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女房装束からわかること
平安時代の女性の服装に女房装束がありますが、これからわかる当時の文化や生活様式などを教えて下さい。
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まずひとつ言えますのが貴族女性の生活様式が椅子とテーブルが中心の中国風から床に直接座る日本古来の様式に変わった点ですね。 平安中期に国風文化になり貴族の女性は室内では「立って歩く」ことはしなくなり「膝行(くっこう)」と呼ばれる膝で摺って歩く作法に変わります。 この歩き方ですと、スカート状の裳では大変歩きにくく、初期は前半分を切り取って歩きやすくしていましたが、上着の肥大化により最終的には後ろにつけるエプロンのような状態になってしまいました。 また、膝行する際に歩きやすくするために裳の下に履いていた袴が肥大化して長袴と変化しました。 それとあれだけ袖が大きくなったのは当時の日本が今よりも暖かかったせいです。(もしかすると温暖化の今の気温に近いのかも?) 当時はクーラーもありませんでしたから、暑い夏を快適に過ごす為に袖口を大きく広げて風を取り込みやすくしたのです。 (だから当時の家屋は壁がない) そして寒ければ沢山重ね着をして過ごしました。 現在の小袖を中に着るようになったのは地球全体が寒冷期に入った平安後期からです。 また、小袖を着ていないため、女性の装束は袖をひっぱればすぐに上半身裸になってしまいました。 ですから当時の文学で「袖をひっぱる」行為はかなりエロい表現にあたったそうです。 どちらにせよ、装束からわかることは「当時はとても平和だったこと。気候が温暖だったこと。貴族女性はかなり裕福にくらしていたこと」などがわかりますね。 また、よく「女房装束は重くて動きにくい」ということから、いかにも男尊女卑の象徴みたいに言われることがありますが、それは「現代の女房装束で現代の作法で動く」からです。 当時の装束に使われていた蚕は現在のと違い、原種に近い種類であったとされ、当時の女房装束の重さは現在の女房装束の半分くらいの重さしかなかったと言われています。 それと現在のは江戸時代の天保の頃に復元された装束で当時よりもかなり豪華に仕上がっています。(見た目重視だから) ですので、当時に近い装束で当時の作法で動くと実際はかなり快適ですよ。
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- bari_saku
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見たまんまだと思いますが。 ピンとこないなら、アレを着て1日を過ごす自分を想像してみては?
お礼
詳しい説明ありがとうございます(*^O^*)とてもわかりやすかったです!
お礼
詳しい説明ありがとうございます(*^O^*)すごくわかりやすくて、本当に助かりました♪