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原発の哲学的考察
- 原発の是非を問うスレはいくつかありますが、ここにはなかったように思い、たててみました。結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。
- 放射能は本当は怖くないのでしょうか?廃棄物処理は意外と簡単だったりして。これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重は無いということが関係すると思います。経済問題である以上に優れて哲学的な設問の範疇かと思います。
- 原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。
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これまで再三、ご自身の「前提条件」についての再考をお勧めしてきました。 それはテーマに「哲学的考察」という言葉があったためです。 自分なりの理解として、哲学は「自分とは何者か」という命題を重んじてきたと思っています。 前提条件を再考するというのは、その命題に通ずるのではないかと思ったのですが・・・・。 人を○○派と色付けして自分と区別するような発言は「哲学的考察」に向かう為には障害になるような気がします。 私は自分を原発を「即時撤廃」とする立場ではありません。ただ、かなり偏屈・へそ曲がりである自覚はあります。巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 komaas88様の発言を誘導的と感じたのは、「前提」とされた内容があまりに電力会社の言い分そのままに思えたからです。ひょっとしたら「関係者」なのか?とも思いました。 >原発はそれ自身では非常に画期的な、うまく使えば人間にとって有用なエネルギーである。 原発を完璧に近く制御することは人間の技術の問題である これは仰るとおりだと思います。課題としては、制御に関わるコストが折り合いのつくものかどうかという点でしょう。 >石油資源はさきゆきかなり逼迫していくようである。 不思議に思うのは原発推進の根拠として、必ずこれが言われている事です。 ここでもウラン燃料が無限であるかのような「見せかけ」が行なわれているように思います。 ウランは間違いなく化石燃料と同じ有限な地下資源の一つの筈です。可採年数60年とも80年とも言われていますが、採掘コストが劇的に下がらない限りこの年数は変わらないと思われます。今後各国の原発建設が進めばこの年数も短縮されていくでしょうし、採掘時の安全管理が取り沙汰されれば採掘コストが上昇し経済的採掘量を減少させる可能性もあります。(採掘時の放射性残渣が野ざらし状態で、かなり深刻な問題になっているそうです) いずれ無くなる以上、再生可能エネルギーにシフトするまでの、過渡期のエネルギーとして位置づけるべきではないでしょうか。 今後建設を考える際に、1000年に一度どころか100年に一度程度の地震・津波対策をしても、60年で枯渇してしまうようでは建設の意義も薄れてしまいます。もともと日本は国土の特性として、原発には不向きな土地ではないかと。建設にあたっては国の枠組みを超え世界規模で(利権抜きで)立地条件の検討を客観的におこなうべきだと思います。 >方射能は世に言われるほど恐ろしいものだろうか?疑問もある。 ガイガーカウンターは実は(人間の生体に比較して)敏感すぎるのではないか? (東大の教諭の一人は200mシーベルト/毎時? でも怖くはないといっていますし、プルトニウムは呑んでもこなれずすぐ出るから怖くないというちゅうだいの先生も居ます。) これは蛇足でしたね。学者は必ずしも常に科学的な発言をするとは限りません。「水爆の父」テラー博士がNHKの番組の中でインタビューに答え、「死の灰が人体に与える影響などない」と言い切っていた事を思い出しました。その先生が報道陣の目の前でプルトニウムを服用して見せたうえで、数千名単位の被験者に対して40年間追跡調査を行い、学会に論文を出されるのであれば耳を傾けても良いかも知れませんが。 チェルノブイリでは間違いなく小児の甲状腺がんなどが発生しており、イラクでは劣化ウラン弾の影響で白血病・がん・奇形児が異常なレベルで発生しています。乳幼児や胎児など、子どもが小さければ小さいほど影響は強く現れます。「風評」というよりも、こういった「危険をできるだけ遠ざけたい」と考えるのはきわめて「普通」の発想だと思います。
