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ドイツ語の哲学用単語に絡んだ質問です

或る古い論文にあったのですが、マイノングの対象論をふまえて、次の(イ)と(ロ)の違いは何か。 (1) (イ)Objekt (ロ)Objekte (2) (イ)Objektiv (ロ)Objektive (3) (イ)Fundament (ロ)Fundamente もちろん日本語の論文なのですが、これらは註釈なしで登場しているので、不確かな理解になって仕舞うので、お教え願いたいのです。 (1)(2)については、 Objekt・Objektivが、客体・客観的なるものというマイノング固有の意味を持つことは、哲学辞典で確認はしています。この二つの間も微妙ではあっても、前者は「表象の対象」、後者は「判断、仮想の対象」と『対象論』が取りあげているモノですね。 これに「e」が附くとどう意味が変るのか、それが疑問なのです。 推測としては、(イ)はマイノングの学術語であるが、「e」が附く方(ロ)は、日常会話的な意味あいで、何を指すかは文脈の中で定まる。 「Objektive」については「Objektive(Urteilsgegenstände)」という一文を見付けたのですが、「判断の対象」とは「Objektiv」より一つ意味が狭いですから、その意味は文脈による、と見えます。 あるいは、(イ)は普遍的、(ロ)は特殊的となる意味合い、あるいは(イ)(ロ)逆の意、が有るのか。 (1)の例文は、関係・相違などの「高次の対象」の話しが登場する所で、 「ObjektとしてのRelat は関係に立入る項としての Objekte を前提しないでは成立し得ない。前者は後者の上に、言わば築き上げられて居るのである。」 (3)は、(イ)が一例、(ロ)が二例に過ぎないので入れ替えても分らない感じですが、マイノングの論文では両方が多数登場しています。(イ)が根拠・前提、(ロ)が根拠・前提となる或るモノを意味するのか、と思ったのですが、いかがでしょうか。 例文は、 「土台となる対象が Fundament と呼ばれる」 「高次の対象は一方に項を Fundamente として前提し」 マイノングが厳密に使い分けているかどうかというと大きな話しになるので、ここは軽く、ドイツ人なら使い分けするのをどう受け取るか、という観点からでもお聞きしたいのですが。 因みにGoogle翻訳では (1)(イ)プロパティ、(ロ)オブジェクト、(2)ともにレンズ、(3)(イ)財団、(ロ)基礎、となります。これではヒントにもならないな、と。 マイノングの訳本は昭和の初めに一冊出ただけで、近くの図書館には置いていないし、あったとしても訳語を確定するのは私には難しい、と思います。ドイツ語の勉強は全くしたことがない者ですので、つまらない疑問だろうとは思いますが、ご教授の程よろしく。

みんなの回答

noname#144675
noname#144675
回答No.2

>知識の拡がりが、切りがなさそうな方面は切って捨ててしまいます。 いいことだと思います。 デジタル革命が起こってから、ある程度の振り分け・掬いわけは必然的ですし理知的であると思います。 実際に古本に埋もれ朽ち果てていく文化もありますし。継承と痕跡がクローズアップされるということです。 >この論文にもBrentanoやMartyやBolzanoやが登場しますが、 >どう名前が入れ替わっても構わない感じで読み飛ばしています。 確かに重要な人たちではありません。歴史をやっているとして ブレンターノは大事かもしれませんが・・・ >>参照すべきは、言語学を基礎とした視点で…… > それを近道する手はないもんでしょうかね。 ありますよ。ここ(マイノング関係)ででてくる 文法用語は、 国文法・英語文法がわかれば基本的に入れると思います。 >「メタ名詞」「メタ修辞」という言葉は、私の知る語彙にはないもので、二つの違いのご説明は理解出来ません。 というのは、 分析哲学的に見たときの概念ですから、 普通に人に潜在的な言語カテゴリーの傾向性としての「名詞」・ 「名詞につく飾り言葉および存在(『である』という表現)への叙述」と言い換えてもよいと思います。 >Fundamentは Fundament sg. Fundamente pl. >具体的テーマとしては 日本英語教育界には、ラッセル擁護の立場の方が多いようです。 そういう前提からマイノングを批判する方が多く、分析哲学という立場から、 「存在しない存在」というのはない ときめつけて、心理的側面からの研究を怠ってきたということがあります。 ドイツ語が隆盛していたことはバランスが取れていたのですが、 今は観念論的に議論をする人が減ってきて、独仏文学を英語で読んで 論文を書くような人ばかりになりましたから、理解できるような文章で 書いている人も少なくなってきているようです。 マイノング敵観点から もっと日本人にとって有用な視点としては、形容詞の「ない」が 厳密に「事象の否定」を文法的・さらに修辞的に表しているという事実です。 (文法論としてはエアフルトのトーマス参照のこと) 日本語の「ない」という叙述には 否定経験に対する「自然主義」というようなニュアンスがあります。 >「文章」という面から、つまり言語、文法という側面からの切り方は、必要ではあっても、 >それらは事の側面に過ぎなかろう、という感じで読んでいます。 それでいいとおもいます。 ベンジャミンなんかよりは はりのある文章ですから。

