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大東亜共栄圏というのは今日でいえば開発援助
大東亜共栄圏というのは、いわゆる「歴史認識」では 侵略の象徴のようになっています。 しかし、当時、現地の日本人たちがしていたことというのは、 おもには、周辺諸国の治安を守り開発を促す働きで、 今日でいえばPKOとか開発援助だったのではないでしょうか?
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>いわゆる「歴史認識」では この言葉は中国や韓国が使っている言葉です。 易姓革命という考え方に基づいて使われる言葉です。 歴史学というのは日本や欧米などでは史実に基づいて研究されますが、中国や韓国では現在の政権の正当性を担保するものとして彼等が「歴史」と呼ぶものが使われます。 正当性を担保しない史実は無視するか排除します。 ひらたく言えば現在の政権が如何に正当なものであるかというストーリーが先にあってそのストーリーを補完する為に史実が使われます。 中国では過去に王朝が変わる度に歴史書が作られたのはこのためです。 このストーリーを中国や韓国では「歴史認識」と表現します。 中国や韓国が日本に向かってよく「歴史認識を改めろ」と言いますが、史実の解釈やその意味づけが異なることを変えろと言っている訳ではありませんのでご注意下さい。 あたかも一般用語であるかのように「いわゆる歴史認識では」とされますと誤解が生じますのでご注意下さい >今日でいえばPKOとか開発援助だったのではないでしょうか? PROやODAとは違います。 むしろ現在中国の習政権が進めている一路一帯政策の方が該当します。 >侵略の象徴のようになっています。 当時は帝国主義の時代でしたので現在とは価値観が異なります。 植民地主義時代に続く帝国主義時代に日本の大東亜共栄圏構想だけが侵略行為だったと糾弾されるいわれはありません。 「侵略の象徴」と考えるのは現在の価値観に基づいた考え方です。 歴史学が難しいのは現在の価値観で史実を評価せずに、その史実が起きた時代の価値観で評価する必要があるというです。 言い方を変えますと時間軸に沿って振り返るのではなく時間軸を横から見る必要があるということです。 >現地の日本人たちがしていたことというのは、おもには、周辺諸国の治安を守り開発を促す働きで 当時は宗主国の力が強く特段治安は悪化していませんでした。 治安が悪化するのは日本の敗戦後に各国で宗主国の統治力が弱まり独立運動が起きた以降のことです。 当時の現地の日本人が行っていたのは現在のODAとは異なり当事国のためではなく日本のためでした。 現在中国が進めている一路一帯政策も中国中心の国際体制を確立することが目的です。 当初は現地の政府も近代的なビルや港湾などの建造物が残されることを歓迎していました。 経済援助も日本やIMFのようにやかましいことを言わずに多額の資金をほぼ無条件に提供いしていたことから歓迎していました。 実際には、建造物の建設工事に中国人が大挙して押しかけて現地の人達が雇用されることはありませんでした。 この建設工事に従事する中国人を相手に商売をする商人も押しかけていました 開拓された農地も中国人が耕作していて現地の人達は土地を奪われ収穫した農作物を買わされるだけです 農村がそっくり移住してくるという現象が起きています。 結果的に中国政府が投入した資金を中国人が持ち帰っています。 最近このような事態に気が付いた現地政府は中国による経済植民地化だと言って見直しを始めています。 例:メコン川流域開発の見直し、インドネシア高速鉄道計画の見直しetc 大東亜共栄圏構想も欧米の宗主国を追い出して日本中心の経済圏を作る構想でしたので現在の中国の一路一帯構想と大差ありません。
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- dragon-man
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大東亜共栄圏はもともと八紘一宇、五族協和という理念を国際政治理念に敷衍したものです。「八紘一宇」は世界の国々が一つの屋根の下で暮らす事を意味し、「五族協和」はもともと支那にあった民族共和概念で、漢・満・蒙・回・蔵の五族が仲良くし合うことを意味します。つまりアジアの国々が経済と安全保障で一つにまとまることで、今のヨーロッパ共同体(EU)に近い概念です。当時日本を除くアジアの国は、中国を含めて欧米の植民地でした。それに危うさ(植民地を失う危うさ)を感じた欧米が日本の軍国主義のプロパガンダ扱いしたのです。ほかの回答者も言われていますが、歴史認識とは関係ありません。歴史的事実です。「歴史認識」は中国、韓国の反日用語ですから、それとごちゃ混ぜにして議論しない方がいいです。EUとおなじで、あくまで国際政治理念です。
お礼
ありがとうございます。 「歴史認識」というのは一般用語ではなく、中韓の反日用語なんですね。
お礼
ありがとうございます。 ようするに「経済圏」のせめぎあいをしているんですね。 昔とはスタイルが変わってきているだけで。