- ベストアンサー
人間の特殊な「時間感覚」とは?悩みを解決する方法はある?
- 人間の特徴として挙げられる「時間感覚」とは、遠い未来を予測・想定できることや他の人と時間を共有できることです。しかし、この能力には弊害もあります。一度きりの人生で終わりに向かって進む感覚や時間に支配される感覚が生じてしまうこともあります。この悩みを解決する方法はあるのでしょうか?
- 人間の特殊な「時間感覚」とは、遠い未来を予測・想定できる能力や他の人と時間を共有できる能力を指します。しかし、この能力にはデメリットも存在します。人生が一度きりであることや時間に追われる感覚により、虚しさや窮屈さを感じることがあります。では、この悩みを解決する方法はあるのでしょうか?
- 人間の特殊な「時間感覚」とは、遠い未来を予測・想定できることや他の人と時間を共有できる能力を指します。しかし、この能力には弊害も存在します。一度きりの人生や時間に支配される感覚に悩んでいる人も多いかもしれません。では、この悩みを解決する方法はあるのでしょうか?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>圧倒的な存在感をもって迫って来る「絶対時間」「地球時間」を認識しないでいるなんて、超むずかしいことのように思えますね。 厳密に言うと人間は「絶対時間」「地球時間」を認識しているのではないと思うんですね。 おそらく、逆なんですよ。 人間こそが何もないところから「絶対時間」「地球時間」を存在させているのではないかと。 宇宙で悠久の時間が流れているのではなくて人間が宇宙を悠久の時間が流れているように認識しているんだということ。他人も同じように認識しているので非常に気づきにくいけど。 人間は、みんなが「地球時間」を認識しているように思っているから「地球時間」を否定的にみることはマジで阿呆に見えるんですけどね。 赤い絨毯を見て、みんなが赤く見てまさに赤いんだから「赤」が絨毯に存在しているというのは錯覚か幻想。 「赤」が存在しているのは絨毯なんでしょうかしょうか。それとも人間でしょうか。 みたいな話ですね。 私が「赤」が存在していると言うとき、指し示している赤は絨毯ではなくて私の中に存在してます。もちろん絨毯は赤くはないと言っているんじゃありませんよ。 でも、そんなような見方では「地球時間」はいろんな意味で有用なだけなんです。
その他の回答 (5)
ご質問を捉えなおすことからはじめてみますが、一般的にいわれていることによれば、時間には客観的なものと主観的なものがあるそうです。客観的な時間とは、標準時刻で決められた時間の歩みでしょう。これがわかることによって、なるほど自分の先々が予想できたり、定刻に集まったりすることができるわけです。 しかし問題は、客観的な時間のことばかり考え過ぎると、主観的な時間の意義が見失われるということのように思えます。「三十歳になっても、自分は~~という程度だろうな」とか、「結局、人生は七十年くらか」とか、強迫観念が生まれます。他人と歩みを比較し、その中で自分が立ち遅れていると思ったり、有限であるという認識をもったりするのです。 二項対立で示していますが、主観を復活させるのは、原理的には簡単です。客観的な時間を知らせる要素をシャット・アウトし、自分の時間に埋没すればよいのです。家から時計を外すとか、予定を書き込む手帳を使わないとか、在宅に仕事を変えてしまうなど、すればいいわけです。 ただシャット・アウトばかりではバランスがとれません。そこで、客観的な時間の流れに押し流されない自分のペースを確立することを考えたほうが建設的でしょう。また主観的な時間を野放しに肥大させるだけでは、いずれ面白くなくなってくることも確かです。限りあるものを有効に使うのも大切なことでしょうから。そこでもう少し別の方法を考えることになります。二例挙げてみましょう。 まず日々に少しだけ、客観的な時間をシャット・アウトする濃密な時間をとって、自分の主観的な時間に向き合うということが考えられます。たとえば非宗教的なヨガや座禅です。実際、薄眼を開けて数分間、座っているだけで、客観的な時間から切り離されて気になってきます。あるいは心ゆくまで、趣味に没頭してみてもいいでしょう。 また深く心を打たれる瞬間を多くもつように努めるということも考えられます。雄大な自然や芸術作品に接して心が洗われるのなら、日々の生活の中で疲弊した感受性が刺激され、あたかも自律神経失調症が治るかのように、主観そのものが復活し、時間の感覚が戻ってくるかもしれません。これは余暇に旅行したり、美術館に行ったりということでしょう。 私個人は、一眼レフのカメラを覗いた時、自分の主観的な時間をよく感じることができました。というのも、焦点を絞る中で普段と違って対象をじっくり観察することになりますから。それにカメラがあれば、一人歩きの口実にもなるので、野山に出かけて行きやすいのです(誰かと連れ立つと、客観的な時間にはなってしまいがちなので)。 ご自分に合った方法が見つかるといいですね。 ご参考までに。
