- ベストアンサー
江戸藩邸で食べる米の出どころ
江戸時代、諸国の江戸藩邸では食べる米はどこのものだったのでしょうか? 領地で収穫した米を運ばせたのかしらと思いましたが、遠いと運送が大変そうだなあと感じますし、江戸で米を買うとなると高くつきそうに思います。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (4)
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
回答No.2
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1
お礼
勉強になります。 補足質問にもお付き合いいただきありがとうございました。 新田開発ぶんが生きて実収百万石規模になるのは四代将軍家綱の頃でしょうかね。 仙台藩、廻米でネット検索したところ、宮城県の博物館サイトで、最盛期30万石と説明してあるのを見つけました。そこには、仙台藩の場合、廻米を江戸で売ると買い上げ費用の七倍の金額(安定的なのか、最盛期なのかは不明)になったと書いてました。 この江戸の米の値段の高さを考えると、領地から運び込むほうが経済的な藩がずいぶんあったように思いました。実際に運んだかは別として、廻米でネット検索すると仙台藩以外の情報も得られて興味深いです。 現状で回答を私の調べも加えてまとめると、江戸の米の値段はべらぼうに高かったので、いくつかの藩は運搬費用などの経費より経済的とみて持ち込んで食していたと推測され、仙台藩に至ってはさらにその上をいく発想で江戸に持ち込んだ米を売ってまでいた、というところのようですね。