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江戸時代の朝廷の石高は、全て合わせて何万石ぐらい?

江戸時代の朝廷は、天皇・皇族・公家等の領地や石高を全て合わせて、全部で何万石ぐらいだったのでしょうか? 江戸時代の朝廷は、天皇、皇族、公家など全て合わせて、(彼らの領地や、そこから得られるのは)何万石ぐらいであったのかを知りたいです。 江戸時代の朝廷は、天皇、皇族、公家など全て合わせて、何万石ぐらいであったのかを教えてください。

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  • f272
  • ベストアンサー率46% (8477/18147)
回答No.1

江戸時代の初めころであれば,合わせて4万石くらいです。 江戸時代の終わりころであれば,合わせて10万石くらいです。

noname#245899
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • oska2
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回答No.2

>江戸時代の朝廷は、天皇・皇族・公家等の領地や石高を全て合わせて、全部で何万石ぐらいだったのでしょうか? 天皇・皇族一族で、1万石。 公家全員で、3万石。 この予算で、天皇・皇族・公家は屋敷の維持・生活費などを払っていました。 ですから、多くの公家は「貧乏人」だったのですね。 内職(かるた作成など)、せっせと勤しんでいましたよ。 公武合体により、将軍家と天皇系は親族になりますよね。 そこで、天皇・皇族一族で3万石。公家一族で4万石となりました。 この石高でも、生活苦は変わりません。^^; ※この配分では、公家のトップである近衛家でも実質2000石に過ぎません。(屋敷・庭の修復も儘なりません) ※三条実美などの下級公家だと、悲しい生活が想像できます。 ※岩倉具視なんか、実質60石しかありません。自宅で、賭博場を開いていた事は有名です。 ※面白い逸話が残っています。 ※孝明天皇が裕宮(後の明治天皇)を伴って買い物に来ると、多くのお店は「天皇さんが来た。店を閉めろ」となったそうな。 ※お金がない天皇に、裕宮が「これ買って!」と言うのが不憫だからとの事です。 幕末、テロが多発する様になると「朝廷への忖度」として合計10万石となります。 「幕府・将軍家は、天皇を粗末に扱っていないぞよ!」 まぁ、10万石でも「幕末の江戸城大奥の予算よりも少ない」のです。

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