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いろいろ書いていただいておりますが肝心なことがありません。 哲学とは何か、とお聞きしたんですが お答えいただいておりません。 ストレートなお答えをぜひいただきたかったですが。 これ以上は何を話しても無駄と判断いたしました。 おわりです。 返事はいりませんので。 どうせもうこのスレは読みませんので。
お礼
申し訳ありません。 行き違いがあったようです。 >話がずれますが、質問者さまがおっしゃる哲学とは何ですか。 もしよければ具体的におしえてください。 どうやら、話がかみあわないのは、哲学の意味が、質問者さまと私とでは違っていることが原因のようです。 これですよね。 私にはrupapo様との会話にかみ合わないところがあtったという認識がありませんでしたので、 どこかで「哲学」の説明を意識せずすっ飛ばした、手抜きをしたというところがあったのかもしれません。それが質問者様を不愉快にさせてしまったのでしょう。申し訳ありません。 一般的に哲学を理解することはウィキなどをご覧になればずっと手っ取り早いと思いましたし、私の説明できることはとっくにご承知であろうと思っていましたので。 私の考えとしては「哲学」とは仰る信念に近いものではありますが、それよりはずっと科学に近い、論理的なものだと思っています。 信念は科学と宗教の間にあって、むしろ宗教に近い働きをするものです。 哲学はむしろ科学と親和性があると思います。筋道を大切にします。 科学がその力では到達できない真理の高みへの間をつなぐ想像的あるいは創造的なもの、 あるいは(科学が提示した)いくつかの矛盾する結論の選択に決着をつけられるかもしれない価値観を構築する学問、といったところでしょうか。 原発の問題にそれらが応用できるかもしれないと考えたまでです。 うまくいえなくて申し訳ありません。 宜しければまた戻ってきてご示唆いただければ幸せです。
- alwen25
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物理化学的な立場で書きます。 放射能が全くなかったら、地熱になるはずの エネルギーが全くなくなってしまいかなり 寒冷化すると思います。 また、原発でなくてもいいですが、 放射線治療用の線源を作るための 原子炉は絶対必要です。 また、どうしても核エネルギーを使いたいなら 太陽熱発電所(太陽のエネルギーは核融合という核反応です) をもっと作ればいいのにと思いますが。 また、原発事故は私が知っている限りでは、 チェルノブイリとスリーマイルと今回の福島の3つだけです。(JCOは原発ではありません) 安全装置を改良することで事故を起こす可能性は下げられると思います。 絶対に事故を起こしてはならないというならば原発を廃止するしか ありませんが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに自然放射能というものはかなり存在するのですね。 でも、ないところにはないから、突然、何万倍!というものが出て びっくりさせられるんですよね。いや あるところには千倍ほども常時あるそうですから、 そんなところの住民の健康なんかデータがないのでしょうか。 要するに科学的に完璧な安全データ、 っていうものはないのでしょうか。 >原発事故は私が知っている限りでは、 チェルノブイリとスリーマイルと今回の福島の3つだけです 確かに、そうなんんですね。 限りなく事故の確率は低い。 飛行機事故の方が怖い? そういった論理で福島県の人々を納得させられるでしょうか。 第二のオキナワ問題(少数民族?)を抱えたということではないのでしょうか。 沖縄問題は国防哲学(?) フクシマは健康問題?それとも生活する権利? >絶対に事故を起こしてはならないというならば原発を廃止するしか ありませんが。 いや、起こっても安全に推移できるのならいいとおもいます。 フェイル・セーフ ですね。 これが破綻したから困ってるのです。
