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原発の哲学的考察
- 原発の是非を問うスレはいくつかありますが、ここにはなかったように思い、たててみました。結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。
- 放射能は本当は怖くないのでしょうか?廃棄物処理は意外と簡単だったりして。これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重は無いということが関係すると思います。経済問題である以上に優れて哲学的な設問の範疇かと思います。
- 原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。
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これまで再三、ご自身の「前提条件」についての再考をお勧めしてきました。 それはテーマに「哲学的考察」という言葉があったためです。 自分なりの理解として、哲学は「自分とは何者か」という命題を重んじてきたと思っています。 前提条件を再考するというのは、その命題に通ずるのではないかと思ったのですが・・・・。 人を○○派と色付けして自分と区別するような発言は「哲学的考察」に向かう為には障害になるような気がします。 私は自分を原発を「即時撤廃」とする立場ではありません。ただ、かなり偏屈・へそ曲がりである自覚はあります。巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 komaas88様の発言を誘導的と感じたのは、「前提」とされた内容があまりに電力会社の言い分そのままに思えたからです。ひょっとしたら「関係者」なのか?とも思いました。 >原発はそれ自身では非常に画期的な、うまく使えば人間にとって有用なエネルギーである。 原発を完璧に近く制御することは人間の技術の問題である これは仰るとおりだと思います。課題としては、制御に関わるコストが折り合いのつくものかどうかという点でしょう。 >石油資源はさきゆきかなり逼迫していくようである。 不思議に思うのは原発推進の根拠として、必ずこれが言われている事です。 ここでもウラン燃料が無限であるかのような「見せかけ」が行なわれているように思います。 ウランは間違いなく化石燃料と同じ有限な地下資源の一つの筈です。可採年数60年とも80年とも言われていますが、採掘コストが劇的に下がらない限りこの年数は変わらないと思われます。今後各国の原発建設が進めばこの年数も短縮されていくでしょうし、採掘時の安全管理が取り沙汰されれば採掘コストが上昇し経済的採掘量を減少させる可能性もあります。(採掘時の放射性残渣が野ざらし状態で、かなり深刻な問題になっているそうです) いずれ無くなる以上、再生可能エネルギーにシフトするまでの、過渡期のエネルギーとして位置づけるべきではないでしょうか。 今後建設を考える際に、1000年に一度どころか100年に一度程度の地震・津波対策をしても、60年で枯渇してしまうようでは建設の意義も薄れてしまいます。もともと日本は国土の特性として、原発には不向きな土地ではないかと。建設にあたっては国の枠組みを超え世界規模で(利権抜きで)立地条件の検討を客観的におこなうべきだと思います。 >方射能は世に言われるほど恐ろしいものだろうか?疑問もある。 ガイガーカウンターは実は(人間の生体に比較して)敏感すぎるのではないか? (東大の教諭の一人は200mシーベルト/毎時? でも怖くはないといっていますし、プルトニウムは呑んでもこなれずすぐ出るから怖くないというちゅうだいの先生も居ます。) これは蛇足でしたね。学者は必ずしも常に科学的な発言をするとは限りません。「水爆の父」テラー博士がNHKの番組の中でインタビューに答え、「死の灰が人体に与える影響などない」と言い切っていた事を思い出しました。その先生が報道陣の目の前でプルトニウムを服用して見せたうえで、数千名単位の被験者に対して40年間追跡調査を行い、学会に論文を出されるのであれば耳を傾けても良いかも知れませんが。 チェルノブイリでは間違いなく小児の甲状腺がんなどが発生しており、イラクでは劣化ウラン弾の影響で白血病・がん・奇形児が異常なレベルで発生しています。乳幼児や胎児など、子どもが小さければ小さいほど影響は強く現れます。「風評」というよりも、こういった「危険をできるだけ遠ざけたい」と考えるのはきわめて「普通」の発想だと思います。
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- ok9608
- ベストアンサー率38% (50/129)
コマス88さん 突然の割り込み回答 お許しを。重要な議論のように思い 僭越ながら 以下させてもらいました。 「放射能の害を観術で乗り越える具体的な方法の有無を問われたので、勿論あるとお伝えしました。また、新しい原子モデルを提案する事自体もそのうちの一つです。」とザッキ74さんはご指摘です。放射能の害を乗り越えるとは (1)封じ込める(2)拡散する を組み合わせで害をなくすることと思います(チェルノブイリ、スリーマイル、福島でも している)が 観術では どうするのですか 開示してほしいと思います。なぜなら コマス88さんも 今の福島原発が 一挙に解決する方法があるなら 是とされるとおもうからです。また新しい原子モデルは無害の新エネルギー源なら ここで開示してほしいと思います。観術に期待してます。十分に評価され得る場合は 「観術」は一挙に広まると思います。ザッキ74さん もお望みと思いますが。 以上失礼しました。
