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江戸時代の有名な盗賊について

先日、日本史ミステリーで、江戸時代の有名な盗賊についての内容をやっていて、石川五右衛門、日本左衛門、鼠小僧次郎吉が出てきたのですが、他にも江戸時代や戦国時代などで有名な盗賊やそれに近い人がいたら教えてください。

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  • phantasie
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回答No.4

 熊坂 長範(くまさかちょうはん)  平安時代末期の盗賊団の首領。生没年不詳。謡曲『烏帽子折』には承安四年(1174)牛若丸に討たれた時、63歳。  生まれは越後・信濃国境の熊坂とも、加賀の熊坂とも。長範は尾張、美濃近辺で金持ちや旅人を襲い財物や所持品を強奪したが、一度も失敗したことがなく人々に恐れられた。馬を盗むと山中の馬小屋に隠し、馬の毛色を変えて馬市で売ったので足がつかなかった。  風魔 小太郎(ふうまこたろう)  戦国時代に後北条氏に仕えた相州乱破(ラッパ)の頭目。小太郎自身は『北条五代記』によると身の丈七尺に余ること二寸(約2m38cm)、手足の筋肉は荒々しくコブ立ち、眼は逆さまに裂け、口大きく黒髭に覆われ、牙が四本、外へむき出ていた。頭は福禄寿に似て長く、鼻が高い。大声を出せば五十町先まで届いた。  風魔一党はおよそ200人。山賊、海賊、強盗、ほそりぬすと、の四手に分かれ、それぞれの立場で働いた。  後北条氏没落の後は江戸に入り、武家・町家を問わず強奪、殺傷して荒らしまくったが、徳川家では征伐に躍起になった。折から、甲州透破(スッパ)の残党、高坂甚内の一味も江戸に入って盗賊を働いていたが、甚内は小太郎を密告。慶長八年(1603)に処刑された。没年不詳。懸賞金は黄金十枚。  高坂 甚内(こうさかじんない)  甲州透破(スッパ)。生没年不詳。武田家臣、高坂弾正の一族を自称。武田家滅亡の後、下総の向崎に本拠を置き、江戸で盗賊を働く。この時、ライバルの風魔小太郎がいたので公儀から懸賞金をもらって密告、追い落としに成功するが、自身も慶長十八年(1613)捕らえられ刑死。 

inmo87
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  • Pinhole-09
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回答No.3

No.2です。 葵小僧は実在のようです。   板橋で長谷川平蔵が捕らえた「大松五郎」という大盗が葵小僧のようです。 鼠小僧と違い群れで押し入っていますが。 小僧と呼ばれる者、鼠小僧、稲葉(因幡)小僧、葵小僧、市松小僧、因果小僧、田舎小僧などいましたが、不明な点が多い。 雲霧五人男の「雲霧(切)仁左衛門」については、川崎房五郎氏は「江戸八百八町」であれは後でこしらえたニセ物語のようである。   と書いていますが、モデルはあるのでしょう。 先の「真刀徳次郎」は神道流の剣の達人であったといいますから、ここらあたりでしょうか。

inmo87
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  • Pinhole-09
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回答No.2

1.寛政元年(1789年)4月、長谷川平蔵が捕らえた「真刀徳次郎」  関東五国、陸奥を荒らし廻り、手下何百人もいたと噂された大盗賊。 獄門の判決文が残っているそうです。 2.文化2年(1805)獄門に掛けられた「鬼坊主清吉」も評判の盗賊です。  これも芝居になり、種々伝説が出来真相は今ひとつ不明。 3.天明5年(1785)獄門になった「因幡小僧 新助」も鼠小僧のように武家屋敷を狙った有名小盗です。    大名屋敷は被害を隠すので真相は不明。 伝説には「葵小僧」もおり三小僧ともいわれたとか。 4.江戸城の御金蔵破りも有名です。  ただこれらはプロの盗賊でなく、ほとんど出来心の者たちです。 4.1 最初は貞享4年(1687)未遂で幕府駕籠頭など駕籠かき四人逮捕、死後磔など。 4.2 享保5年(1720)二条城御金蔵から200両盗んだ同心が獄門。 4.3 同19年甲府城御金蔵から420両盗んだ城の元水番の農民が磔。 4.4 寛政6年(1794)江戸城で未遂の盗賊市助獄門。  同9年二条城より四千両盗んだ、御用金具職人獄門。 4.5 天保6年(1835)江戸城蓮池御金蔵より250両。 4.6 最後は有名な安政2年(1855)江戸城梅林内御金蔵より四千両盗み、磔になった(藤岡)藤十郎と留蔵(富蔵)です。    これは明治になって芝居になりあまりにも有名になりました。 これらの金蔵破りの回数を少いと考えるかどうか。

inmo87
質問者

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noname#210617
noname#210617
回答No.1

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