丁寧なお礼をくださいまして、ありがとうございました。 まとめていただいた内容は間違ってはおりません。 ただまとめていただいたのは結果のみですね。 理由は排除されています。 私は結果ではなく、理由が大事だと思うんです。 No.2の方は、原発推進派で私とは反対の意見ですが、理由が記されているので好感がもてます。 理由が記されていれば、あとはそれが正しいか考えることができます。 私はそういうのが科学的だと思うんです。 削除覚悟で書きますが、理由もなく結論だけ書いておられる回答方がいます。 私は哲学とは何かがわからないんですが、友人は「哲学は信念だ」と言っていました。 結論だけ書いておられる方は信念をお書きになられたのだろうか、それが哲学的ということなのだろうかと思いました。 それで、科学的に論じるべきではないのか、と申しました。 勘違いであったならば、申しわけありません。 >科学者はそれこそばんばん可能性を追求するだけで、原爆を作ったように 結果がどうあろうとも基本的に責任は持たないものなのです。 なるほど、だけど、科学者の中には原発反対の方もおられます。 科学者=推進派ではありません。 今回いろいろ調べてみて、何人か原発反対の科学者を見つけることができました。 武田さんも科学者といえると思いますが、彼は安全なら賛成(=安全でないので反対)というお考えをお持ちですね。 >科学自体が決着をつけるというのはどういう場合なんでしょうかねぇ。 例えば、安全か安全でないかという議論を例にとって考えてみても、科学的に考えるべきだと思うんです。 信念ではなく。 私がいう科学的とは、データや科学的根拠に基づいて考えるということです。 放射性物質は管理できる。 ・・・これは信念ととらざるをえないです。理由が記されていないので。 >少なくとも完璧な技術なんかあろうはずはない、というのも科学が証明するところです。 そのとおりです。 >これを(必要なら)制御するのが哲学だと私は思います。 申し訳ない、話がずれますが、質問者さまがおっしゃる哲学とは何ですか。 もしよければ具体的におしえてください。 どうやら、話がかみあわないのは、哲学の意味が、質問者さまと私とでは違っていることが原因のようです。 ここにスレを立ち上げたのは意味のあることだと私も思います。 >私もこの魔人が人類の味方なのか敵なのか分からなくなっています。 福島の事故に関していえば、死者は出ておりません。 が、10年後、20年後に癌になる人が増えるかもしれない。 福島の方々は実験材料にされたわけです。 けれど、原発事故との因果関係を立証するのは難しいでしょうね。 原発で働いていて被曝した人が裁判をおこしましたが、立証できずに敗訴しています。 そういうわけで、テレビなどのメディアは「安全」を繰り返しているのかもしれませんね。 立証できないのだから、責任をとる必要などない、と。
お礼
何度もお運びいただき、まことにありがとうございます。 >私は結果ではなく、理由が大事だと思うんです。 もちろんそのとおりです。私もそう思います。 >私がいう科学的とは、データや科学的根拠に基づいて考えるということです。 そのとおりと思いますが、そうしたデータだけではどんな結論へも至らないことが往々にしてあり、 (放射能の危険性の評価などがそのひとつでしょう。) あるいは灰色のままで立ち往生してしまわざるを得ないことがあり、 そこに様々な価値観が介助して、いろんな結論を選択し、あるいは想定するという混乱があらわれるのでしょう。 これまでの原発の現状では人間の幸福は経済学で決められることが多く、そういったコスト計算でフクシマも作られた。その結果がこうだ、ということではないのでしょうか。 経済学優先もひとつの哲学といえばそうです。こんどの残念な結果はただ、単なる計算違い(想定のミス、あるいは単純な見落としなど)だった、方向性に間違いはなかった!という言い方も可能ではありますが(東電などは絶対そう主張するはずです)。 ですから、 もちろんこれからも日本としてそのでんでいこう(改善すべきは改善して)というのもひとつの見識です。 私が”哲学的に”この問題ををあげた意図は、これまでの基本的な考え方をひとつ疑ってみようということです。 分かりにくい言い方になっているかもしれませんが。 しかしrupapo様はあきらかに違う路線を選択されているように思います。 あきらかに別の哲学、価値観による未来の選択をされたということだと私は考えております。 >放射能はやっぱり怖い。 フクシマは人災だった。 人間という不完全なものには 原発を完璧にする能力はない。 なくても良い社会を構築するべき。 科学の更なる進歩が以下の立証を可能にするかもしれません。 >福島の方々は実験材料にされたわけです。 けれど、原発事故との因果関係を立証するのは難しいでしょうね。 原発で働いていて被曝した人が裁判をおこしましたが、立証できずに ミナマタが最終的に企業敗訴になった例もあります。 そういった未来を怖れている私も、実はあるのですが。 科学が追いつくまでに哲学が予見する場合もあると思います。 愚だ愚だ書いて申し訳ありません。回答者様へのお答えになったでしょうか。 最後の目標は人類の幸福だと思いますが。
