>最初に「年寄りなら頻繁に使うでしょうね。」とありますが、
>「かましまへん」と言うのは年配の人の言葉遣いで、
>若くなれば「かまいまへん」となる、と理解していいのでしょうか?
>それとも、「かまいまへん」に比べて「かましまへん」というときは、
>少し気取ってまたは丁寧に言おうとするときに使うのでしょうか。
私は代々中心部に住んでいる後期高齢者です。
若い人の言葉使いは関西一円で似通ってきています。全国どこの地区でもその傾向が見られると思います。
若い人の使う京都の言葉は一昔前とは大分異なってきていますし、現在の大阪の言葉のようにがさつになって来ていると感じています。
「かましません」「かまいまへん」が年齢によってという事は全く関係の無い事です。
男性が「かまいまへん」と云うのと同じ状況で女性は「かましません」と言うでしょうね。
話している相手が自分と同等あるいはそれ以上であれば「かまいまへん」「かましません」を使いますが、知り合いや目下、近所の親しい人などに対してなら「かまへん」あるいは「かまへんのに」というでしょう。
でも女性なら(そんなん)「かましませんのに」と使うはずです。
で、「かまへん」と云う時は本来の京都人なら「かまへん、かまへん」と二度繰り返すはずです。
形容詞や副詞、修飾詞などに当たる言葉を二度繰り返すのは古くから京都に居住している人間の話し方です。
「きんの(昨日)いつも行く鴨川のとこで(場所で)ちっちゃい、ちっちゃい猫がいたんで持ってこ(拾ってこよう)とおもたけどお母ちゃんに怒られるしやめたんや」
・・・のようにです。
会話の内容や相手によって色々変化するのが京都の言葉の特徴かもしれませんが、それを系統立てて解説出来るものではありません。
会話のやり取りや話している相手、男性か女性かによっても無数に変化します。
小説をお書きになるとの事。登場人物の言葉には苦労なさると思います。
武士でも京都の言葉を使っていた筈ですが、文章にする時会話の所でも喋り言葉をそのまま書く訳にはいかないと思いますので、そんなに厳密にお考えにならなくても宜しいかと存じます。
ただ、町家やおばんざいなどという言葉は比較的新しいもので作られた言葉です。
町衆という言葉は古くからありますが町家は普通、仕舞屋(しもたや)と云っていました。
但し東京で言う仕舞屋とはニュアンスが異なり、単に町中の(旧市内)にある普通の家を指します。
またそれらの家が全てうなぎの寝床と言われるような奥深いものでもありません。
商売(繊維関係)をなさっている家は奥深いものですが、中心部の古い家ですと奥深くなく一階は精々4畳半、三畳に台所、風呂、便所、一坪くらいの庭、二階も三畳二間くらい、おまけに二階の屋根は低く窓も虫子作りの家が多いものでした。
京都の料理が薄味だと誤解されているように(本来は家庭料理も味が濃く、味醂も濃い口醤油も多用し、すき焼きの時以外は砂糖を使わないのが特徴です)色々な誤解がまかり通っています。
小説ですから厳密にお考えにならず自由な発想で言葉をお書きになればと思います。
お礼
ありがとうございました。よく分かりました。 学生時代の4年間、京都市内に住んでいたことがあって、京言葉の会話を書けるはずだと思っていたのですが、現実は、どういう言い方をしたらよかったかな、なんて始終迷ってばかりです。 他の地域の方言も勉強したりしますが、はやり京は長い歴史で日本の中心地にあっただけに、京言葉には美しく、奥深いものを感じます。 僕は「東男」ではありませんが、「京女」を嫁さんにすればよかったと、つくづく思います。