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太宰治/富岳百景
富岳百景のお見合いのシーンで井伏氏が「おや、富士」と言って背後のなげしを見上げたのには何か意図があるんでしょうか?またその直後の、あの富士は有り難かったとはどういう意味でしょうか? こうじゃないか?と思われる方、ぜひ意見お願いしますm(_ _)m
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そのシーンの前後で、何が変わったかを読んでください。 お見合いで硬くなっている両者。 相手も、相手の両親も、自分を評判の悪い「小説家」という「ゴロツキ」と知っている。まともな職業ではない。しかも心中マニア。でも、文壇で結構名を売っている奴でもある。井伏が後ろに付いているし、世間で言うほど悪い奴じゃないのかも。でも信用できない。 自分も、そのことを相手に知られているであろうと、わかっていて、引け目を感じている。コンプレックスの塊。「どうせ俺なんて」と「俺ってけっこうすごいんだぞ」を同居させている。 「おや、富士」 一同の視線が富士に注がれる。日本人ならだれもが、「ああ、きれいだな」、という「価値観の共有」をできる数少ないものの一つがそこにあり、井伏が皆の視線をそこに集めた。 「富士はいいですねえ」という連帯感が生まれた。 ありがとう、井伏さん。 あなたの、あのひとことで、うまくいきました。
お礼
なるほど! 相手方の母親や娘はそんな風に思考を巡らせていたのですね! 富士は有り難かったとありますが、井伏氏への感謝の意も含まれているということですか。 非常に分かりやすい回答ありがとうございました!