お礼
おお横スレ、大歓迎です。 OK9608様援護射撃感謝です。 宜しくね、ザッキー様。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 おや? 多分、矛盾ではありませんよ。もう一度、読み返してみてください。 文字や言葉の表現だけを受け取り、伝えようとするイメージや背景を受け取らない場合は、矛盾っぽく聞こえる事や誤った解釈をする事は、ごく自然な事です。僕側でも補足を入れながら書き足しますので、もう一度よく読み返して見て下さい。 原発の未来が無いと僕が伝えたのは、2つの観点がある事は受け取っていただけましたでしょうか?1つ目の観点は、学術を土台とした場合です。もう1つの観点は、学術を離れて観術を土台とした場合です。 1)に対して、僕がお応えしたのは、学術的理解方式を土台としているので無理です、という事でした。 2)に対して、技術的なブレークスルーについて尋ねておられたので、学術を土台とすれば、やはりそれは不可能だと答えました。 ですが、現実問題として、まだ暫くは原発で行きたいとする流れもあるでしょう。或いは、今起きている問題を収拾するまでは原発はなくならない訳です。ですから、原発を暫く続けるのであれば、土台を変えなければなりません。 その事を伝えました。 別の観方が必要です。それが観術です。 それによって、原発がある程度存続する事は可能です。 技術的なブレークスルーは観術を通して可能になるからです。 ですが、観術を土台とした場合は、原発以上のエネルギー効率を抽出できて、かつ原発の時の様な危険性を孕みません。勿論、火力発電所などの様な地球環境破壊なども起きません。その事に気付きます。 その場合、原発と次世代型のクリーンかつ安全かつ効率高い発電所でしたら、どちらを選びますか?火力発電所から、原子力発電所に主流が移り変わったのには、理由がありますよね? その様に、主流を変えた方が良い理由が多角的に出揃う様になっているので、結果的に原発は淘汰されていきます。その意味で、やはり原発はパワーステーションである必要がないとお応えしました。こちらが、2つ目の観点からです。 恐らく、komaas88さんが矛盾を感じたのは、この2つの観点が別々の観点から出ている事を見落とされたのではないか、或いは、現実問題として原発を使う際に観術を通して技術的な革命を起こすという点を見落とされたのではないか、と推察しますが如何ですか? 2-1)では、具体的方策までが問われていますので、新しい原子モデルについてお伝えしました。これを出している時点で、学術界を揺るがす様な提案である事をお気付き頂ければ幸いです。 因みに、 3)では、放射能の怖さは既にお伝えしていた通りですので、文明の危機と人類の存在目的とかけて何とか突破したい意志を込めながら表現したものです。 4)では、手抜きをした解答であったかもしれませんが、補足をしますと、学術的理解に留まるのであれば全くその通りです。その土台を離れて観術を突破口にする事で、文明の危機、文明の没落をチャンスへと反転させれるので、その場合は文明は進化発展します。 最後に、放射能の害を観術で乗り越える具体的な方法の有無を問われたので、勿論あるとお伝えしました。また、新しい原子モデルを提案する事自体もそのうちの一つです。 >私の持っている一般的な情報では、原発以外に現状からスムーズに移行できる電気の原資はないと考えます。オールオアナッシング、ということで、原発を今止めれば少なくとも30年ほど利便な文明が退くのは自明に思えるのですが、どんなものでしょうか。 学術的理解ではその通りかと思います。 これ以上はくどいでしょうか? 僕も繰り返し続けるのはどうかと思いますが・・・。 >もちろんそれが悪いといっているのではありませんが、それならば日本にこれをよしとする哲学が必要なのではないか。原発反対者にはこの覚悟が出来ているのか、ただ、そんなことはありえないとたかをくくり、できもしないと思いながらただずるずると(バブル後の十年のように)現状のまま何の決断もせずに奈落の底へ進んでいくというだらしない選択をしはじめているのではないか。私はそんないやな予感がしてならないのです。 重要な事が一つあります。 哲学さえも学術的理解方式の上に留まっています。 むしろ、哲学の突破を見ないからこそ、科学技術が・・・言い換えれば物理学・数学がその程度に留まっているという事です。哲学さえも、今までの次元を超えた哲学にならねばなりません。 哲学は確かに必要ですが、学術的哲学の土台だったから、今の限界がある事に気付くべき時です。本来は、komaas88さんが仰る哲学とは、そうした上昇された哲学の事を指しているのだとは思いますが、念のために書き記しておきます。 次元上昇された哲学であれば、メチャ必要です。 如何でございましょうか?
