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歴史学者「江戸時代の人は米を食べていなかった」
歴史学者「江戸時代の人は米を食べていなかった」 え?日本は農作で米を作ってたのに作った米は他国に輸出でもしてたんですか? 作った米はどこに消えた?
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1700年代初めころは人口が約3000万人で,全国の水田面積は約170万町歩です。1反歩当り1.2石の米が収穫できるとすれば2040万石で百姓以外の人口約500万人が500万石を消費し,酒造に250万石を,種もみ用に70万石を消費したとしても,百姓2500万人が1220万石を消費できることになります。1人あたり約0.5石ですね。 このような統計を基にした推計と,当時の百姓の生活の記録をもとにすれば,米,麦,稗,粟,黍などを食べていたと考えられ,そのうちのコメの割合は約半分であったと推計されます。
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- staratras
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「振り米」(ふりごめ)という伝説的な言葉が回答者の郷里にありました。 重病人の枕もとで袋や竹筒に入った米を振って音を聞かせると、「病気が治ったら米が食える」と考えて病人が快復するというのですが、昔この地域ではそれだけ米が貴重品だったということになります。(この言葉が伝わっていたのは米の収穫量が乏しい山間部の畑作地帯です) 一方で江戸時代には「江戸わずらい」という病気がありました。今でいう「脚気(かっけ)」のことでビタミンB1の欠乏が原因です。興味深いことに、この江戸わずらいにかかった病人もふるさとの田舎に帰ると治ることが当時から知られていました。これは江戸では精白した白米を食べていたため、ぬかなどに含まれるビタミンB1が摂取できなかったからだと考えられます、田舎では麦などビタミンB1を含む食品を多く食べられたために回復したのでしょう。 この二つの言葉からわかるのは、「江戸時代の人が米を食べていたかどうか」は、地域や社会階層によって大差があり、白米ばかり食べていた江戸のような大都市もあれば、米をほとんど食べられなかった畑作地帯の貧しい村もあったということです。「どのくらい食べていたか」を検討するには地域と時代を区切って丁寧に調べる必要があるということになります。 ただし精白した米ばかり食べて「江戸わずらい」になったことを考えると、「白米が食べられる」江戸の食生活が必ずしも健康的で幸福だったとは言えない点は皮肉なことです。
- rikimatu
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米を食べていたのは都心部や上流階級の人たちで 農民は主に雑穀を食べていました。 農民は全く食べていなかったわけではなく年貢で納めた手元に残った米を売って 肥料などを買いさらに残った米はめでたい席に(正月など)食べていたみたいです。どこかの地域の神事で大盛りのご飯を食べるというのがその名残みたいです。 ちなみに、今みたいに日本全国、国民が米を食べるようになったのは終戦後の配給制からみたいですよ。
- あずき なな(@azuki-7)
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コメを食べてたのは将軍とか貴族とか上流階級だけ 農民は食べてません 当時武士とかの割合は人口比率で見ると圧倒的に少ない なので大多数の日本人は当時コメを食べていませんでした
- tzd78886
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米は金代わりです。つまり、税金や給料として使われていました。それを米屋に売却して金に換えていたわけです。米を常食にしていたのは都市住民だけで、大半を占める農民は雑穀やイモが主食でした。
お礼
みんなありがとう