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奈良時代の納税方法
奈良時代には、納税は自分で都まで納めに行っていたと聞いていますが 畿内ならまだ理解できますが、越とか下野・下総等からも下級層の「民」と 云われる人たちが、自分の足で収めに来ていたのですか?
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質問者が選んだベストアンサー
このような制度を「運脚(うんきゃく)」といいます。税のうち「庸」「調」は、都まで国司に引率された農民の手で運ばれました(「租」は国衙の費用に充てるために、国衙に蓄えられます)。ただし、全農民ではなく、国司に選ばれた運脚夫(脚夫)と呼ばれた農民だけでしたが、運脚は全ての農民の義務でもありました。また、食料等は自弁ですので、途中で行き倒れになったり、逃亡した運脚夫もあり、農民にとってかなりきつい負担だったようです。 なお、「延喜式」には国別の運脚の日数が記載されています。それから見ても全国から農民が自分の足で運んでいます。 以上、参考まで。
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- Tacosan
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回答No.2
うろですが ・いったん国司なり郡司なりのところに集める ・そこから農民の代表が都に運ぶ とか, じゃなかったかなぁ.... さすがに「みんなが運ぶ」ことはしないはず.
質問者
お礼
ありがとうございます。 さすがにそうでしょうねぇ。 でも、運ぶための費用は納税者持ちだったときいてますが、 いつの世も底辺層は大変ですね。
noname#155097
回答No.1
>自分の足で収めに来ていたのですか? 普通に考えると、現地に役人がいて、 そこでまとめて運んでいたものと思われます。
質問者
お礼
ありがとうございます。 やはり、農民の代表とかなんでしょうかね? 手弁当だったという話ですが、「講」のように みんなで費用を出しあってたんでしょうか? また質問してしまいました。すみません
お礼
ありがとうございました。 納得しました