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ご落胤について

歴史に詳しい方に質問したいのですが、江戸時代、藩主のご落胤はどのような処遇を受けたのでしょうか。

みんなの回答

  • tanuki4u
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回答No.2

隠れ住む・・・といえば、平家落人伝承や、薩摩の秀頼ご落胤伝承などが有名ですが、藩主の落胤伝承というのは、余り聞いたことがございません(歴史の研究家でもないので、私の管見ですが) 加賀藩といえば、能登の時国家が、平家落人というか、末裔として有名ですね。 また、隠れ住む。。。とかいう文脈では惟喬親王伝承なんかが有名です。(加賀ですと参照URL) お役に立てずにすみません。

参考URL:
http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/yamanaka/history/kigen_00.htm
fu-5
質問者

補足

ありがとうございます。参考URLに出ていた真砂村に近い集落なのですが、違うようです。有名でないところです。浄土真宗とか織田信長とか平家の落人とかごちゃごちゃしていたので歴史の研究家の方にもわからないことがあると思います。 でもご落胤を預かっていたのだから血筋が信頼できるものであったか、加賀藩主とつながりがあったのでしょうか。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

ご落胤の成り上がりの王者は、八代将軍吉宗ですね。 和歌山藩主が、領内巡回だかのついでに「風呂を貸せ」と、入った風呂でつい、むらむらっときて、出来たのが吉宗。 村の名主から「おそれながら・・・」と申請があって、認知→部屋住み→将軍綱吉の認定→小藩の領主→和歌山藩藩主→将軍と 成り上がりです。 具体的にだれが、どうかというのは忘れましたが、藩主の仕事は(将軍もそうですけど)男の後継者を作ることだったので、また、一人で藩主が徘徊することもなかったので、「●月●日、殿様 だれだれと いたす」なんて、記憶されて、落胤はもれなく拾い上げられていたようです。

fu-5
質問者

お礼

ありがとうございます。 実は母方の祖先一族が“他の血を混ぜないように”と隠れ住んでいたという集落に加賀藩のご落胤もいたということです。 ご落胤をあずかったり、他の血を混ぜないようにしていたというその集落がどういうものだったのか知りたいと思ったので質問してみました。

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