old_sho
質問者

お礼

重ねてのご回答有難うございます。 別件ですが、いくつかQ&Aを見た中に、論理の話で、 命題「手形は有価証券である。」を「A=B」とおいて論じている回答例があります。オイオイそれは無いだろう、誰かちゃんと言ってやらなきゃ、と思っているうちに閉じてしまいましたね。こういう命題を、述語論理などをもち出さずにさらりと説明しあえるためには、「国語」の中にも日本語の論理という項目が要るのかな?と感じました。 名詞「手形」が指すObjektAと名詞「有価証券」が指すObjektBとすると、 「AはBである」 の「である」とは、如何なる意味(=この命題のObjektiv)か。或る回答者はAとBについての知識が前提とされる、と考えて居られます。しかし、例題のもとになった野矢茂樹さんは、普通に、それは知識なしで A⊂B を意味する、とお考えだったのでしょう。 論理を勉強するにも、「判断論=命題論」をやっておかなければ?かな。 牛歩にも追付かない歩みですが。 取り合えず、日本語に直すと、大きく異なるものでない、と見れますね。前提・基礎・土台などというのは、日本語では単数であるか複数であるかを先ずは問わないですね。言わば「集合」名詞で、「前提がある」というのは前提集合が空集合ではないと言っているだけで、一つかそれ以上あると考えるのが普通という所でしょうか。 ドイツ語の単・複も知らなかったのか、という嘲笑を背に質問を閉じることにしましょう。 「メタ」の件ですが、続いて関連論文を読んでいると、Laskのmetagrammatischというものを目にしました。そういえばそんなことも聞いた事がありますネ。文法というのは、言語の上に言語体系を綴るのですから、もともと「メタ」の領域にあるのに、更にその上をというのはどうかな、と感じたのでした。避けずに、Objekt・Objektivもそっちから見るというのを念頭に置いておきたいと思います。---以上をお礼の言葉として。

noname#144675
noname#144675
回答No.1

結論から述べると 使い分けています。 マイノングは、ブレンターノの弟子で、矛盾を含む文章を 「これこれは矛盾である」 だけで終わらせたくないという意図から、 メタ対象論を展開しました。 参照すべきは、言語学を基礎とした視点での形容詞のプロパティ性と名詞化された対象との間の関係です。 古典的には、アリストテレスが、さらにもっと具体的には、トマス・アクィナスが着眼していますが、 人間の理性と哲学的評価の関係です。 固有名詞を持ちうる名詞とその他の名詞の関係 形容詞と名詞の関係 形容詞の「動的」分類の問題が 主な問題点ですが、基本的視点としてまとめると、 形容詞の根源は理性にあるとみなすやり方です。 Objektとは 哲学的カテゴリーに当てはめるとメタ名詞の一般的表現か、その代表としてのひとつということです。 Objekteというとメタ名詞に含まれる要素としての多様な個別名詞群といえます。 Objektivというのが、マイノング独特の用語で 他との類推並列という形で実用化する「理性的メタ修辞」の一般的名称であり、Objektiveは、かくなる「メタ修辞」に所属する個々の「修辞群」です。 Fundamentは複数か単数かというだけの使い分けです。 具体的テーマとしては 名詞的区分としては、 五月雨・霧雨・雨の区分 日本における「お湯」の存在 形容詞区分としては、 かわいいの限定性 と名詞の関係 擬声語の名詞転用的形容修辞とか 形容詞句の名詞に対する関係への理性的基礎付けなどです。 極論すると ぱっつんなひと というのは存在するか? ということを修辞則から基礎付けようとすること=理性主義存在論だと認識いたします。 論文の著者がそのことについて理解しているかどうかというのは別問題ですが・・・

old_sho
質問者

お礼

即日のご回答有難うございます。 折角のご回答ですが、私の理解の範囲をつなげると、自分で勉強せよ、という結論でしょうか。 若い頃は、一つの疑問から新たな疑問が生れと知識の拡がりが楽しいと思いました。今は然し、その拡がりに切りがなさそうな方面は切って捨ててしまいますね。この論文にもBrentanoやMartyやBolzanoやが登場しますが、どう名前が入れ替わっても構わない感じで読み飛ばしています。こっちは哲学科の学生でもないのだから、という感じでしょうか。 >参照すべきは、言語学を基礎とした視点で…… それを近道する手はないもんでしょうかね。 「メタ名詞」「メタ修辞」という言葉は、私の知る語彙にはないもので、二つの違いのご説明は理解出来ません。 >Fundamentは複数か単数かというだけの使い分けです。 どっちがそれなのでしょうか。もと、ドイツ語の単・複はどう表現されるのかさえ調べていない怠け者です、あしからず。 >具体的テーマとしては 云々以下に関しては、そのお話しが、どこに懸かるのかさえ不明なのです。 「判断・命題」に絡んだ話しではあるのですが、「文章」という面から、つまり言語、文法という側面からの切り方は、必要ではあっても、それらは事の側面に過ぎなかろう、という感じで読んでいます。 遺憾ながら、ご回答を生かせる質問者ではなかったと言うことで。