No.3ですが、もう少しお話させていただきます。 原子力発電推進派の意見として、資源の枯渇、という問題があると思います。 原子力発電なら、1000年はもつんでしたっけ。 ところが1000年持つというのは、高速増殖炉計画が実現した場合の話です。 現在、高速増殖炉もんじゅは事故をおこして動いておりません。 各国も高速増殖炉計画に失敗してめどがたっていない、と聞いています。 危険な冬山には登らない勇気を持つことも大切だと思います。 原子力発電が安全であるというのは神話にすぎません。 仮に放射性物質が管理可能であるとしても、人間の管理が難しい。 私はかつて建材メーカーで仕事をしていたことがありますが そのメーカーでは強度データの改竄を行うなど日常茶飯事でした。 強度って、製品を作ってるメーカーで検査するんですよ。 だいたいこういうシステムからしておかしい。 武田邦彦さんも次のようなことをおっしゃっていました。 原子力発電所の設計図を審査に出したところ、okとなった。 しかし見直してみるとおかしい点がみつかった。 作り直したい、と申し出たが「国が認めたものを変更することはできない」といわれたと。 つまり、審査自体がいいかげんなんです。 ソフトの部分でのシステムの改善はある程度可能かもしれませんが 人間が道徳的な生き物であるとはとうてい思えないです。 あと、私は哲学がどんなものなのか、いまだにわからないんですが 原子力の問題は、科学で考えるべきものではないかなあ、と思いました。 放射性物質の管理は可能、といわれても私には納得できないんです。 その理由とか、実例などがあって初めて納得できる。 質問者さんは理由がないのに、なぜ納得できるんですか。 とても不思議に思いました。 とにかく、原発はひとまず停止させてほしいです。 なんせ、震度5で壊れる設計になっているんですから。
お礼
更なるご丁寧なご回答ありがとうございます。 ご指摘のことよく分かったつもりです。 武田氏のお話は私も聞きました。 分かりすぎるほどよく分かるお話でした。漫談的ですが、たしかに 人間不信が募るお話でしたね。 >原子力の問題は、科学で考えるべきものではないかなあ、と あ、これはですね、私の思い込みでは、 科学者はそれこそばんばん可能性を追求するだけで、 原爆を作ったように 結果がどうあろうとも基本的に責任は持たないものなのです。 ですから、早い話、最近は大学内に倫理委員会なんかが出来て 研究の方向を制御しています(出来ているかどうかは別して)。 科学自体が決着をつけるというのはどういう場合なんでしょうかねぇ。 人間性のことは別にしても 少なくとも完璧な技術なんかあろうはずはない、というのも科学が証明するところです。 当事者である科学者はとことんまでやりたいに決まっています。 これを(必要なら)制御するのが哲学だと私は思います。 ここにスレを立ち上げたのは、まだ熱い内にこの議論を交わすべきだと思ったからです。 この問題が収まってからでは、絶対に「喉もと過ぎればなんとやら」で、 魔人つーか巨神兵が口をぬぐって再起するに決まっているからです。 でも、私もこの魔人が人類の味方なのか敵なのか分からなくなっています。 どんなものでしょうか。
>放射能は”本当は怖くない”のでしょうか? このごろ、少しの放射線をあびることはかえって健康にいい、という人がおられます。 例としてラドン温泉などをあげておられますが、 私が読んだ本では、海外では病人がラドン温泉につかることを、戒めているところもあるといことでした。 で、年間100ミリシーベルトまで大丈夫だという専門家もぞくぞくと現れましたが 許容値として定められた数値は一般人で年間1ミリシーベルトです。 年間100ミリシーベルトという数字は5000人にひとりが癌になる数字だそうです。 これを怖いと考えるか、どうかは個人によるでしょう。 怖くない人は、ガンガン被曝なさるといいと思います。 