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もし大東亜共栄圏が続いていたら世界は…?

教科書にのっている歴史の意味ではなく、 もっと客観的な歴史を深くご存知の方にだけ、うかがいたく願います。 歴史にもしは禁物なのでしょうけれど、 もし、大東亜共栄圏が今日まで続いていたら 世界はどんな情勢になってしまっていたと思いますか? 日本は、アジアはどんな風になっていたと思えますか? ただ一言でも、当時の各国の情勢を含めた長文でも構いません。 ご想像をお聞かせ頂けますと、幸いです。

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  • eroero1919
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回答No.3

大東亜共栄圏そのものが後付けで作られたようなものでしたからね。実際問題、東アジア全体が日本の経済圏に入ったらどうすればいいかというビジョンは当時の日本には全くありませんでした。そもそも東条英機は優秀な軍人官僚で、経済のことなんかとんちんかんもいいところです。ただ、これは東条英機の問題じゃなくて、経済評論家を陸上自衛隊の指揮官にしても使い物にならないのと同じことだと思います。 太平洋戦争が開戦したとき、フィリピンを除けばおおむね日本軍は「解放者」として歓迎されました。当時の支配国はどこも白人国家。同じアジア人では日本だけが白人国家と渡り合っていましたからね。フィリピンでは歓迎されなかったのは、元々アメリカの元で独立の方向に向かって話が進んでいたからです。 しかしその「解放者」がどうだったかというと、結局は現地の経済をひどく混乱させただけでした。軍票という軍隊が発行する通貨を乱発したからとんでもないインフレになってしまったんです。まあ軍人に経済なんかわかりゃしないですからね。「足りなければ刷ればいい」てなもんです。 さて、戦前の日本というのは本質的には軽工業国家です。繊維なんかを作ることはある程度長けていたのですが、何よりも苦手としていたのが重工業でした。当時の重工業国家といえば、やはり筆頭はアメリカ。ドイツやイギリスが続いて、フランスも重工業が発達していましたし、ソ連も実は重工業国家です。 ソ連はアメリカやドイツに比べると質が劣ったものしか作れなかったのですが、実は当時の日本はそのソ連にも追いつけない程度の重工業製品しか作れなかったのです。 戦艦大和があるじゃないかと思うかもしれませんが、ああいう一品モノならまだなんとかなるんです。しかし、戦車や爆撃機みたいな「均一の製品を大量に作る」となるともう全然ダメ。 生産工場の世界に「クオリティコントロール」という用語があります。略してQCと呼ばれます。QCとは、質の高い製品を大量生産するノウハウのことを指します。実はこのQC、戦後にアメリカによってもたらされました。実は当時の日本の工場では「均一の製品を作る」ことができなかったのです。あのゼロ戦も、工場から持ってきたときは製品のバラつきがあまりにひどくすぐには使えない。それを現地の整備兵がアレコレ調整してようやく使える状態になるという状態だったのです。 さて、そういう国家が無理やりにでも東アジア国家をずーっと支配下にしたとします。いろんな状況から「それは無理」としかいいようがないのですが、「それは無視してくれ」というご質問なので無視します。 インドネシアなどには欧米による油田工場があったわけですが、それを維持管理して向上させる基礎となる工業力がないのですから、オンボロとなったメイドインUSAの施設をなんとか修理したりしながら使い続ける(当然能力などは落ちていきます)ことになります。 そういえば、とても近くの国でも、戦前に日本が作った発電所を今でも大事に使っている国があります。それを作り直す工業力がないからです。 そして、敗戦までの日本は軍事費に多くを投入することで国際的プレゼンスを維持しようという国家でもありました。 そういえば、軍事費をバカみたいにつぎ込んでそれで周辺国家を恫喝することで威信を保っている国がとても近くの国でありますね。 というわけで、もし今でも大東亜共栄圏が続いていたとしたら、東アジア全体が北朝鮮みたいになっていたのではないかと思います。 1940年頃、アメリカの自動車生産は年間約300万台で、多くが民需でした。同じ頃、日本は約2万台で、ほとんどが軍需でした。

noname#202167
質問者

お礼

とても詳しいご回答ありがとうございます。 多くの知らなかった事を知れてとても勉強になりました。 うっすら見えていた断片でも当時の日本は色々下手糞だとは 思っていましたが、世界から見たらそんなものだったのですね。 >東アジア全体が北朝鮮みたいになっていたのではないかと思います。 こんな状況にまで追い込まなくて良かった。 そんな気がします。 でも、少し。 日本の戦後復興のような活力がもし数国に備わり続けていたら 少し違った世界になっていたのかな? 等と思ってしまいました。 ご回答、ありがとうございました。勉強になります。

