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過去の助動詞の「き」についての愚問です。

或るページ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%88%B6)の情報によりますと、過去の助動詞の「き」が使われている時には、「今無くなった事情」を表現しているそうですが、それを踏まえますと、次の言葉の意味が分かりませんので、伺います。 「『初めに言葉ありき』という表現の『き』は、 『(教義通りの)言葉の喪失』を意味しているのでしょうか?」 此の質問には宗教的な意図は全く御座いませんでして、単純に古典文法の勉強の為に伺っておりますから、御教授を宜しく御願い申し上げます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • fumkum
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回答No.6

こんにちは 該当部分は、「前者は、過去にあって、それが今はなくなったという意味があり、後者は、現在の事態から過去に思いを馳せることを表す[16]。現代の「タ」と異なり、これらは絶対的な過去を表し、相対時制としては使われない。「き」を経験、「けり」を伝聞とする解釈もあるが、当てはまらないことがある」とする部分だと思います。これは、「き」の経験過去、「けり」の伝聞・回想過去の意味を否定しているわけではなく、両語の持つ他の性質を述べていると思います。今問題にされている、「前者は、過去にあって、それが今はなくなったという意味があり、」の部分ですが、「き」は過ぎ去ったこと、「けり」は過ぎ去ったことが今も継続していることとして述べていることが原義でしたが、平安時代の早い段階から、「き」の直接経験過去、「けり」の(間接)伝聞・回想過去の意味となったとされています。 さて、「『初めに言葉ありき』という表現の『き』は、『(教義通りの)言葉の喪失』を意味しているのでしょうか?」の問いですが、「き」には直接経験過去以外に、「過去にあったと信じられる事実を回想していう意味を表す。」・「はっきりした事実には経験しない場合にも使われる。」という、意味・性質を持っています。つまり、旧約聖書の『初めに言葉ありき』の「き」は、「過去にあったと信じられる事実」・「はっきりした事実」を表していると思います。 ところで、時制の一致についてですが、物語における時制の一致は、物語の本質にかかわる事柄だと思っています。「ものをかたる」=話す・しゃべるが、文字化されて行く。話が作られ、語られ、文字化する。この中には、人から人へと語り伝えられ、物語られた作品もあっただろうと思います。「竹取物語」を「伝奇物語」・「つくり物語」と分類するのはこのような性質があったからで、物語は回想性や伝承性を持っていたと思います。ですから、物語の地の文に「けり」が用いられるのは、「伝承回想」の性質によるのではないかと思います。 次に、源氏物語の「円循環的時間秩序」についてですが、構成の中にあるのではと思います。源氏は継母の藤壺と密通して、後の冷泉帝が誕生する。同じように源氏の正室である女三宮は柏木と密通して不義の子薫を生む。その薫をわが子として抱く源氏。一般には因果応報として考えられています。また、作者である紫式部の歴史観ー日本紀などは本当の歴史ではなく、物語の中に歴史の本質はあるとの考え方によるともおもいます。歴史は繰り返される。そこに「円循環的時間秩序」が成立しているのではないかとおもいます。 勝手なことを書き綴って申し訳ありません。一応、文献や辞書にあたってから書いています。

JidousyaGaisya
質問者

補足

http://okwave.jp/qa/q6728122.html”への回答にも御協力を賜れまして、非常に助かっております。 折角の貴重な機会で御座いますので、此処で終えるのが勿体無く思われますから、畏れ入りますが、追加の質問をさせて下さい。 英米語の時制の場合には、間接話法の様なディレクトリ型階層構造が介在している、と思われますが、日本の古語にもそれに似た時制概念が存在していた、と言えそうでしょうか? もし可能でしたら御教授を宜しく御願い申し上げます。

その他の回答 (5)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

はじめに人間が在った、言葉の規則は後から出来た、と言う視点をお忘れになっているように、私には思えます。人間は規則に従って生きているのではありません。規則を臨機応変に使いながら生きているのです。そして、言葉は相手にこちらの意志や感情を伝えるものです。それが誤解なく相手に伝わっていることの方のが、規則に従っていることよりも重要なのです。ですから、ある時代ある学者が解釈した文法を金科玉条のように信奉するのは、本末転倒だと思います。 さて、質問者さんはそれでも、その学者さんの解釈に同意して、「『初めに言葉ありき』という表現の『き』は、『(教義通りの)言葉の喪失』を意味している」のだと解釈致しますか?それとも人間の使う言葉の用法には避けて通れない例外あると言うことを認めるわけにはいかないとお考えで、今後未来永劫に変わらない完璧な文法を構築すべきだとのお考えですか?もしそうだとしたら、それはそれで結構で、他人がとやかく言う問題ではありませんが、質問者さんが他の方と言葉を使いながら意思伝達するのは大変だと私には思えます。 さらにその時代の人間の都合で妥協して出来た筈の規則であるにも拘らず、その規則からの逸脱を認めない態度は、言葉の持つ創造性の目を潰してしまうことになっているとも思えます。 実は、この問題は大変深い問題を孕んでいると私には思えます。西洋人は、Lawsという言葉で、法律と法則を一緒くたにして捉えているのですが、日本人は、その言葉の縮退を解いて、法律と法則の区別をして居ります。文法学は言葉の裏にあるLawsを探ろうとしている学問ですが、質問者さんはその言葉の裏にある、法律を探ろうとしている学問なのか、法則を探ろうとしている学問なのか、あるいは、何か別な概念で表されることを探ろうとしている学問なのか、どのように考えているのでしょうか。その答えによって、貴方の質問が有意義な質問であるのか、余り重要でない質問なのかの認識が違って来る物と思えます。今までの一連の質問で、質問者さんは文法に並々ならぬ感心があられるようにお見受けしましたが、文法の各論ばかりでなく、文法学とは何か、なんて言う質問を考えてみるのも面白いのではないですか。