- _AXIS_
- ベストアンサー率11% (2/17)
追記 口論するつもりは全くありませんので、緊張しないで適当に答えてください。
お礼
了解しました。
- _AXIS_
- ベストアンサー率11% (2/17)
人類は原発を使わない道もあった。使うにしても、早すぎたのではないか。どうして安全性が十分確認できないまま原発を使うような選択をしてきたのか。原発を縮小、廃絶するのは、困難だろう。なぜなら、それなりの文化や人々の歴史や考えがあって今のようになったのだから。ではどこで、何が間違っていたのだろうか。それよりも何が原因、要因となってそうなったのか。それを理解すれば、慣性のままに進もうとする道を、一旦停止するか、うまくいけば立ち戻って縮小することができるはず。 と、想います。 話は変わりますが、以前、私は少し質問者さんを勘ぐりすぎましたか。それとも勘繰りではありませんでしたか。
お礼
アクシス様、ご回答ありがとうございます。 >人類は原発を使わない道もあった。使うにしても、早すぎたのではないか。 傾聴に値するご意見だと思います。確かに原爆を受けた日本人としては特に切実にそれを感じます。 しかし、歴史にIF はないとも申します。とまれ今立ち止まって真摯に考え直す賢明さが日本人に必要だと仰ること、そのとおりでしょう。ただ、今の日本人にそれができるかと考えれば、いささか悲観的にならざるを得ないというのが今の私の思いでもあります。 > 話は変わりますが いや、後から読み直してアクシス様を不快にさせた原因はある程度理解させていただきました。そちらにも一定の真実はあったと思います。私の方にも反省すべきことはありました。ここは痛みわけということで。そちらさえ宜しければ、どうぞ今後ともよろしく。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 世の中は何と不信・不安・恐怖の社会なのでしょうか? ですが、現段階でその様に見てしまうkomaas88さんの状態は分かりました。今後は、そうした色眼鏡で見て安易な判断をされるのではなく、事実を透明に見て判断頂ければと思います。分からなければ納得いくまで何でも聞いてみて下さい。 >私のこのスレの意図は、ご理解いただけたと感じさせていただきました。 もし今後も意図と外れたのであれば遠慮なく言って下さい。今までも、これからも、スレの意図やkomaas88さんの関心に沿わない事を伝えようとは思いません。 >NO.11でのご回答のポイントを私なりにまとめさせていただきますと、・・・ そうですね。ほぼ仰る通りです。 >ザッキー様のご回答は1)~3)については(一見)観術で解決できるというざっくりしたものです。それで、当然 4)への明るい結論へ跳んでいます。こういう理解で宜しいでしょうか? なるほど。その様に受け取られていたんですね。 1.学術的に見ても限界であること 2.学術のどこが限界であるか 3.なぜ観術では限界突破が可能か についてを折り込めば、随分とスッキリするでしょうか? 文字制限があるので、こちらは次回に持ち越しますね。 komaas88さんの新たな質問形式に沿って、改めて応えてみたいと思います。 >1)原発は今後社会での筆頭的なパワーステーションの位置を保つことが出来るだろうか。 不可能です。 そもそも、技術とは変化をパターン化させる時に技術と言います。いつも、安定的に、その変化を導くのが可能である時に、それを技術と言いますね。それは、制御・コントロールできる事を意味しています。 放射性物質について、部分的な変化を導く事は可能ですが、いつも、安定的に、その変化を導くのが不可能ですので、安定的な技術ではありません。 その状態では、先にお伝えした人間活動(文明活動~認識活動)のバランスが極めて悪くなります。現在、何が困っているかと言いますと人間活動に打撃が大きいからです。 それで原発がパワーステーションの位置を保てる道理がありません。 >2)そのためには少なくともより安全が保障できる技術的なブレークスルー(突破口)が必須と思うが、それは正しいだろうか。 考えとしては、それも一つです。学術的理解方式でしたら、その様に考えるかもしれません。ただ、考えとして存在するだけで、技術的なブレークスルーは原理的に不可能です。以前にも申しましたが、光よりも細やかな領域を変化・運動・移動させる技術の開発に向かわねばなりませんが、それが学術の土台からでは不可能だからです。 だとすると、原発で行きたいのなら補わねばなりません。そこで別の観方です。 別の観方としては、そもそも学術の土台を離れて別の土台に向かうならば、原子力発電所を越えたパワーステーションの道があるので、それを研究開発する道も存在しています。つまり、エネルギー生産は原発でなくて構いません。 とすると、やはり原発はパワーステーションである必要がありません。 >2-1)それが必要だと考えるならその具体的な方策は何か? どうしても、というなら原子物理学の領域を更に開拓する道でしょう。 