- ベストアンサー
江戸時代どうすれば医者になれましたか?
江戸時代どうすれば医者になれましたか? 先生について修行するのは当たり前ですが、その後開業するにはどのような 手続きが必要だったのでしょうか? 藩主に許可を願い出る必要がありましたか。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
鳥取藩の例ですが、安永5年(1776)4月、町方在方にたいして次のような御触が出されています。 近来百姓町人共之内、医術心懸有之由ニて、医師門弟二相頼候て、直ニ名字を付キ已後は医道等閑致し候者共、有之様相聞候。夫々之職分を捨、剰入門之業事をも不相勤段、不届之事候。(後略) 村における医師の存在形態 -近世後期の鳥取藩領を例として- (2/34ページ) https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/1630/1/sundaishigaku_90_150.pdf この御触が出たということは、免許皆伝どころか、ろくに修行もせずに医師を名乗って開業する輩が、鳥取の城下や村にはいたと推測できます。 また、京都本願寺詣りや長崎での医学修業の帰途にたまたまこの地に宿泊したため、村人から請われるまま村に住居し、開業したような例もあります。 他国から来て鳥取藩領の村で開業した14名の例が記載されています。(26,27/34) この場合、村から藩に許可願いを出していますから、事後承認の形ですが、藩の許可を得ていると言えるでしょう。(28/34他多数の例あり) 村人がいかに医師を欲していたのか、事情がよく解ります。 >開業するにはどのような手続きが必要だったか。 鳥取藩だけのことかも知れませんが、藩医のもとで修行し、そして医師として開業する場合は、藩主の許可が必要でした。 内弟子になるのにも藩の許可が必要でした。(10/34ページ) 藩医に関わりのない場合は、上記のように他国者であっても「村」では腕次第で開業しています。 ところが、都会ではどうなのでしょうか。 都会の町医者は、尊敬に値する職業ではなかった、と何かの本で読みました。 ということは、未熟でも自由に開業できたからこそ、そのように言われていたのではないか、と思います。 余談ですが、鳥取藩の百姓から江戸幕府の御医師になった例(12/34)、宮中の御典医になった例(12/34)もあります。 きびしい身分制のもと、職業選択の自由が認められぬ時代にあっても、このような地位に就いた村人がいたことに驚いています。
その他の回答 (4)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
現代のような資格試験に通るとかの 必要はありません。 誰でも開業できます。 ただ、実際には医者の師匠の下で修行して 技術や経験を会得してから、独立、という ことになります。 その場合、師匠からのれん分けをしてもらうこと が多いですね。 零から患者を集めるのは大変ですから。 現代よりも、人脈が要求されたでしょう。 師匠の娘と結婚して、後を継ぐてことも あるでしょう。 広目という広告業者がおりましたので、 そういうのを使ったかもしれません。
- mekuriya
- ベストアンサー率27% (1118/4052)
師匠から免許皆伝のお墨付きを貰えれば開業できます。うまくいけば師匠の娘に婿入りして家督を継げます。藩主は何の権限も権威もない。師匠から貰ったお墨付きを免状というのです。家督も継ぐ事が出来れば、八代目江戸屋彦左衛門といった名跡も名乗ることが許されます。医者に限らず、どんな世界でも師匠から弟子に技能が継承されたのです。藩医になれば箔がつくけれど、その代わり役を解かれない限り、他の藩には行けない。どの医者も自分の技能を引き継ぐ弟子が欲しいわけですが、世間の評判が良い医者に弟子入りしたいと候補生も考えるわけです。師匠の機嫌を損ねたら破門で医者の道が絶たれるから弟子も必死に修行を積むわけです。手続きとか定められていたわけでなく、世間から認められるかどうかです。その証明が免状です。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
別に明日から突然医者の看板を掲げてもなんの問題もありません。それで患者がくるかどうかはまた話は別ですが。
- gonshingo
- ベストアンサー率21% (51/237)
基本的にはいらない だからこそ、落語や時代劇では浪人あがりが医者だったりするわけです
お礼
ありがとうございます。 調べてみると佐賀藩で「医業免札姓名簿」が残されていました。 「佐賀藩が開業を許可し、免札(免許)を与えた医師の名簿です。免札は、医学寮で学ぶなどして、資格を得た医師に与えられる決まりでした。この制度は現在行われている医師免許制度のさきがけとなるものです。」 の説明がありました。 藩により免状制があったようですね。