しかし法律では許容値は1ミリシーベルトなので、法律では100ミリシーベルトという数字は「怖い」数字だいう認識なのだと思います。 つまり国は法律を守って、国民が年間被曝量1ミリシーベルト以下に抑える必要があると思います。 火は生活にかかせないものですね、ですから危険ではあっても使用は認めるべきですね。 車は生活にかかせないものとは断言できないと思います。 事故による死亡者などは原発よりもはるかに多いんじゃないですか。 排気ガスには発がん性もあるし。 ですから、見直しが必要だと思います。 原発は管理できればいいですが 管理しきれなくなると、甚大な被害がでます。 チェルノブイリ事故では4000人以上の死者が出たともいわれています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85#.E6.AD.BB.E8.80.85.E6.95.B0 また今回の事故でいろいろ調べたんですが 原子力発電所の耐震性は400ガルしかない。(阪神大震災は820ガル) つまり、地震がきても大丈夫はうそ。 武田邦彦さんによると、震度5で壊れる設計になっているそうです。 で、関西の番組で「福島原発は津波がくる5分前に壊れている」ともおっしゃっていました。 また水力発電や火力発電は50パーセント以上使用されておらず、それらでかなりの電力がまかなえるはずで、原発は不用であるという研究者もいます。 もちろんco2の問題はクリアしないといけませんが。 使用済み核燃料も数百年にわたって管理しつづけなくてはいけませんし。 いま、はっきりわかったことは、原発は安いエネルギーなどではなかった、ということです。 マスコミは風評被害といいますが、風評被害じゃないですよ。 実際に放射性物質で汚染されていると考えられるから野菜や牛乳を買わないんです。 今後、魚も売れなくなるでしょうね。 また、汚染された土壌で、農業ができるようになるには、何年もかかると思います。 避難している人の生活補償も必要だし 東電さんは、これを補償できるんでしょうか。 本当はこういった事故がおこったときの補償も組み込んで電気料金を決めておかなくてはいけなかったのだと思います。 >原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印 東電の隠蔽体質からして、原発が信頼できるものには決してならない、と思います。 電気が不用とは思わないんですが 無駄使いが多いようにも思いますのでそのあたり見直してみるとか 原子力以外の発電技術を開発するとか そういう方向で進むことを期待しています。 大阪に住んでいますが、他人事じゃないですよ。 敦賀に原発があって、今も動いてると思うと、心配になってきます。
お礼
長文のご回答ありがとうございます。 勝手にまとめさせていただくのは僭越ですが 懐疑派というお立場ですね。 放射能はやっぱり怖い。 フクシマは人災だった。 人間という不完全なものには 原発を完璧にする能力はない。 なくても良い社会を構築するべき。 間違っていればご指摘ください。
- 7kugino
- ベストアンサー率12% (37/296)
人間の歴史は、酸化に依る <第一の火 > 火によって食物を加工することで、安全な食事は、種の繁栄を謳歌して来ました。 そして、発電により <第二の火>は地域社会を均等に結びつけ、文明は大きく飛躍し、それに伴い新しい文化が生まれてきました。是非は別にして。 これにより 人類は文明の利器を誰もが利用できる為に より大きなエネルギーが必要になり、 <第三の火> 核分裂の大きな力を得ましたが、この世にある全てのものが 諸刃の剣と知っても コントロールする事で利用してきました。 人間は求め続ける事が人間性と定義できるように、核融合の研究は50年間成果が出なくても まだ頑張っています。 一度知ったものを捨てる事は、難しいように思いますが、意外と簡単なのです。 戦場や刑務所 これを一般社会に持ち込めば、抵抗は有ってもなれるものです。 しかし、我は同胞6000万 8000万 1億 1億2000万と増えてきた国民が、国土の農地だけで生きていくことは無理があります。 車もテレビも要りません としても蒔きで飯を炊けばたちまち禿山です。 最低限度の 鉄 石油などを輸入したら、当然輸出が必要になります。 日本中が喜んだ 黒四ダム 発電量は33万キロワットとものすごく大きな発電量だと子供のときに思いました。 