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木曾の最期について
平家物語の木曾の最期の魅力ってなんでしょうか?
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- hanatsukikaze
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義臣とそれに応える主君 江戸時代、平家物語で一番好かれた部分は、木曾殿の最後だそうです。 父義賢が源義朝に討たれ、一介の孤児となった義仲が何故リーダーとして忠臣達が従ってきたのでしょうか。それは義仲にある魅力がそうさせたと思います。戦国武将には、義仲の子孫を称するものが多かったと聞きます。 現代は、義経ばかり脚光を浴び、対比として義仲の評判を落とすことばかり強調されるみたいです。 彼の松尾芭蕉は、木曽義仲に憧れ、自分の墓を義仲寺にと遺言したほどです。 木曾義仲のファンである小生の兄からの受け折ですが、参考まで。
- Pinhole-09
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「日頃は何とも思えぬ鎧が、今日は重うなった」 「気弱なことを申されるな」 木曽義仲と今井四郎とのやりとりが、何とも切なく 胸をうちます。 やることはやった。 もうここでお前と共に 討ち死にして楽になりたい。 (乳兄弟として仲の良い四郎とあの世へ行きたい) 大将軍として立派な自害をなさって下さい。 (私は大将軍の家来としての務めがあります) 思いやりある義仲と勇士を貫く四郎。 やることはやったと言えず、もはやこれまでと、 見事に自害する四郎。 その心境に勇士の 美学を感じます。
不利とわかっていても、帝都防衛戦で源氏連合軍を迎撃したこと。 最後の5騎だけになったとき、巴御前を部隊から解任したこと。 惜しむらくは、切腹の場所を探していて、弓矢が命中し致命傷となったこと。 もうひとつは、防衛のため兵力を分散したこと。 ・・・なんといっても、朝日将軍です。日の出の勢いでした。少なくとも、頼朝さんよリ先に帝都奪還をした源氏軍です。小兵力で強大な平氏との戦闘は評価されるべきです。(この意味では、義経さんのほうが評価が高いかも・・・ってか、事実)