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江戸時代の家制度について質問します。
江戸時代の家制度について質問します。 江戸時代、売られた芸者の女から生まれた、父のいない私生児の男子は 身分的にどのような扱いをされていたのでしょうか。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸時代、売られた芸者の女から生まれた、父のいない私生児の男子は 身分的にどのような扱いをされていたのでしょうか。 まずは、生まれる前に堕胎をさせます。 例えば、高い所から、何度も飛び降ろさせたり、「ほおずき」を秘部へ入れたりしました。 しかし、それでも生まれてしまった場合は、置屋では「ロクな」食事も与えず、芸者は自らの手一つで育てました。少ない給金の中から着物を買ってやっりしました。 そして、置屋にとっては、「余分な存在」でしたので、病気になっても、全くと言ってよいほど何も手伝ってはくれませんでした。 母親である芸者の責任で育てさせました。 身分的には「一庶民」として扱われ、一応は「人別帳」にも乗せられました。 10歳前後になると、置屋の若衆の見習いをさせられ、雑用に使役させられました。 産後のひだちが悪く、芸者が早くに死亡してしまったりした場合は、もっと悲惨でした。 まあ、赤子の頃は、置屋や死んだ芸者の同僚たちが、米の研ぎ汁などを与え、「死んでも構わない」と言う態度でした。 食事が食べられるようになってからも、置屋から出されるのは、粗末な昼に一食だけぐらいでした。それも十分な量ではなかったので、常に腹をすかせていました。そこで、道に落ちている食べられそうな物は、何でも口にしました。従って、赤痢や伝染病などで幼くして死亡する者も多かったのです。ちなみに、死亡した子どもは銭200文を付けて投げ込み寺などに投げ込み、寺では、吉原の遊女などと同じく「総墓」と呼ばれる穴に埋葬し、簡単な供養で済ませました。 また、死んだ母親の同僚などから「おすそ分け」をもらって、かろうじて生きていました。 そして、やはり10歳前後になると、置屋の若衆の見習いをさせられました。行く行くは、置屋の若衆に仕立てられました。
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参考になりました。 ありがとうございます。