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奈良時代の都について
奈良時代の聖武天皇についてわからなことがあります。聖武天皇は藤原広嗣の乱(740)の後、つぎつぎに都を変えておられますよね。でも、遷都の順番と仏教関連の詔を出した順番がどうしても一致しません。いったいどういうことなんでしょうか。日本史は苦手なほうなので優しく教えていただければ幸いです
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詔といっても私は国分寺建立の詔と大仏造営の詔しか知らないのですが、 国分寺建立の詔は741年に恭仁京で 大仏造営の詔は743年に紫香楽宮離宮で 発せられています。 紫香楽宮離宮とは別荘みたいなものなのでこの時点では都はまだ恭仁京に置かれています。 もっとも頻繁訪れていたようで、742年に一度遷都したのではないかという説もあります。 744年に難波宮を経て紫香楽宮に遷都になりますが、 地震や火事などの災害により翌年には平城京に戻ることになります。 大仏造営の詔は紫香楽宮離宮で発せられたわけなので、実際紫香楽宮でも大仏建立の準備が行われていたそうですが、遷都とともにこの事業は東大寺に移されたそうです。 このことをいっているのでしょうか?
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- mashimi
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遷都の順番については覚え方があるので、是非参考にして下さい。 【くに→なにわ→しがらき】(わざと平仮名で書きました) これを数字に直すと「9→7→4」。つまり、遷都するごとに数字が小さくなっていきます。この覚え方でバッチリです。 仏教関連については上記のような覚え方はないですが、やや無理矢理にでも下記のように 741 国分寺建立の詔 (7文字) 743 大仏造営の詔 (6文字) 「字数の多い方が先」とか自分の覚えやすいように作ってしまってもいいと思います。 (ちなみにこれは即興で作りました) ちなみに743年という年号が出てきたら、すぐに「墾田永年私財法」が出てこないといけません。公地公民制が崩壊し、初期荘園成立のきっかけになった法律ですね。
お礼
こないだ大学の定期試験で出たところなんです。こんなことならもっと早めに質問しておけばよかったと後悔でいっぱいです。日本史の知識の乏しい私のために丁寧に教えていただいてありがとうございました。
お礼
まさにそのとおりです。大学の一般教養で文化史をとっており、そのときからずっと気になってたんです。天皇の詔って遷都した都の宮で出されるものとばかり思ってました。大変勉強になりました。ありがとうごさいます。