技術を支えているのは学問・学術ですが、この領域にブレークスルーが起きないと、もうこれ以上は技術革新は臨めません。即ち、技術革新は常に物理学・数学などを筆頭におきてきましたが、この領域に限界が生じている為に技術革新が不可能でございます。物理学・数学の限界もここで述べた方が良いのでしょうか? つまり、学術的理解方式・認識方式そのものが限界であった為に、具体的な方策としては、まず学術的理解方式を抜け出し、新しい理解方式と出会う事です。 観術では、ボーアの原子モデルでは理解・説明の出来ない領域を突破できる新しい原子モデルを提案しています。研究・開発は短期間で進むでしょう。同時に、原発でなくても良い事に気づきます。 >3)必要でないならその理由はなにか(放射能は実は怖くないのだ、など)? 集団知能の進化を果たすという人間の存在目的からして、ありえないです。必要でない・・・としたら、集団知能の進化が果たせなくなり、文明の崩壊と共に人類は滅ぶかも?それは嫌ですが。 >4)1)において、それが出来ないならば、文明は踊り場にさしかかる(あるいは没落する)と思えるが、その考え方は正しいだろうか。 物質も、内部で崩壊します(原子力)。文明も同様です。 >放射能の害を観術で乗り越える具体的な方法はあるのでしょうか? 勿論です。観術のセミナーでは何とそれも学びます。 また、積極的に開発する事もできます。 字数が。今回は如何でしたでしょうか?
お礼
ザッキー様何度もお運びいただきありがとうございます。 お話では、原発の未来はない、と仰っておられるようです。 さらに >原発はパワーステーションである必要がありません。 とも。 また一方では放射能の害を観術で乗り越える具体的な方法はある、とも。 これがあるのなら原発には未来があるように思われます。 この間の矛盾を、できればわかりやすくお示しいただければ幸いです。 私の持っている一般的な情報では、原発以外に現状からスムーズに移行できる電気の原資はないと考えます。オールオアナッシング、ということで、原発を今止めれば少なくとも30年ほど利便な文明が退くのは自明に思えるのですが、どんなものでしょうか。もちろんそれが悪いといっているのではありませんが、それならば日本にこれをよしとする哲学が必要なのではないか。原発反対者にはこの覚悟が出来ているのか、ただ、そんなことはありえないとたかをくくり、できもしないと思いながらただずるずると(バブル後の十年のように)現状のまま何の決断もせずに奈落の底へ進んでいくというだらしない選択をしはじめているのではないか。私はそんないやな予感がしてならないのです。
- 7kugino
- ベストアンサー率12% (37/296)
zakky74氏は観術なるもので、回答をゆがめている。 質問者が求めているのは哲学的な考察である。 哲学は数学を使わない真理の探究である。 観術を知らなければ 調べる お金がかかる。 そのサイトへの間接的誘導と考えてしまう。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 komaas88さんは、 >高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。 との疑問を投げかけながら、しかし電力の必要性と、そこに見舞うリスクのバランスをどう計れば良いのかについて、どう哲学すれば良いのかを問うていると、僕は理解しています。 そこに対して、僕のアプローチは、 人間活動がどういうものであったのかを段階別にお伝えした上で、高度な文明の規定をし直し、人間にとって文明は必要であるが、その方向性は見直すべきである事をお伝えしました。 つまり、バランスが取れて、調和できるもので、循環率を損なう事無しに、人間活動を促進させていくものが高度な文明である事を共有しました。 そうだとすると、何らかの形で今ある文明の方向性には修正を加えなければなりません。それをどの様に・・・というのが次の話題です。その切り口を、放射能をどう考察するかに焦点を宛てながら話を展開しました。 それを、komaas88さんの疑問である >放射能は”本当は怖くない”のでしょうか? と重ね合わせながら、如何に今の文明の状態が危険であったのか、或いは人間活動を危うくさせているものであったのかを再確認した上で、文明の現在地と限界を同時に確認する為に、komaas88さんの仰る >人間が火を使い始めたころは、なかなかコントロールが難しく、しかし様々な試行錯誤を重ねて、今ではなくてはならないものになっていますが、時には火事になったりして人命が失われることもあります。 のイメージを借りながら、話を展開しました。 それが、文明とは知識・技術・道具のコントロールであり制御によって始まり、進化発展が起きて、文明の様相をなしているという事ですね。そういう意味では、今の放射能はどれくらいコントロール・制御ができる状態なんだろうか・・・という事が話題になります。 