⬜️⚪️⬜️ 多面的な見方と言っても多ければいいというものでもない。8頂点を全て把握できる多面的見方は記号論理学いう恒真式(論理法則)になる。恒真式の表現は無数にある。とはいえ冗長なことは否めない。最適な多面視パターンを考えることが重要だ。一面視は偏見であるが対話で補完もできよう。相補的な二面が基本だ。他の論理法則もそれぞれの表現パターンに味わいがある。非論理的として虚実皮膜論を排除することは自分にはできない。その多面視形式はこう表せる。(1️⃣▲6️⃣)▲(6️⃣▲1️⃣) ⬜️⚫️⬜️ ⚫️⚫️⚫️ ⚫️⚫️⚫️ ⬜️⚫️⬜️ この反転が、西洋論理の1️⃣▽6️⃣などの真理観。 ⬜️⚪️⬜️ ⚪️⚪️⚪️ ⚪️⚪️⚪️ ⬜️⚪️⬜️ そして、即非の論理(鈴木大拙)は、(1️⃣▷6️⃣)▷1️⃣ ⬜️⚪️⬜️ ⚪️⚫️⚪️ ⚫️⚪️⚫️ ⬜️⚫️⬜️ 論理的には1️⃣になってしまうのだけど6️⃣に反転して1️⃣に帰る動画を想像して欲しい。絶対的矛盾的自己同一(西田幾多郎)も同じ。近松門左衛門も1️⃣と6️⃣を行き来する、動的表裏二面視である。
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- stmim
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「だったら答えなくていいよ」と言われそうだけど・・・ 興味ない。つまらなそう。空理空論で言葉遊び。衒学趣味。古臭い。 そんな感じです。 本当は何かすごいこと言っているのか知らないけど、自分がどう思うかと言われるとそんな感じです。
お礼
回答ありがとうございます。参考になります。