その他の回答 (4)

  • fereuwa
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回答No.5

いずれにしても滅んでいたとは思いますが・・・・。 でも後5年続けていたら、アフリカの諸国ももっと近代化が進んでいただろうと言われています。 あそこで負けてしまったから独立の気運はインドぐらいで止まってしまったんだと思います。 少なくとも東南アジアの文明はもっと進んでいた可能性は高いです。 現在まで続いて行くことが仮に出来ていたとしたら、自国の発展に力を入れることができず、今みたいに日本は経済大国になっていなかったように思います。(韓国の発展にお金を使いすぎたから東北地方のインフラが遅れたとの意見もある。)

noname#202167
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >後5年続けていたら、アフリカの諸国ももっと近代化が >進んでいただろうと言われています。 そうなのですか? アフリカの事は初耳で少し驚きました。 しかし、もっとアジアと一緒に発展できたら良かったのに・・と思いつつも、 国外のインフラ整備や教育、衛生改善に力を入れていましたし、 確かに自国の発展に力を入れられなかった と考えると 何か人としてやるせない葛藤のような気持ちも生まれますね…。 ご回答ありがとうございました。また1つ参考になりました。

  • pine048
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回答No.4

高校卒業以後、歴史の勉強していないので、「深くご存じ」ではないですけれど 「大東亜共栄圏」なるものが成立し持続するためには、 1.欧米列強がそれを容認する、または欧米列強と対抗することができること 2.中国や東南アジア諸国の民族主義や独立運動と調和し両立すること が条件になると思います。 1.は、日本がアメリカとの開戦を回避し、ヨーロッパで列強同士が戦っている間は、ひょっとしてあり得たかも?しかし、中長期的に見れば、経済力、軍事力、科学技術でアジアは圧倒的に劣っていたので、欧米から知識を導入しないことには近代化は達成できなかったでしょう。東アジア全体が明治の日本のように行動できるかということです。 2.のためには、軍事力支配、資源収奪、皇国化教育(それが大東亜共栄圏の現実だったと思いますが)ではなく、汎アジア主義的なものである必要があったと思います。しかし、1940年当時、それ以前の大陸進出(中国から見れば侵略)で反日意識は高まっていたでしょう。  日露戦争の後、清国から多数の留学生が希望に燃えて日本に来ていた時期、あるいは孫文の革命運動を日本人が支援していた時期(1905年~1917年くらい)に汎アジア主義を唱えていれば、なんとかなったのでは、と空想してます。 もうしそれがうまくいっていれば、日本語はアジアの共通語であり国連公用語の一つになっていたでしょう。

noname#202167
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 数回読みなおしてようやく何となく仰る事が解った気がします。 始まった時点でもう終わりへ向かっていた  とも言えるのでしょうかね。 もう少し歴史について詳しく知りたく思います。 1つの「もし」をお考え頂き、ありがとうございました。

  • nacht246
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回答No.2

「深くご存知の方 」ではないのですが、 あの 「状態」 のままでですか? ベトナムで反乱が起きてゲリラ戦に持ち込まれ、 フィリピンでアキノ民主化をまた軍隊で押さえ込んで、 アジア通貨危機で日本のほとんどの銀行が倒産し、 インドネシアの大津波で面倒見なくちゃならなくなって、 そこに東日本大震災・・・・・・・・・・・・。 かしら?

noname#202167
質問者

お礼

なるほどー。 あの頃のままの日本では、結局どこかに潰されて 落ち着くところに落ち着くだけだったのですね。 経済封鎖されなければベトナムに惨い事をせずに もっとこじんまりと収まっていたのでしょうか。 ご回答ありがとうございます。

回答No.1

現代社会は、東アジアも東南アジアも日本との経済関係が深い関係にあります。 現実のアジア経済は軍事的支配の無い大東亜共栄圏じゃないんですか?

noname#202167
質問者

お礼

なるほどそういう風にも見れるんですね。 参考になります。ご回答ありがとうございます。

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