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「非僧非俗」の意味
読んで字の如く、「僧に非ず、俗に非ず」の意味ではないんでしょうか? 「僧に非ず」ってことは俗であるってことだから矛盾している気がします。 僧にも関わらず肉食妻帯した親鸞を記述した言葉なのですが・・・
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親鸞の精神としては、 「僧にあらず」=私には、人間として、どうしても捨てられない煩悩がある。その煩悩に基づいて生きているのだから、「僧である」などとおこがましいことはとても言えない。 「俗にあらず」=私は、本当の意味で、仏と仏の教えに帰依している。 という意味合いだったと思います。 「僧にあらず」の部分についてさらに言えば、 “おかみ”から認定された、今、そこらにごろごろころがっている俗にまみれた僧侶ではない。 酒を飲んだり、食べたいものを腹一杯食べたり、女色(あるいは男色)におぼれたり、欲にまみれているくせに、“おかみ”から認められ、袈裟をつけているというだけで「オレは僧侶だ、偉いのだ」という人たちと一緒にしてくれるな。 (当時は、僧侶は時の政権から認定されたものだった) ということだと思います。
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- cxe28284
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「非僧非俗とは」でググてください。沢山出てきます。 親鸞の反骨精神です。
お礼
ありがとうございました
- bakansky
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記憶では、親鸞はたしか幕府から処罰を受けて北陸へ流された (同時に法然は四国へ流された) ことがあって、その時に 「法名」 も剥奪されたのだったと思います。 すると、「僧」 であることが取り消されたわけで、従って 「僧」 としての活動は禁止されます (犯せば死罪でしょう)。 といって、親鸞は幼い頃に出家された方ですから、「世俗」 を捨てた身です。だから、「非俗」 なのですが、今度は 「僧」 としての立場も権力の側から取り上げられた。 そうなると、「還俗(げんぞく)」 して俗に戻るのでなければ、中途半端な身分となります。 それを 「非僧非俗」 と表現したのだと思われます。 [以下は余計な付け足しです。無視しても結構です] なお、「肉食妻帯」 については、これが大罪であることは親鸞も勿論自覚していました。自分は地獄に堕ちるしかない身であるということを言ったようですから。けれど、人間として生きる上では罪を犯さずに生きられない。それを否定したら、聖人になるか、超過酷な修行に耐えて非人間的な存在になるしかないが、それは不自然である。それなら、普通の人は罪人であらざるを得ないということになるが、そのような人こそが救いの対象でなければならないというのが親鸞の考えでした。
お礼
ありがとうございました。
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