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哲学の考察-その2:哲学における方法論とは
建築や土木では様々な工法が考えられ、実際に試されている。 工法は建築や土木における言わば方法論であり、最も重要な技術であり、生命線である。 では哲学においてはどーか。 哲学における方法論とは何か、 哲学に方法論は確立されていると言えるか、 どのよーな哲学の方法論があるか、 哲学において方法論は独立した考察対象なのか、 未来の哲学に新たな方法論が出現すると言えるか。
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「哲学における方法論」は、まさにプログラミングです! 良い例は、万能ではありませんけど、オブジェクト指向です。「オブジェクト指向 哲学」でも検索してみてください。 自分が考えていることをプログラミングして、実行して実際に確かめることで、自分が考え尽くせていなかったことに気付ける場合もが在ります。コンピュータの厳密性に耐えられることが、大切です。 また、自分が考えていることの全てを常に把握し続けることが要らないようになることもが、プログラミングすることの良さです。プログラムを変更した部分だけの影響を確かめることも出来ます。 「哲学において方法論は独立した考察対象なのか」については、プログラミングでは自己出力やインタプリタやメタプログラミングなどが当てはまると思います。面白いです。 ということで、プログラミングという既に確立している哲学の方法論が在ると私は思っています。お薦めです。
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- AsanoHarumi
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技術を公平に役立てる為の規約・プロトコルに 其の方法論が当て嵌まり得るのではないでしょうか? 例えば、次のプロトコルの完成度は高いです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/OSI%E5%8F%82%E7%85%A7%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB
お礼
おそらくこれは知識や概念を体系化する方法論であり、 あらゆる概念をその上位概念、中位概念、下位概念に体系化する方法論、 言わば概念を階層化する方法論と言えましょう。 これは極めて科学的な手法であるが、哲学はこれほど厳密ではない。 しかし哲学にこの手法を取り入れるのは難しいかもしれない。 なぜなら哲学は科学ではないからである。 もし哲学を純粋な科学に引き上げるのであれば必要な手法であると思うが・・・
- ok9608
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No..3です。驚きました。 人の道さんは 生産物に直接役立つ技術を最高の哲学としているのですか。どう考えても自由ですが 驚きました。工学分野の 例えば 機械工学であり 電気工学でああり 通信工学 などが最高の哲学となるのでしょう。 私は 哲学の役目は そのような直接技術ではなく 技術に関して言えば 技術の生まれる背景思想を考え、その考えに従った主張をするモノとおもいます。広く技術に対応するには 間接的に関与する考えになっていくと思います。そう考えますと 例えば ユークリッド幾何学(西欧では哲学に分類されていた)は 多分 人の道さんも 納得出来る 最高レベルにある哲学と表明出来るということです。要は広く捉える ということです。 更に もっと 人に役立つ領域を技術から外に広げて 例えば 生きることの意味を考えることは 多いに人の役にたつ と思うのです。その意味を掘り下げることは 普通の哲学と思います。人の道さんには意味がないかもしれませんが 多くの人には意味があるのです。考えは 人それぞれです。 以上 失礼しました。
お礼
まーわし流に一言ことで言わしてもらえば、哲学とは漬かることではない、ゆーことかな。 あ~、
