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江戸時代の絵師は下絵を何で描いていましたか?
今は鉛筆と消しゴムがあり、絵の下絵には困りませんが、 江戸時代の絵師はどうのようにして下書きをしていたのでしょうか? 薄い墨と細筆を使用していたのでしょうか? よろしくお願いします。
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掛軸のような、小品はそのまま下書きをせずに書いていたと思います。 それが、技術ですから。 屏風などの大作については、下絵を作り、大体の構図の位置を、消炭などで位置決めはいますが、日本画は筆の勢いなので主要な線は、一気に描いているのではないでしょうか。 以前、高名な京都の扇屋さんの絵師は、下書きなしに大胆に描いていました。もう、馴れているのでしょうね。
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- dulatour
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#3です。 そうそう、宗達など薄墨が下絵のように残っているのは、宗達先生が描いた下絵通りに、弟子が彩色をしたものだと言われていますね。 先生自身は試書きや下書きをしているのではなく、工房の弟子の作業として「本図」を薄墨で描くことはあったと思います。 有名な「牛図」には、下書きのような薄墨の線が残っていますよね。 まあ、これは、弟子に任せたのではなく、宗達自身の構図のためでしょうけれどね。 みっともない補足でした。
- FinePencil
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直接の答えは専門の先生にお任せしますが。 鉛筆について正確な知識を持ってもらいたいのでメモします。 参考にしてください。 江戸時代は1603~1867としますと、1636年に没した伊達政宗は鉛筆を製作させて使用していました。轆轤(ろくろ)を使った「こけし」の製作技法で、現代の鉛筆に近い形の鉛筆を製作し絵師や地図を書く人達に使わせたと伝えられています。 芯は筆先のような形で、持つ部分は筆のようなものです。 このように、江戸初期には製作されていたと推定できますので、江戸時代を通してお役所や、人気の絵師達の間で更に広く普及したようです。 徳川家康の使用した鉛筆は現在静岡県の久能山東照宮に残っていますが、形は当時の国産鉛筆ではないので、輸入品とされています。 輸入品も使われていたようです。 また、1760年に平賀源内の書いた書物に「黒石筆」とありますが、当時輸入した鉛筆を紹介したものです。 1855年の絵巻物「アメリカ船渡来図」には6角形の鉛筆が描かれています。 ファーバー伯爵の製造した原始鉛筆・ヴァバリア鉛筆と思われます。 というわけで、鉛筆の断片的な歴史記録を見ると、ひっよとして江戸時代でも、或る特定の絵師やお役所の役職の人達が鉛筆を使っていたかも知れませんよ。 後は、専門の方にお任せします。
- goojob
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たぶん,ご推察の墨+面相筆だと思います。それ以外の筆記具がありま せんから。 ただ,壁画を描いたり,襖絵を描いたりする場合に,次の方法がありま す。下絵を転写したりする場合は,下絵を描いた紙の描線に沿って針で 穴を開け,その穴に木炭の粉などをこすりつけると,点線で輪郭線が転 写できるという訳です。