それをお話しましたね。 その知識・技術・道具の土台は、西洋の学術的理解方式・科学技術から来ているという事(文明の出発)と、その学術的理解方式・科学技術の致命的な弱点によってコントロール・制御が出来ない状態だという事(文明の限界)です。 だから、先ほども申した様に文明の方向性を変化させる時だし、文明はまだまだ高度になり得るという事にも繋がるのですが。つまり、高度な文明に向けて、或いは人類の更なる進化発展に向けて、安心・安定・平和を構築できる文明のあり方をどう模索するのか、が次なるテーマだと想い、komaas88さんは、 >原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。ただ、折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。それは可能でしょうか?なら、いつまで?どの程度ならOK? と仰るので、必要性がある分に対しての代案の必要性を感じました。 ですが、先ほども申したとおり、その代案は学術的理解方式・科学技術の上に乗ってしまってはいけません。そもそも、その出発に問題があったから、起きている事故ですから、出発を変化させない事には代案には為りえません。 ですから、代案として示したのが観術でした。 放射能に関して、制御・コントロールするための条件を、前回までの投稿で既に書き記しましたが、その条件が学術的理解方式・科学技術からでは不可能ですので、 >もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、 との意見に対して、それは有り得ません!と僕は言い切りました。 ですが、それだとキモチが悪いでしょう? それ故に、突破口も同時に示しました。 突破口に関心が無いのでしたら、原子力の問題や放射能の問題に関しては絶望です、とのお応えになります。 ところで、komaas88さんは僕の投稿、 >>実は、学術的理解方式や科学技術からでは、放射能の問題を解消解決する事は不可能です。これは現段階が不可能なのではなくて、この先もずっと解明されません。また、開発もされません。 >>それが、学術的理解方式や科学技術の明確な限界です。 を受けて、 >随分悲観的であられるのですね。やはり文明はだめでしょうか。 と触れられていました。これを観た時に、komaas88さんは ・根拠がない状態で悲観的になっている ・未来の可能性を始めから諦めている の様な勘違いをされているのかなぁ?と僕側で判断した為に、そこを補う補足説明がいると思い、続けて前回の投稿をしました。その目的は、 ・根拠があること ・諦めという僕の主観ではなく、学術的理解の致命的弱点からの判断であること ・代案があるから未来は希望だと認識すること ・文明は更に高度に進化発展する でした。
お礼
ザッキー様、重ねてのご来場ありがとうございます。 私のこのスレの意図は、ご理解いただけたと感じさせていただきました。 NO.11でのご回答のポイントを私なりにまとめさせていただきますと、 今の科学時術では現状を打開することは出来ない。 しかし打開する方法はあるので、科学技術の進歩を待つ必要はない。 それは観術である。 観術によって文明は更に高度に進化発展する。 改めて確認しますが、私の質問は、1)原発は今後社会での筆頭的なパワーステーションの位置を保つことが出来るだろうか。 2)そのためには少なくともより安全が保障できる技術的なブレークスルー(突破口)が必須と思うが、それは正しいだろうか。 2-1)それが必要だと考えるならその具体的な方策は何か? 3)必要でないならその理由はなにか(放射能は実は怖くないのだ、など)? 4)1)において、それが出来ないならば、文明は踊り場にさしかかる(あるいは没落する)と思えるが、その考え方は正しいだろうか。 1)~3)は科学的な情報が必要ですが、それらを踏まえて 4)の展開をしていただきたいというのが私の質問の内容です。 ザッキー様のご回答は1)~3)については(一見)観術で解決できるというざっくりしたものです。 それで、当然 4)への明るい結論へ跳んでいます。 こういう理解で宜しいでしょうか? ネットで確認しましたが、観術を理解するためにはかなりの授業料が必要のようです。そこでひとつだけでも捕捉いただければ、私の方の理解も進むかもしれないと思います。 放射能の害を観術で乗り越える具体的な方法はあるのでしょうか? あれば出来るだけわかりやすくお示しいただきたく。 心理的教唆ではないことを願います。 ご回答ありがとうございました。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 >>実は、学術的理解方式や科学技術からでは、放射能の問題を解消解決する事は不可能です。これは現段階が不可能なのではなくて、この先もずっと解明されません。また、開発もされません。 >>それが、学術的理解方式や科学技術の明確な限界です。 >随分悲観的であられるのですね。やはり文明はだめでしょうか。 文明がダメだという観点ではありません。文明は必要だとお伝えしています。ですが、物質文明だけに偏る事がバランスが取れないという事を、人間活動の観点からお伝えしたつもりでした。 それと、悲観的という表現を受けて、補足説明がいると判断しました。 学術的理解方式や科学技術からでは、放射能の問題を解消解決する事が不可能な理由をお伝えします。即ち、明確な限界をお伝えします。 まず、放射能の問題をクリアする為には、光よりも細やかな領域を変化・運動・移動させる技術が必要となります。ですが、光よりも細やかな領域にタッチする事が学術的理解方式と科学技術のアプローチからは不可能なんです。 理由は学術的理解方式、科学技術は理解・認識が荒いからです。荒い理解・認識方式では、それ以上の細かすぎる領域を扱う事が出来ないんですね。 そして、確かに最先端の物理学や数学は、これ以上はもう進む事が出来ない領域にまで到達してしまいました。西洋の学者たちは、本当はそれを世界に伝えなければなりませんが、面子を気にしてか、それを公表していないだけです。 つまり、科学が追求できる領域に限界が来ているのが今の時代です。 最先端の科学者たちこそが、そんな限界と毎日出会っています。 だから彼らは、本当に困っています。 もうこれ以上は、分からないだろう・・・という事が分かってしまったからです。 で、どうするの? それがどうしようも無いんですね。 ホーキング博士も、科学のアプローチは間違えている可能性があるから、始めからやり直す必要があるね・・・などと言っています。 実は、それはその通りです。 学術的理解方式、科学技術には大前提がありますが、その大前提には3つの致命的な弱点がある為に、先ほど申した理解・認識方式の荒さが目立つんですね。 逆に言うと、3つの致命的な弱点があるから細やかな領域の技術が開発されませんし、その弱点を越える時には光よりも細やかな領域を変化・運動・移動させる技術を開発できます。 komaas88さん。 僕は、根拠無しで物質文明や学術的理解方式、科学技術に対して悲観的なのではありません。根拠があっていっている事でした。加えまして、根拠の事が明確に分かっている状態ですし、突破口も明確に見えているので、科学技術が困っている事、悩んでいる事についても補う事が出来ます。 ですので、悲観的ではありません。 文明は、まだまだ進化発展します。 ただ、そのアプローチには新しい観点を必要とするという事です。 >>観術でしたら、突破口を見出す事が出来ています。 >そうなんですか。 >観術については、はっきり言ってまだそれほど理解は進んではいませんが、どうも宗教的な印象を持っていますので、個人的には余り深くは入れて居ないのですが、 観術が宗教と大きく違う点として、論理とイメージによる裏づけがあるという事です。神・仏・・・の様な抽象的な論理構造を一切持ちません。それどころか、最先端の物理学や数学を使いながら、宇宙自然の仕組みを解明し、物理学・数学・生物学の最難題課題についても解き明かしています。 それは宗教では無理な事でした。 ですが、komaas88さんには宗教的な印象として映るには、何かそれなりの判断材料があるのでしょう。もし宜しければ、何を観て、どの様に受け取ったから、宗教的だと思われたのか教えて頂けたらと思います。
お礼
申し訳ありません。 私の設問との関連で仰ることがどういう役目をしているのかを ご説明いただきたく。 観術については私も興味がなくもありませんが、ここでは 原発の是非を伺っておりますので。 ともかく再度のご来場ありがとうございました。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
阪神淡路大震災の時とは次元が違うという事を改めて確認させてくれる東日本大震災だったかと思います。即ち、自然災害に留まらず、今回は文明災害にまで広がっている事を認識すべきだろうと思います。 加えて、原発は世界中でも稼動しています。 未来に起こりそうな原発事故の為にも、今回日本に起きた文明災害にどう対応するのかはとても大切な意味を含みますでしょう。即ち、日本の対応は世界に先駆けた対応とするべきで、未来には世界が日本から学び、日本を見習う様な、そこまでのイメージを持つ事が重要ではなかろうかと思います。 その観点をもちながら、僕の意見を述べたいと思います。 >この議論は、結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。 人間は、動物とは違って精神活動と文明活動を行います。人間は、動物とは違うんです。人間活動とは、文化文明活動・精神活動・生産活動・生存活動・生命活動・認識活動・・・と深まります。この内、人間を人間らしくさせているのは、文化文明活動・精神活動・生産活動です。 人間は、文明活動を行うべきです。 ですが、重要な事は文明活動が促進される事によって、文明活動を支えている下位の活動を阻害するものであってはなりません。