お礼
ありがとうございます。 たいへん参考になりました。
補足
自己の有限性について、は 対症療法というか、誤魔化しではどうにもすっきりしないのです。 量子論とかに絡めたとんでも理論も壮大な誤魔化しかもしれませんが、ほっとします。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
時間を流しているのは自分であると分かれば解決するのではありませんか。 つまり(1)も(2)もその大元となる時間を有らしめているのは自分だということでしょう。 神ではありません。 時間を重ね合わせてもっと窮屈に生きることも分割して刹那に生きることもできるでしょう。 それを生き易いように無意識に調整しているのも自分だと思いますね。
お礼
ありがとうございます。 「自分時間」ですね。 自分とはなんの関係ない「客観時間」は無いと言い切れるukiyotonboさんはすごいですね。 わたしもそうなりたいものです。
補足
圧倒的な存在感をもって迫って来る「絶対時間」「地球時間」を認識しない でいるなんて、超むずかしいことのように思えますね。 「時間」というものに、みんな、いったいどう折り合いをつけているのか、とても気になるところです。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
1.たとえば、全知全能=物事を本質まで100%認識できれば、 世界には何もありません。 不確定性原理によって、一つの性質を完全に確定化しようとすると、 それを存在化すべき他の性質が、無限不確定に発散してしまい、 要するに、物事を表面的に、いい加減にとらえた場合にのみ、 有限な形質を持つ存在は生じている事が、明らかとなっています。 2.それは、身体や寿命の有限性についても言えることです。 たとえば、死があるからこそ、誕生があり、またその(生殖)ために 愛があり、喜びがあるのです。 3.とはいえ、先の1から、そうした有限性の起源は自己(時間とは 自分自身=異なる時点(今=感受表面=光速相互作用)から対発生 した過去(超光速=時間逆行)と未来(光速下)を時系列化したもの) である以上、全ては、あなたが存在するための必要(物理的根源に まで遡った補完)なのです。 4.社会生命としての自覚化(愛)~自己の相補としての宇宙の 自覚化によれば、無限の彼方、永遠の未来において、予め意志は 果たされている=無限の自由(生自体による充足)は可能なのです。 あらゆる不幸(=思い通りにならない)の起源は、そうした本質を 自覚化できない短絡的自己に由来する、自己矛盾に過ぎません。
お礼
回答ありがとうございます。 論理的な回答でよかったです。
補足
自分なりに言い直してみた。 1.全能ではないからこそ存在する 2.1と同じ 3.自分が存在するために必要なものはすべてそろっている 4.そろってないと勘違いしている なるほど。 わたしはそうとうな短絡的自己でした。
限りあるからこそ、意義があるのではないでしょうか。 (1)(2)ともに 時間が無限に続くなら、人生が無限に続くなら、感動も進歩も必要なくなります。 「今」をいかに生きていくかのうえでの人類の回答ではないですか。 限られた時間を窮屈ととるか、有意義と取るかは本人しだいでしょう。
お礼
ありがとうございます。
人間が発展したのは高い知能をえたからだと思います。 そのおかげで道具を使える、道具と道具を組み合わせて使える、などスキルを手に入れました。 質問者さんの言われるスキルは、そこまで限定して言うなら数百項目挙げないといけない程度の物だと思います。 >この悩みを解決する方法は、なにかないでしょうか? 細かいことを気にしなきゃOK! と、言われてもそう簡単にはいかないでしょうけど、自分の価値観をぶっ壊すしかないんじゃないかな。
お礼
回答ありがとうございまーす。
補足
人間の知能の中でも、未来予測能力は重要だとおもいます。 道具も、どのように使うかでおおきな差が生まれそうです。
お礼
なるほどなるほど。 わかりやすいですね( ╹◡╹) たびたび、ありがとうございます。