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与力
町奉行所の与力は付届が多く、場合によっては二~三千両に達したとも聞きます。旗本で言えば五千石を遥かに越える大身旗本に匹敵する収入になると思うのですが、御家人身分の与力に本当にそんなに役得があったのでしょうか?本当だとすると上司の町奉行よりも遥かに裕福だったのではないかと思うのですが…
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与力に限らず町方役人は町方や諸大名からの付け届けで裕福だったようです。 奉行よりも収入が多かったかどうかはわかりませんが、その身分からすれば他の役人よりも副収入は多かったようです。 ただ町方役人は不浄役人といって他の武士からは差別され、その身分も譜代ではなく一身限りのお抱えで、実質的には世襲であっても、親がやめたあとに子が新たに召抱えられるという形でした。そのためやめてしまうと他の御家人のように無役でも家禄がもらえるということはありませんでした。(ただ、長期間勤務してやめた場合は多少の養老料といってものはあったようです。)
お礼
御回答ありがとうございます。 おっしゃる様に不浄役人と呼ばれていたようですね。 役高二百石でも旗本ではなく御家人だったようですし…