つまり、文明活動が推進する程に、生存活動・生命活動・認識活動などに被害が及んだり、疎外されてはなりません。今回の原発事故は、文明災害ではありますが、何ゆえに問題かと言いますとそういった背景があるからです。 つまり、高度な文明は良いのですが、何をもって高度とするのだろう・・・という事ですね。人間活動の全てが循環良く、バランス良く回って行く事が、高度な文明と言えるでしょう。 ですので、 >あるいは、これからも犠性者はあっても、それが許される範囲にとどまるなら進めて良いということになるのでしょうか。その程度はどのくらいでしょうか。 真に高度な文明であれば、この様な心配自体がありません。 文明は、まだまだ進化発展の余地があるという事です。 >放射能は”本当は怖くない”のでしょうか? メチャ怖いですよ。原子の秩序を崩壊させていく事ですから、生命活動を直接停止させる様なイメージになりますでしょうか?目に見えないから余計に厄介ですし、実は放射能について科学技術からは、明確な理解もなく、放射能を解く(ほどく)為の技術は現在ありません。 実は、学術的理解方式や科学技術からでは、放射能の問題を解消解決する事は不可能です。これは現段階が不可能なのではなくて、この先もずっと解明されません。また、開発もされません。 それが、学術的理解方式や科学技術の明確な限界です。 >もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。それは可能でしょうか?なら、いつまで?どの程度ならOK? 観術でしたら、突破口を見出す事が出来ています。 学術的理解方式では無理ですが、観術は学術や科学技術を補いますので、それが可能です。その観点から、結論から申しますと、放射能の問題を解決する為には、光よりも細かい領域を変化・運動・移動させる技術の開発が必要です。 それが、学術的理解方式や科学技術からでは無理なんですね。 ですので、新しい理解方式・認識方式を導入する他は突破口がないのですが、それが観術です。そして、観術を先頭にして、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、ロボットテクノロジーなどを上昇させつつ、各々の融合をさせていく事が国のリーダーたちの本気度合いにも寄りますが、2014年以降には始まるかと思います。 そして、観術は原発に変わる新しいエネルギーやエンジンの構造についても代案を持っています。 重要な事は、今回の原発事故は学術的理解方式や科学技術からでは解消・解決が不可能である事を日本人一人ひとりが気付いて、新しい理解方式・認識方式の必要性について真剣に向き合っていく事だと思います。 それでこそ、高度な文明の進化発展となる事でしょう。 復旧・復元と復興は違うといわれています。観術による新しい理解方式・認識方式は復旧・復元の次元を超えて、真の復興を遂げる事が可能となるでしょう。 如何でございましょうか?
お礼
あっ、ザっキー様ご回答ありがとうございます。 >人間は、文明活動を行うべきです。 ですが、重要な事は文明活動が促進される事によって、文明活動を支えている下位の活動を阻害するも のであってはなりません そういうことですね。 >人間活動の全てが循環良く、バランス良く回って行く事が、高度な文明と言えるでしょう。 >>あるいは、これからも犠性者はあっても、それが許される範囲にとどまるなら進めて良いということになるのでしょうか。その程度はどのくらいでしょうか。 >真に高度な文明であれば、この様な心配自体がありません。 文明は、まだまだ進化発展の余地があるという事です。 お話を伺いひとまず安心いたしました。 >実は、学術的理解方式や科学技術からでは、放射能の問題を解消解決する事は不可能です。これは現段階が不可能なのではなくて、この先もずっと解明されません。また、開発もされません。 >それが、学術的理解方式や科学技術の明確な限界です。 随分悲観的であられるのですね。やはり文明はだめでしょうか。 >観術でしたら、突破口を見出す事が出来ています。 そうなんですか。 観術については、はっきり言ってまだそれほど理解は進んではいませんが、どうも宗教的な印象を持っていますので、個人的には余り深くは入れて居ないのですが、 仰ることについて、また更に検討させていただきます。 ありがとうございました。
- wiz0621
