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江戸時代の色街での行為って・・・
江戸時代の色街での行為って、女の人に挿入したのでしょうか?中に出していたのでしょうか? 今はゴムとかあるけど、よく考えたら昔はないので妊娠してしまいます。 タブーな内容なので、質問するところが分かりませんが、どこまでの行為だったか知っていたら教えてください。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸時代の色街での行為って、女の人に挿入したのでしょうか?中に出していたのでしょうか? ずばり、「中出し」でした。 では、避妊は・・・と言うと、妓楼には、トイレ(厠・かわや)と風呂場に水桶が必ず用意されており、女郎はそこで局部を洗浄しました。そして、懐紙を丸めて局部に入れておくと妊娠しにくいとも言われ流行しました。現代で言う「ペッサリー」のような役目をすると言われていました。 また、朔日丸(ついたちがん)と言う、何やら「いかがわしい」薬を毎月1日(ついたち)に飲むとその月は妊娠しない・・・と言われていて大変な人気だったとか。 さらに、本当に妊娠してしまった場合には、「遣手婆」(やりてばばあ)という、元女郎で歳をとっても見受けされなかった女がいて、階段から飛び降りさせたり、高い所から飛び降ろさせたりして、「流産」するように仕向けました。そして、「堕胎専門」の医師もいました。 それでも「生まれちゃった」の時は、妓楼で遊女自身の責任で育てたり、直ぐに「養子」に出したりしました。 遊女の責任で育てられた子どもでも、8歳くらいになると、ちゃっかりと妓楼では、女の子は女郎の見習い(禿・かむろ)として、男の子は見世の若衆の見習いなどをさせられました。
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- obasan-des
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普通にいう「性行為」(挿入射精あり)だったようですよ。 ですから、お女郎さんは、よく妊娠しました。 行為のすぐあと、お手洗いで局部を洗う、なんていう無意味な避妊法をしていたという記述が、江戸本の中にあります。 勿論、出来てしまった子供は堕胎したのでしょうね。 専門の人が居たと思います。 尚、吉原の高級花魁などになりますと、中々どうして気位が高く、性行為どころか手を触れることも難しかったらしいです(笑 一晩、その花魁を買いきったのに、初会(しょかい : 登楼して、初めての女郎を指名して部屋に入る)だと中々そばにも寄らせてくれなかったとか。 そうでない、手軽な女郎や、夜鷹・舟まんじゅうなどは、健康でさえあれば、妊娠していたはずです。貧しさゆえに病身の女性が多かったらしく、あまりそういう記述は見受けられませんが… それでも当時は、妊娠という「結果」は、受け手(女性)が性行為中に感じる(いわゆる「イク」)からそうなったのだという誤った観念がありましたので、女郎たちは「勤め(つまり売春)する身で恥ずかしい」と言って、内密に堕胎していたのでしょう。 江戸中期~後期のことしか知りませんが、こんな感じだったと思います。 当時の概念はどうだったか判りませんが、今の認識では、痛ましいことだと思います。
お礼
時代劇での知識とそんなに違ってはいなかったのですね。 もしかして、挿入なし射精ありなのかと疑問をもったもので。 回答ありがとうございました。
お礼
ストレートな質問に答えていただきありがとうございました。