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与力と同心
時代小説好きの主婦です。 文中に 与力、同心が出てきますが 与力と同心は どちらが上司でしょうか?
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bungetsuです。 >>まさか、(私が今 はまってる) 山本一力さんじゃ ないでしょうね(笑) 残念ながら、そのような大物ではありません。下っ端にしかすぎません。 私の「夜空の月」の写真の下の「bungetsu」をクリックすると、私のHPが紹介してありますので、いつでもお越しくださいませ。 >>これは気の毒ですよね。なんで 不浄 なんでしょう? 犯人を捕まえたりする、いわゆる、汚い物に触れる・・・と言うことからきています。 >>やたら袖の下を要求する、、とも本には書いてありますが、30俵2人扶持じゃ、(年収150万くらい?)袖の下も欲しいでしょうが、、、。 そうですね。少ない年収ですよね。 従って賄賂は実際に行われていました。 例えば、江戸藩邸の留守居役が、 「もしも、我が藩の者が何かしでかした時には、一つよろしく取り計らってくれ」 と言う意味で盆暮れの付け届けをしました。 江戸時代初期の頃は、「賄賂」ですので、まあまあ「こそこそ」とやっていましたが、江戸も中期(およそ元禄年間)頃よりは、奉行所の中で堂々と受け渡しされるようになり、あくどい同心になると、 「まだ来ないのか」 と、催促する者さえでてくるようになりました。
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- shin1417
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質問の方は、与力の方が上だということで納得されたようですので他の疑問について。 まぁ、既に回答されている方の補足ですが。 〇不浄役人呼ばわりされることについて。 武士の仕事は、主君やお家の名誉の為に命をかけて戦うことです。 武士と言うのは職業軍人ですから。(江戸幕府は徳川軍事独裁政権なんですよ。) 与力や同心が相手にするのは犯罪者。 そんな連中を相手にするのは武士本来の業務から外れているし、そんな汚らわしい連中を相手にしているからです。 〇年収について 実は与力同心は、意外と裕福だったんです。 与力同心の公式の年収は低いです、がっ、それ以外にも収入があったんですよ。 いわゆる「付け届け」と呼ばれる類の物です。 侍は体面とか名誉とかを非常に気にします。 大名家とか大旗本のような所は配下の「従業員」も多くなり、そうなるとその中の誰かがトラブルに係わる可能性も高くなります。 その場合に「お家」の名前が出ては非常にまずい、そこで「付け届け」なのです。 「何かあったら上手く処理してね」という意味合いです。 これは商家も同様、お店の悪い評判が立ったら困りますから。 ですから、与力同心は「賄賂をもらうのが当たり前」に近い環境にいたのです。 ちなみに、直接現金でというのはさすがに少なく、直ぐに換金しやすい品物を付け届けたらしいです。 同心がいつも着ている黒い羽織、あれもほとんど大名家からの付け届けの品だったそうです。
お礼
回答 ありがとうございます。 お返事 遅くなり 申し訳有りません。 >大名家とか大旗本のような所は配下の「従業員」も多くなり、そうなるとその中の誰かがトラブルに係わる可能性も高くなります。 その場合に「お家」の名前が出ては非常にまずい、そこで「付け届け」なのです。 「何かあったら上手く処理してね」という意味合いです。 これは商家も同様、お店の悪い評判が立ったら困りますから。 ですから、与力同心は「賄賂をもらうのが当たり前」に近い環境にいたのです。 なるほど。 必要悪?だったのですね。 これは現代でも あるような?、、。 >同心がいつも着ている黒い羽織、あれもほとんど大名家からの付け届けの品だったそうです。 これを知ってると また 読んでいて面白いですね。 ありがとうございました。
- tpg0
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http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/bugyo.html ↑こちらが、江戸時代の与力と同心の関係について参考になると思います。
お礼