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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人の道さん。 哲学でも何かを語るときは、その居る場所、探求と語りの守備する範囲、その依って立つ根拠、そして方法を意識、表明しなければ論理としては成り立ちませんでしょうね。 そして仰せの方法論は大きな分類仕分けも出来ましょうが、その語る世界の他との対比を意識し語る中で陳述されましょう。 その陳述は、その人の生きている世界自体の側面であるので、個性の数ほどそして人間の数ほどにあるのでしょうね。 そしてこれは哲学である、こっちは哲学でないという事の仕分けは、生きることと世界に真剣性があるのかどうかの問題ですね。 お茶の間や、サロンの話題。お話したい、衒学。何か現われたいのでそんな格好をしている人がこのカテでも居ますが、徒に表現を難解にしているが、他愛もないことなんですね。 そんなのは哲学でも文学でもなんでもなく、ゴミです。ブラっていう暇人(閑人はいいんですが)の為す業は哲学ではないと存じます。 追究ということを目的としていない。おしゃべりと衒学ではダメです。 そういう大きな仕分けで先ず仕切られるのではないか。 東洋であれ、ヒンドゥであれ、究極の理や有り方を真剣に追究していることが哲学には欲しいです。 無論、論理性も必要でしょうが、東洋やヒンドゥの場合は歩いてそこに往くことによりその景色を共有するということがあります。論理だけでは通用しないのです。 西洋の場合は論理の運びでしょう。それはそれで飛躍を許さない地道な歩みであると存じます。 そういう風に西洋人の神秘な認知知見も語ることが出来るといいのですが、それは難しいでしょうね。 私たち法律の世界では、理性(論理)があれば悪魔にも通用する、ということが必要です。 私もそのように自分の思いを綴ろうとしましたが、人間の思いを論理だけで綴る事は至難のことです。 どうしてもそこに歩んでいって、ともに世界を共有しないと表現と受け取りはできないですね。 つまり、本当の真髄はことばと論理ではなく、窮極を愛し求めるという共有の世界ですね。 哲学の手法は窮極を愛し求める共有の努力だと存じます。
- ok9608
- ベストアンサー率38% (50/129)
哲学の方法論の一つとして オブジェクト指向のプログラミングを 人の道さんは ことのほか 評価しておられるようで ひとまずは 結構であった と思います。方法論は 哲学展開のための手段と理解します。 論理であっても 非論理であっても 多様な形が研究されていくと思います。例えば アート絵画分野で 19世紀以前にはなかった超写実主義とか 組写真的方法とか 哲学的主張の新しい手段が開発されてきたと思います。人の道さん は 哲カテで主張されている内容から 察すると 論理手段を望んでおられるように思われます。得られるのではないでしょうか。
お礼
もしオブジェクト指向哲学が機能し、その結果として工場が動いたり、飛行機が飛んだり、新幹線が走ったり、発電所が稼動したりするのに役立ったのであれば、それはこの哲学が価値を生んだのである。 これはこれまでの哲学の歴史を顧みれば極めて驚くべき進化なのである。 なぜならこれまでの哲学と言えばギリシャ時代から現代に到るまでほぼ例外なく殆ど無用の長物と見做されてきた歴史があるからである。 例えば、哲学の中では今だに認識論などとゆーもんが幅を利かせており、自己は存在するのかとか、目の前にあるコップは存在するのかとか、宇宙は存在するのかとか、霊魂は存在するのかとか、神は、仏は、天国は、地獄は、と問うているのである。 こーゆーもんが果たして哲学なのかと考えたとき、これは哲学ではないゆーのが「人の道」の答えである。 なぜならこれらの問いは数千年も問われ続けているが、これまでに何らの進歩も価値も生み出してはいないし今後も同じであることは明らかであるからである。
- DMIM
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「漬かろーとする人達」って、面白い表現ですね。 オブジェクト指向についてですけど、少し調べてみると、オブジェクト指向は、記号論などの哲学の成果も活かされているそうですけど、大部分は、哲学以外の成果が活かされているようです。参照URLを示しておきます。 因みに、哲学は分析だと私は思っています。で、哲学の方法論の1つはプログラミングであって、プログラミングの方法論の1つはオブジェクト指向だということです。 あ~、
お礼
さよーか、オブジェクト指向 哲学か、面白かろー、楽しかろー、 なぜなら、ギリシャ哲学以来今日に到るまで殆ど無用の長物と見做されてきた哲学がこの21世紀になって、やっと陽の目を見るに至ったのであるから、これはもー一大事としか言えんなー。 これまであの漬かろーとする人達のためにあった哲学が、やっと世の中の役に立つ時代が訪れたなー、 これまで神やら、仏やら、存在やら、認識やら、いろいろあったなー、 あ~、この哲学カテの皆もやっと救われた気がするなー、 あ~、驚きやなー、 あ~、嬉しいなー、 あ~、