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社会的存在にする教育とは?
- 私自身が学校生活を通じて感じた教育の本音は、組織を支配したいという支配欲や喰うか喰われるかという競争心が強い人間が社会的な存在になることだと思います。
- 学校の校則やいじめは建前であり、本音を教えるのは強い者が弱い者を苛めることが許される社会構造であるということも感じました。
- 私と同じような感覚を持つ人間は社会的な存在としては弱く、上に服従し鍛えられることが求められる傾向があると感じます。
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支配欲が強くて弱肉強食を公言するような人の人格がどの様な過程を経て形成されてきたのかにも興味が有りますが・・・ そういう人は、パッと見には積極的に見えるでしょうから、社会の中でも出だしは好印象でやっていけると思います。 しかしながら、社会という組織は他人を利用したり踏み台にするだけの人をリーダーたる者として認めないとも思います。 誰かが別の誰かを支配すること自体は別に悪いことだとは思いませんが、披支配者に対して支配されることにより得られる恩恵を与えられないような支配者は、畜生の群れのリーダーにも劣る出来損ないでしかありません。 純粋に自分の為だけに人の上に立とうとする人が、何かしら困ったとき、躓いたとき、貴方はその人を積極的に助けてあげたいですか? 周りの他の人も助けに行くと思いますか? 社会の中では個人の能力や野心よりも、周囲の感情の方が全体に強く作用することがよくあると思います。 なにより、人から奪って得たものは、いつか他の人に奪われて行くものです。 「自分は奪われないようにして、人のものは奪ってしまえばよい」という人もいますが、そういう人こそ奪われて苦しむものです。 私は質問者さんの生き方が間違っているとは思いません。
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- simonmagus
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何事も極端に走ると弊害の方が大きくなる。 >1 組織を支配したい >2 人生は喰うか喰われるもの >3 怖く叶わず有利と思う者には従う >4 いじめをしているが、家庭では暴力三昧なので未だ手加減してやっている > (度を超えない限り良いという事) >5 いじめまがいの事も本人にとっては鍛えてやっていると云う事で正当化する >この様な感覚の者が組織では使え出世しやすいのですね? このような極端な考えを広言したなら、どこの企業も役所も雇用を躊躇するでしょう。 明らかにトラブルメーカーだからです。 賢い人間は 1「頑張って組織のトップとなり社会の役に立ちたい。」 2は人生というより社会と置き換えたほうが良いかも。 「社会は互いに支え合っていくもの。」 3「一時的な利害関係は脆い。長期的な関係は対等であること。」 4「いじめは良くない。自分はしていない。(完全に忘れているなら同義) 5 いじめまがいなんて誤解を受けるような言葉は使わない。 「私自身は体育会系の厳しい環境で鍛えられました。」(人に押し付けない) このように咄嗟にでも言い換えられないような奴は決して上には立てない。 あなたが見てきた人間関係とは幼稚で無能な不良グループですか? そのような馬鹿者達は現在苦労していることでしょう。
- cse_ri2
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極めて遺憾なことですが、そういう人物も社会に一定数存在することは事実です。 そういう支配欲が強い人間ほど、出世しやすく、大企業の中間管理職や中小企業の社長などで、時々見かけました。 しかしその反面、そういう人物は大概「無能」です。 ですので、上に行けば行くほど、そういう人間が幅を効かせる割合は少なくなりますし、また酷い時には無能さゆえに組織を停滞させることも見てきました。 一般人としては、「渡る世間は鬼ばかり」ということを自覚し、そういう人間と出くわした時には、どうやって身を守りかを考えなくてはいけませんが、学生生活の中で、それをきちんと学ぶ機会はほとんどないですね。 まあクラスの中のイジメや、部活動の中で嫌でもそういう社会の縮図を体験することはありますが、対策については学べることはなく、いきなりの実地の中で、試行錯誤するしかないのが現実です。
- hekiyu
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"社会構造では超えられない軟弱者なんですね?" ↑ 普通の人でしょう。 人間には色々おります。 仕切りたい人もいるし、指示待ちの人もいます。 仕切りたい人、てのは、日本では少数派では ないでしょうか。 ”学校の校則やいじめはいけないと云うのは建前であり、 本音を教えるのが彼の様な精神なんですね?” ↑ 本音だけでは北斗の拳の世界になります。 だから建前が必要なのです。 建前の世の中で、いかに本音とうまく付き合って いくか、でしょう。 ”だから、以上でも以下でもない人間より、 支配欲の強い人間の方が社会では使えるのですね。” ↑ 使える、というか、仕切りたがる人間の方が 出世しやすいし、使える奴、という錯覚を起こさせやすい と思います。 ”だから、厳しい組織で、上には絶対服従し、鍛えると云う目的で弱い者苛めをしても、 度を超えない限り良いと云う事なんですね?” ↑ いじめというか、服従は仕方がない、という ことでしょう。 そうでないと、組織的な活動が不可能になります。 ”(ドラマ「ファーストクラス」の人間関係もそうでしたですね?だから私の様な感覚ならば 真っ先に攻撃されるのですね)” ↑ そのドラマは知りませんが、 単なる弱者というだけでは攻撃されないと 思います。 いざとなれば、ケンカするぞ、という姿勢を示さない 人間がターゲットになりやすいです。 ”この様な感覚の者が組織では使え出世しやすいのですね?” ↑ 出世しやすいのは確かだと思います。 問題は仕事が出来ないのに、そういう人間が 偉くなってしまうことです。 そういう会社は業績を上げるのが難しくなります。 ”だから、私の様な人間より、彼の様な感覚の方が社会的な存在に成るのですね?” ↑ 社会的な存在って何でしょう? ”これが社会の縮図なんですね?” ↑ ハイ、そうした面は否定できません。 程度の差はあれど、人間関係は生存競争の世界でも あります。 弱い人間は不利になり、強い人間は有利になります。 それは古今東西、人類の歴史が始まってから今日まで 変わりません。 弱いのはイヤダから強くなりたい、そうしたエネルギー が社会を動かしてきたのです。