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江戸時代の力士はなぜ40代でも勝てるか?
江戸時代の谷風、雷電は44,5歳まで現役でも勝ち続け、無敵の強さでした。 現代では30代後半の力士は続けていくのがやっとなのに、40代で敵なしなんて信じられません。 しかも、江戸時代は今より寿命が短いじゃないですか。昔の40代は今ほど力はないと思います。 それなのに、江戸時代の力士はどうして40代になっても、あんなに勝てるのでしょうか? 記録が嘘くさい感じがします。 故に、谷風は大横綱とよべるのでしょうか。
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Wikipediaでのデータを信じるなら、雷電、197cm、172kg、筋肉質の大巨人で、現在のバルトの平成18年五月場所時と同数値ということのようですね。今でも、バルトが出て来ると思わず大きいなァと感じるわけですから、江戸期では、もっと、とてつもなく大きく映ったことと思われます。しかも、得意技が、張り手に鉄砲(突っ張り)、それに、閂、鯖折ということになりますと、骨折を招きかねない殺人技ですね。そういう殺人技の持ち主だったわけですから、もう、ちょっと近づきたくないという恐怖感さえ対戦相手に与えていたのではないでしょうか。で、44歳で引退して、58歳で他界。死の14年前まで戦っていたことになります。また、信州から江戸に上った当初、谷風(二代)の預かり弟子だったようですね。 一方、谷風(二代)も、189cm、169kgのアンコ型の大巨人で怪力ということでした。銅像の写真を見ると、頭が胴体に埋まっていて首がありません。いかにも、力が強そうです。こちらはその大腿骨が何故か現存しているということで、その長さが48cm、これを4倍するのが法医学上のルールのようですので、そうしますと192cmになります。この骨によって、その巨大さが、単に伝聞による「神話」ではない証になるのでしょうかね。で、35連勝中の44歳時にインフルエンザで他界するのですから、既に、発熱もあったでしょうに、死の直前まで強かったということになりますね。 また、雷電の出身地、信濃国の宗門改帳、過去帳が現存していて、それによると、51歳時の平均余命が20年弱ですから、70歳まで生きる人、ごく普通だったのですね。江戸期の寿命50歳というのは、若年での早死に多かった故と考えられます。 野球、サッカーなど、40代での現役選手、今日、少なくありません。江戸期は、今の大関、横綱と違い発言力が大きかった様子を窺わせる逸話も多く、それで、結構ワガママが言えて、周りにニラミを効かせたりしていたというのも勝ち続けられた理由なのかも知れません。ニラミを効かせつつ、圧倒的な身体圧力を生かしたとすれば、44歳でも負けないということ、大いに有り得るのだと思われます。
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- goHawaii
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谷風はわかりませんが、雷電は納得の話です。 なにより体格差に、ものすごい開きがあります。 雷電の実際の体格は手形などから推測するしかありませんが、 伝聞どおり190cm以上はあったことと思います。 私は雷電の手形を若いころのものと歳をとってからのものと、 2種類を見たことがあります。 鬼のようにデカイ手で、歳をとってからの手も肉が痩せておらず 作りモノかと思うような手形でした。 私の握力は80kg台ありますが、どう比べても雷電のほうが 力があったと感じます。 対する相手は、そこまでの体躯に恵まれていません。 江戸期の日本人平均身長は150cm台。 食糧事情に恵まれ勇壮を誇る戦国武将ですらも150cm台が多く、 さして体は大きくはなかったのです。 対戦相手の力士の情報も残っていますが、180cm台ですら そう多くはありません。 そこに190cm台の筋肉隆々たる大男が混じるわけです。 相撲の性格も、今よりもフィジカルな内容です。 相撲や柔道をやった経験があれば、これらが意味するところは 素直に納得できるのですが、ご質問者様はいかがでしょうか? あと、参考になるかわからないのですが、手形が保管された所には 雷電が動かしたのち、誰も動かせないのでそのまま放置したという 石がありましたが、私が知る限り誰も動かせませんでした。 20年ぐらい前の話ですが、私も含めて6人の柔道選手が挑んでも それぞれ微動させるのが精一杯な石の重さでした。 ちなみにこの6人のうち、2人はオリンピック選手になっています。 この6人よりも雷電の掌は大きく、指は太くて、皆、怪物扱い。 単純に私はケタ外れ感を覚えましたよ。
お礼
確かに体躯の面で有利だというのはわかりますが、小錦、曙、武蔵丸といった巨体力士でさえ、高齢化による体力低下に勝てず、弱くなり引退していったことを考えると、44,5歳まで無敵の強さを誇った雷電の成績は常識に照らしておかしい感じがします。 回答ありがとうございました。
- Sasakik
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あと、江戸期の力士は「大名のお抱え」という「特別待遇」であり、極めて恵まれた環境にあったことも考慮に入れる必要があったのではないでしょうか。 特に、雷電は、松平家という名門(親藩)のお抱え力士でしたから、衣食住のみならず医療面でも恵まれた環境にあったのではないか と。 また、Wikipediaによると「現役21年間で江戸本場所36場所」、幕内の通算戦績「35場所、254勝、10敗、2分、14預、5無勝負、41休(計326戦)」と、1場所15戦(幕下7戦)で年間6場所(十両以上90戦、幕下42戦)の取り組みを行わなければならない今の力士に比べ、「体のケア」と言った面でも現代の力士より恵まれていたのかも知れません。
お礼
健康や医療面で有利だったのかもしれませんが、谷風、特に雷電の成績はかなり非現実的な感じがします。44歳ごろまで勝ち続けたこともそうですが、35,6場所中28回優勝相当とか、私は信じることができません。正しい証拠がなく、成績だけ常識に照らして考えると、嘘くさい感じがします。 回答ありがとうございました。
お礼
体格差というのはあるのかもしれませんが、やはり成績を考えるとなんか信じられません。 小錦だって、現役の最後の方は力が衰えて弱かったわけですから。雇っている藩や横綱など地位の関係で成績を維持していたなら、参考になる成績ではないと思います。 谷風もそうですが、特に雷電は35,6場所中、優勝相当28回も優勝なんて、かなり嘘くさい印象をうけます。こんな成績は現代の年6場所制でいったら、優勝70回達成なんていわれているようなものです。 すごいを通り越して嘘くさいと思います。 もっとも、嘘という証拠はありませんが・・・。本当だという証拠もありませんよね。 回答ありがとうございました。