JidousyaGaisya
質問者

補足

度々の御教授を下さいまして、誠に有り難う御座います。 私の学習の度合いでは、Lawsの意味を上手く使い分けられませんので、このサイトへの参加を望みました切っ掛けしか申し上げられませんが、「意志伝達の手段が集団によって共有されていく歴史的な過程の途上で、どうやって多様な言語の独特な形式(文法)が各地で受け入れられていったのか」、という謎につきましての質問を提出させて頂きたい、と考えていました。そこで、その前の準備を整えなければいけない、と思われましたので、先ず文法の破格の指摘に拘った質問を繰り返させて頂いておりました。 (「連歌」への興味もがそれに起因しています。) 然しながら、それでは足らないのですね。確かに、どの様な道具を扱う場合にも、それ等の開発者が検証なさった方式での利用に留めていますと、改良点が見付かり難くなりますので、規則を破ってくれる方々の御蔭で、文化は進歩を辿っていくのだろう、と思いますので、その考え方から言語・文法を抜いてしまっている誤りの存在に気付かせて頂けました。 今後にも御教授を賜りたいものですから、卑しい立場の私からの偉そうな発言への御容赦を御願い申し上げます。

noname#194996
noname#194996
回答No.4

> 「『初めに言葉ありき』という表現 当時の訳者が「『初めに言葉あり』と無難に訳しておけば良いものを、ちょっと格好をつけて(そのほうがよく響くと思い)余計なものをつけてしまったのだと思います。 まあ、悪意はなく、文脈をたどれば誤解のしようもない単純な文章ですから、さほど悪いとは思いませんが、たまには質問者様のように緻密に考え、疑問を持つひともあるので、やはりこれはいらぬ過剰装飾だったのだと思います。

JidousyaGaisya
質問者

お礼

私の見落としの存在に気付きましたので、 御教授を賜れますと有り難いものですから、伺わせて下さい。 「『初めに言葉有りき』という表現には、時制の一致が絡んでいないのでしょうか?」 もし支障が御座いませんでしたら、御教授を御願い申し上げます。

JidousyaGaisya
質問者

補足

有り難う御座います。 過剰装飾に拘る指摘は不毛なのでしょうね。 或る文章での文法的な解釈が食い違いますと、 他の文章を読ませて頂く際の文法的な解釈へも修正を加えないといけなくなるだろう、と考えまして、此の質問を提出させて頂きました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

>「『初めに言葉ありき』という表現の『き』は、 『(教義通りの)言葉の喪失』を意味しているのでしょうか?」 : ウィキの説明によるとそのように見えますね。 「言葉というもの自体の喪失」という意味に捉えてしまうこともできるのでしょうが、 「ある特殊な言葉(たとえば神が口にした言葉など)が、その時にあったが今は無い」という解釈もできるのかな、とか思ったりしました。 聖書は全く知らないので確信はありません。     

JidousyaGaisya
質問者

補足

冷静な分析に基づいた御意見を賜れまして、有り難う御座います。 断片的な表現へ私が注目したのは偏見なのかも知れませんが、 表題とも見做され得る重要な箇所の表現になっていますので、 重要性が高いだろう、と思われましたから、感謝を致します。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

こんにちは。 その Wikipedia 記事を踏まえて、とのご質問ですから、それにお答えします。 「ありき」:「ありました」 「ありけり」:「ありましたねえ」あるいは「ありましたなあ」 と考えればよいです。

JidousyaGaisya
質問者

補足

有り難う御座います。 因みに折角ですから伺わせて下さい。 『「(言葉の様に)無くなっていないと思われます対象」の事に言及する場合にも、過去の助動詞の「き」の適用が望ましいのでしょうか?』

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.1

はじめに言葉ありき^>ヨハネによる福音書一章一節文語版からの引用でしょうか 口語版新共同訳[現在使われている聖書]では、 「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。」で始まります。 言葉ありきの助動詞「き」は過去にあったことを思い起こす「き」ではないでしょうか。 原初言葉は神とともにあったその後のいきさつ・・・言葉は肉となって私達の間に宿られた 以降最後の18節にかかります。 「教義通りの言葉の喪失」とはどういう意味でしょうか。 ここは聖書読解の場ではありませんので、ご自分で1節全てお読みください。 大変分かり易く書かれています。 それでもご理解い、いただけない場合は宗教のカテでおたずねください。

JidousyaGaisya
質問者

お礼

既に失われた対象の価値を振り返って嘆いている場合に、過去の助動詞の「き」が用いられるのではないのでしょうか? 「けり」の用途にも「詠嘆」が含まれていた、と記憶していますので、Wikipediaでの解説が気になったものですから、教えて頂けませんでしょうか?

JidousyaGaisya
質問者

補足

すいませんでした。Wikipediaの当該ページに次の通りの記述が御座いましたので、「思いを馳せている」という意味合いではなさそうに思われましたから、「き」と「けり」との意味の違いの再確認の為の御協力を賜りたい、と願いまして、此の質問を提出させて頂きました。 【此処からは引用の内容です。】平安時代までの日本語では、過去を表す助動詞は「き」と「けり」だった。前者は、過去にあって、それが今はなくなったという意味があり、後者は、現在の事態から過去に思いを馳せることを表す[16]。現代の「タ」と異なり、これらは絶対的な過去を表し、相対時制としては使われない。「き」を経験、「けり」を伝聞とする解釈もあるが、当てはまらないことがある。

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