が 原発一基110万キロワットならば、水力発電の位置エネルギーが大きい川がどこに有るでしょうか。 火力を石油が無くなる間での40年間 と天然ガス発電で温暖化の為に確実に 江東区などはアトランティスと呼ばれます。 温暖化は科学者が30年以上前から 言っていましたが ようやく京都議定書がスタートした一歩でつまずいてしまいました。 しかし、私たちは人間です。前に歩くのは得意ですが、後ろに歩くのは下手です。 ですから 原発絶対必要と考えています。 そのためには 1+5=6 と右辺と左辺は同じなのが 数学であり 物理学で有るのです。 文学は読む人の能力や性別で、受け止め方が変わります。 今回の事故は、人災です。理数系の学問上の問題が、政治家と御用学者が文学を論じて設計と建築をしました。 確かに学者に任せれば 建築時間 コストなど問題が多くなりますが、原発においてコスト意識ほど結果的にどれだけの 利益か <東電が倒産しても足りない補償額> ナチ犯罪者を法律を遡及させて作り 裁いた様に、学者 経営者 役人を <退職した者を含む> 曖昧でも裁いて罰を与えるときに、原発の賛成 反対のスタートが切れると信じます。 国民が政治家 役人 を信じられる国家になった時、国民は心の中で賛成 反対の検証を行うでしょう。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 技術者に任せきり、思い切りコストをかければ良いものが必ずできる、進むべきだ、と仰るのですね。 人間不信を完全に払拭できる理想社会は原発が可能な社会でもあると。確かにそのとおりですね。完璧な技術、完璧な社会システム。 今思いつきましたが、石原都知事におねだりしておだいばに1000Mワットの沸騰型を置かせて貰うというのはどうでしょうか。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
「使わない技術は進歩することは無い」という命題を提起させていただきます。 >放射能は”本当は怖くない”のでしょうか? 否。 放射性物質は火薬や劇薬などと同じように管理可能である。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 簡潔にして当を得たご回答です。 求めよ、さら得られんということでしょうか。 放射能は怖いけど、管理可能ということですね。 もくぞさまの科学者的ご信念さわやかに感じます。
お礼
重ねてのご回答ありがとうございます。 賛成派、反対派という色づけは便利な面もありますが、確かに仰るとおりです。 私はこの質問を設定するにあたって、できるだけどちらへも寄らない様に、しかし現在見られる重要な事実は前提として提示したわけですが、それも私の恣意的な期待値のようなものであったのか、立場が異なればそれとは異なった見方も可能なのかと気付かされました。今は反省しております。 確かにまだお様の仰ることが真実に近いのかもしれませんね。前提条件は撤回します。ただ、これからも現れるであろう多くの”権威者”の面々の発言は彼らが専門家で、実績のある人々であり、それなりの論理にかなっている限り、世間へ一定の影響を与えていくことでしょうし、それは不条理とはいえないと思います。上げ足を取るつもりはありませんが >巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 こういったものもやはり一種の先入観というか、ローカルな、哲学とは違う価値観に根ざすものではないかとも思います。彼らTVの教授諸氏のお話はそれなりに筋が通っており、私には単純に欺瞞とは思えませんでした。重要なことは、彼らの話を聞くとともに、彼ら以外の様々な異なった意見も合わせて聞いて、できればそれらの裏を取り、自身でその正否を判断することでしょう。私を含めて多くの一般人には不可能なこともあるかとは思いますが。 ここで修正後の前提条件を書けば、 ウランを含むメジャーな資源は、いずれ枯渇する。 原発の電力に頼らずとも今の文明を継続することは可能である。 放射能はいくら少なくとも確率的に危険をもたらすものであり、可能な限りない社会を作るべきである。 こういった条件を列挙して来るべき未来のあるべき姿を考えれば、やはりその過程で多少の不便を我慢することは不可避なのかと思ってしまいます。 先刻は田中優氏のyoutube を見てきました。そんあことも影響しているかもしれません。 ありがとうございまhした。