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これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重があるということが関係するかと思いますし、ゆえに これは優れて経済的、つまり全く同じ意味ではありますが哲学的な設問の範疇かと思います。 仮に個々の命の価値が等価値であった場合。 2万人の命の価値と1億、そして60億の命の価値を比較すればどうなるか。 当然個々が等価値なのですから、その価値の総和は より数が多い方が高くなるのです。 一方でこの初等算術を現実と照らし合わせたときに、 特に切り捨てられる少数者はもちろん違和感を感じることでしょう。 彼らの違和感の正体は前提の間違いに起因します。 すなわちこの簡単な数式が正しくない、あるいはその全てを救うべきである というのであれば、命の価値は等価値であるという 根本を変える必要があるのです。 人の精神の働きは常に価値の評価を行うのであり、 特に道徳律に支配された実社会においてはリスクの大きい側を "弱者"とし、同時にそれを道徳と呼称し生命の価値、 救済の必要性を大きく見積もる傾向が見て取れます。 その一部への救済を優先的に行おうとする行為の中に、 高価値の人命、すなわち"弱者"が誕生するのです。 貧困国から富裕国への善意の救援という矛盾はこうして成立します。 我々が生きる文明生活という市場に要求される姿勢は、 絶対的な価値を持つ命という架空の存在に拘り 空虚な算術的比較を繰り返すことではなく、 命の価値が常に変動するという事実を受け入れ、 その相場を見極めることであるのです。 そして人間の価値評価は、当然ながら他の人間に対してのみに留まるものではありません。 価値は変動するのならば、やはりリスクに対して相対的に算定される存在である コストの算定も、やはり新たに判明したリスクの評価(当然ながら震災に限らず) によって変更されるでしょうね。 つまりそういった価値基準が変更されてはじめて、 人は新たなコスト負担を正当な対価として認識できるのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >>これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重があるということが関係するかと思いますし、ゆえに これは優れて経済的、つまり全く同じ意味ではありますが哲学的な設問の範疇かと思います。 これですね。私は以前の関係スレに、(危険ではあるが”低コストの”)原発は当面エネルギーの逼迫に悩むインドやら中国、アフリカなどの大型開発途上国にどんどんつくり、先進国は原発を停めて緊急避難的に(高価な)石油やガスを使っていく、という提案があったことを指して、どこでも危険なものは危険なものとして、ダブルスタンダードは避けるべきではないかと釘をさしたわけです。 この一見安直な(世界的視野で資源問題を解決するための、ある意味人種差別的な)提案を回答者様は、悪くはないので、もう一度積極的に見直すべきだ、と仰りたいのでしょうか。 >2万人の命の価値と1億、そして60億の命の価値 これは実に悩ましい問題です。 どこかにも書きましたが、国土防衛に自衛隊がいのちを張って前線に立つのは職業意識であり義務ではありますが、敵前逃亡を妨げる法律はあるのでしょうか。戦前の兵士はそこで撃たれても当然だったのです。 フクシマでの前線で私の抱いた不条理的感想でした。
お礼
重ねてのご回答ありがとうございます。 賛成派、反対派という色づけは便利な面もありますが、確かに仰るとおりです。 私はこの質問を設定するにあたって、できるだけどちらへも寄らない様に、しかし現在見られる重要な事実は前提として提示したわけですが、それも私の恣意的な期待値のようなものであったのか、立場が異なればそれとは異なった見方も可能なのかと気付かされました。今は反省しております。 確かにまだお様の仰ることが真実に近いのかもしれませんね。前提条件は撤回します。ただ、これからも現れるであろう多くの”権威者”の面々の発言は彼らが専門家で、実績のある人々であり、それなりの論理にかなっている限り、世間へ一定の影響を与えていくことでしょうし、それは不条理とはいえないと思います。上げ足を取るつもりはありませんが >巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 こういったものもやはり一種の先入観というか、ローカルな、哲学とは違う価値観に根ざすものではないかとも思います。彼らTVの教授諸氏のお話はそれなりに筋が通っており、私には単純に欺瞞とは思えませんでした。重要なことは、彼らの話を聞くとともに、彼ら以外の様々な異なった意見も合わせて聞いて、できればそれらの裏を取り、自身でその正否を判断することでしょう。私を含めて多くの一般人には不可能なこともあるかとは思いますが。 ここで修正後の前提条件を書けば、 ウランを含むメジャーな資源は、いずれ枯渇する。 原発の電力に頼らずとも今の文明を継続することは可能である。 放射能はいくら少なくとも確率的に危険をもたらすものであり、可能な限りない社会を作るべきである。 こういった条件を列挙して来るべき未来のあるべき姿を考えれば、やはりその過程で多少の不便を我慢することは不可避なのかと思ってしまいます。 先刻は田中優氏のyoutube を見てきました。そんあことも影響しているかもしれません。 ありがとうございまhした。