回答 ありがとうございます。 ご紹介のURL見ました。 南町奉行は大岡越前守忠相(ただすけ)、 北町奉行は遠山金四郎景元(かげもと)だったんですね。 北町奉行所は新幹線ホームから東京駅八重洲北口付近に碑がるのですね。 一度、見に行ってみたいと思います。 ありがとうございました。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 回答から先に述べますと、 「与力」の方が上司に当たります。 同心について: 与力と同様に「力を与にし心を同じくする」 の意味から転じて職名となりました。 鎌倉時代には、「一味同心」として用いられ、戦国時代後期にいたって「軽輩の武士」の称となる。 江戸幕府もこの称を用いて、奉行所等重要な職員の配下に配属させ、「与力」の下位にあって大小の庶務を執らせた。 町奉行所に属する者を「町方同心」と呼び、南北の町奉行所に各120人ずつ計240人を配置し、江戸の警察事務にあたらせた。 与力について: 「寄騎」とも昔は書いた。 「力を合わせて加勢する」 の意味からきている。 室町中期から諸大名に隷属する武士を指したが、戦国時代には侍大将等に属する騎士の称号となった。 江戸時代には、幕府の職員として必ず「同心」と共に配属されて、上官を援け同心に指示を出した。 町奉行所には、南北各25騎ずつ計50騎が配属され江戸の治安維持にあたった。 (よもやま話) 1.与力は出動に際し必ず馬に乗って現場へ駆けつけたので「騎」(き)と呼び、同心は走って行ったので「人」(にん)と数えました。 2.与力も同心も八丁堀の官舎住まいで、「不浄役人」と呼ばれ、一般の旗本や御家人との付き合いは「まれ」でしたので、嫁取り、婿取りも同じ与力や同心などに頼らざるを得ず、幕末までには与力、同心のほぼ全てが親戚関係になってしまいました。 3.同心は30俵2人扶持が支給され、与力は、江戸近隣に1万石の土地をもらい、50騎が均等に200石ずつ分け与えられていました。
お礼
回答 ありがとうございます。 >自称「歴史作家」です。 いつもお名前 拝見しております。 いつもながら、詳しいですね。 まさか、(私が今 はまってる) 山本一力さんじゃ ないでしょうね(笑) >与力も同心も八丁堀の官舎住まいで、「不浄役人」と呼ばれ、一般の旗本や御家人との付き合いは「まれ」でしたので、嫁取り、婿取りも同じ与力や同心などに頼らざるを得ず、 これは気の毒ですよね。なんで 不浄 なんでしょう? 彼らがいないと、江戸町民は 困るでしょうに。 やたら袖の下を要求する、、とも本には書いてありますが、30俵2人扶持じゃ、 (年収150万くらい?)袖の下も欲しいでしょうが、、、。 ありがとうございました。
- do_ra_ne_ko
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与力が上司で同心が下僚 権「力」を「与」えられている人・・・与力 「心」を「同」じくして実作業をする人・・・同心 と憶えておりますが、無論のこと本当のことは知りません。 「明治百話」だったと思いますが、明治の人つまり江戸時代の実体験者の 話として、犯人逮捕のため刀を振り回すのは同心であって、与力は戦闘には加わらず 与力の働きを見届けるだけだと書かれていたように思います。
お礼
回答 ありがとうございます。 >権「力」を「与」えられている人・・・与力 >「心」を「同」じくして実作業をする人・・・同心 あぁ、これも、覚えやすいですね。 >与力は戦闘には加わらず 与力の働きを見届けるだけだと書かれていたように思います。 これは、ひどい?ですね。 今の人風に言えば 「お前も働けよ!!」って感じですね。 ありがとうございました。
- tpg0
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与力は同心を指揮する役人ですから、与力が上司になります。 江戸時代の階級を現代の警察組織に例えると 奉行=署長 与力=捜査課長 同心=刑事 このような感じです。
お礼
早速の回答 ありがとうございます。 奉行=署長 与力=捜査課長 同心=刑事 なるほど。 すごく解りやすいです。 ありがとうございました。
お礼
お返事遅くなってしまい申し訳有りませんでした。 >「佐渡流人悲話集」(さどるにんひわしゅう)として発刊された。 江戸時代に 非常に興味を持っております。 今度、佐渡流人悲話集 読ませていただきますね。 面白そう、、。楽しみです。 それにしても ありがとうポイント すごいですねーーー。 まもなく「武士の家計簿」上映されますね。 こちらも楽しみです。 ありがとうございました。