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なぜ太宰治はあそこまで苦しんだのか?
太宰治の読者の中には「これ私のことじゃん」と感じる方が大勢いらっしゃるそうです。 ということは、太宰の悩みは多くの人間に共通のものであったのでしょうか? よくある神経症だっただけなのでしょうか? もし彼が現代に生まれていて、専門医にかかって治療をしていたらあんなに悩み苦しまずに程ほどの人生を送ることができたでしょうか? 太宰がいっていることは大体わかります。が、彼のような思想を持ってしまった人間は他にもたくさんいるはずなのに、どうして彼はあんなにもぐちゃぐちゃな人生を送らなければならなかったのでしょうか。 同じような悩みをもって生きている人間が、「何とか助かる人」と「助からない人」に分かれる、分岐点というかその人たちの違いはどういったところにあるのでしょうか。 よろしくお願いします。
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- titsola
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こんばんは。 太宰治や三島由紀夫の自殺の背景に、日本の敗戦が深く関わっている事は間違いの無い事だと思います。 日本中が一丸となって、信念を持ってアメリカと戦った太平洋戦争だった筈なのに、終戦と同時に掌を返して「私は元々戦争には反対だった」「アメリカが勝ってくれて良かった」と言い出す多くの日本人に、当時のどれだけのがぶつけようのない失望感、空しさ、虚無感を抱えて当時を生きたのか、それはきっと今の時代の人間が幾ら当時の人間の気持ちになって想像した所で、きっと分からないのではないかと思います。 生粋の左翼人の田原総一郎氏でさえ、時代と共に左翼から新左翼へと次々と主義主張を変えていく共産党に嫌気を感じた時代でした。もはや何を信じて、何を拠り所にして生きたらいいのかも分からない、そんな時代の真っ直中に太宰も生きていたんだと思います。 太宰の悩みは多くの人間に共通のものだったかは分かりませんが、そもそも誰にも共感できない悩みなんてあるのだろうか、とわたしなんかは思ったりします。ただ太宰はその悩みをストレートに表現出来た当時の日本の、数少ない作家だった、わたしはそう思います。 作家の城山三郎氏は太宰の作品について、 「当時、若い人が手本にして欲しい文章を書くのは志賀直哉。ただ、志賀の作品は太宰以上には今後も読まれないだろうね」と述べています。 太宰は晩年に、憧れだった芥川龍之介の自殺について「妻子を残して勝手に死ぬのは無責任だと今までずっと思っていたけれど、今なら何となく分かる気がしてきた」と言っています。 少なくとも妻子を残して死ぬような男は恥ずかしい事だという、人間として逞しい志だけは持って生きていたんだと思います。敗戦のトラウマと心の弱さも同時に抱え込みながら。 太宰の最後の作品「グッド・バイ」を読むと、今でもわたしなんかはそう思いますね。
お礼
ありがとうございます。 ただ、「なぜ」という部分はまだ疑問が残りますね。