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人は人のために生きる以外に何のために生きる道があるというのでしょう。
人は人のために生きる以外に何のために生きる道があるというのでしょう。 このとき、「人」とは自分も他人も含めた一くくりの「人」です。 「人」を自と他に分けることに、大した意味などありません。 それでも人を自と他に分けたがる傾向があるようですが、本来ひとつのものを分けようとするから苦悩が始まるというものです。 自のみを大事にし他を切り離す。そんな人がいずれおとずれる自の死を前にして自の敗北を感じない筈がありません。 この考え方は間違っているでしょうか。
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- ukiyotonbo
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>「人」を自と他に分けることに、大した意味などありません。 >>たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 あなたやみなさまと自他が分かれていない私も、たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 >かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あなたやみなさまと自他が分かれていない私も、日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 >あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、 >>それでも人を自と他に分けたがる傾向があるようですが、本来ひとつのものを分けようとするから苦悩が始まるというものです。 あなたやみなさまと自他が分かれていない私も、深い感謝の念を抱いており苦悩はありません。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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tyoureibokaiさんのご思索として拝読申し上げます。(それにしてもどのお礼のコメントも同じなんですね。) tyoureibokaiさん⇒【人は、(自他を含む一くくりの)人のために生きる以外に何のために生きる道があるというのでしょう。】 回答投稿者⇒この世、人生を生きるということは様態としても結果としてもそういうことになっていますね。 tyoureibokaiさん⇒【「人」を自と他に分けることに、大した意味などありません。】 回答投稿者⇒tyoureibokaiさんが仰せの「人」は何かの意味で「人」を自他に分けているのではなく、「大した意味など」ないけど、そのようにしてきてそのようにさせられていることの情況の理解こそが述べられてしかるべきだと存じます。 tyoureibokaiさん⇒【それでも人を自と他に分けたがる傾向があるようですが、】 回答投稿者⇒分けたがたっているという叙述は多少粗雑かもしれません。 tyoureibokaiさん⇒【自のみを大事にし他を切り離す。そんな人がいずれおとずれる自の死を前にして自の敗北を感じない筈がありません。】 回答投稿者⇒そうなのですよ。“そんな人が、・・”というご託宣ですが、そうでない人は数千万人一人いるかどうかではないですか? この地上を歩いた人で敗北しないで去った人がどのくらい居るでしょう。 私もこの70半ばの年齢まで、多くの立派な宗教者の方の地上からのご出発を見聞してきていますが、それなりにご立派ですが何処まで泰然であったか。 ご本人の魂魄以外には誰にも不明です。普通の人とそれほどお違いがあったかどうか、疑問です。 (私が皆様のような出発をできるかどうか分りませんという謙遜を忘れてはいけませんが。)
>「人」を自と他に分けることに、大した意味などありません。 それでも人を自と他に分けたがる傾向があるようですが、本来ひとつのものを分けようとするから苦悩が始まるというものです。 >この考え方は間違っているでしょうか。 いいえ、間違っってはいないと思います。 全く、そのとおりですね。 プラトニック・ラヴでしょうか。 真理だと思います。 母が、父が、わが子を目前にして感じる幸福な一体感、恋人を抱いて思う同一感。たとえば近親者が目の前で自らを傷めるときにあたかも自分が傷を受けるように感じる怖れ、切ない苦痛といったものは質問者様の仰る言葉で良く表現されていると私は思います。 遠い異国の路上で繰り広げられている馬鹿ばかしい反日デモの若者たちの狂熱を切なく自分自身の徒労のように感じる世界的一体感の感受性を、私たちは皆本来能力として持っていたはずであり、そういったものが唯一世界における全人類の生き残りの可能性を実現させる思いなのではないか。それは決して希少ではなく、奇跡でもなく、質問者様が感じたごとく、私が共鳴したごとく、汎世界的なものであろうと考えます。 希望を持っていきましょう。
- buffa1066
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人はやはり自分が気持ち良いから動くのでしょう。 他人の為と言ってもやはり、自分がそうしたいから、 他人の為に動くのが気持ち良いからというエゴでしょう。 そして人間はやはり自分が大事だと思います。 私は他人の為には死ねません。 完全に人の為に生きる、またはそれに近い人間が どれだけいるでしょう。 その人は悟りを開いていると言えるでしょう、 私が知ってるのはブッダだけです。 キリストもそうかもしれませんが、私の身近に いない事は間違いないでしょう。 私は自分の為に生きています。 胸を張って言いますが、 楽しむ為に生きています。 その楽しみの中には人を楽しませる事もあります。 楽しく生きる事を追求すれば、悟りの境地に近づく のでは?と思っています。 質問者様はもっと具体的に考えてみてはいかがでしょうか? 矛盾点が出てくるのではないか、と思います、 そしてそれで良いのだと思います。
- yoh001
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私は、 「汝等生命の為に生きよ。」 という宇宙の叡智者のお言葉を心の指針にしています。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
>この考え方は間違っているでしょうか。 :冒頭と終盤は殆んど同意できますが、中盤にはやや異論があります。 「他人のためだけ」になるようなものは存在しない、というのが私の基本的な考え方です。 「他人のためになることをした」と認識した時点で、そのように認識できること自体が自分のために他ならない、つまり、自身の満足感、あるいは納得につながるからです。 しかし、これは、 >「人」を自と他に分けることに、大した意味など :無い、ということとは違います。 「自と他の交感」という形式が根底にあればこその作用だからです。 >本来ひとつのものを分けようとするから苦悩が始まるというものです。 :うすうすお感じになっていらっしゃると思いますが、これはやはり無理があるのではないでしょうか。 たしかにマクロ的(あるいは神の)視点から見ればおっしゃるとおりでしょう。 しかし、人類というものがまず存在するわけではなく、あくまで個人の集合体としての人類であって、「自も他も無い」「ひとつのもの」という捉え方は、学術的な分類と殆んど変わらない意味しか無いように思います。 ただ、実際はどうかわかりませんが、私の考え方と似ているところもあるような気がします。 「苦悩の始まり」あるいは「誤謬の始まり」は、「他人と同じひとつのもの」と考えないからではなくて、「他人も自分と同じ可能性を持ったもの」と想像できないからではないでしょうか。どちらの場合も、 >自のみを大事にし他を切り離す。 :ということにつながりやすいでしょう。ただ、理由(原因)が違えば対処法や解決法も違ってきます。 >そんな人がいずれおとずれる自の死を前にして自の敗北を感じない筈がありません。 :同意できます。 このような結果が訪れるだろうことは、どちらの場合にも言えるでしょう。 ただ、この場合も同様で、理由(原因)が違えば対処法や解決法も違ってくる、ということは言えるでしょう。 以上、ご質問の内容に沿ってまとめると、 「他人も自分と同じ可能性を持ったもの」と想像できないために誤謬が生まれ、そこから『苦悩が始まる』。 また、「人=他人」ではないが、心理的力学として「人のため⇒自分のため」という真理が存在しているという認識が必要。 この場合のように、「人のため」が言動のモチベーションになること自体は尊いことと思いますが、逆に、「自分のため」が結果として「人のため」となっていくのが理想的ではないかと個人的には考えています。 最終的には、やはり人は自分が大事な生き物で、また、それが自然だと思うからです。 ここで、「人のため」「〇〇のため」と言う場合の「ため」とは一体何を指しているのか、ということも重要な検討課題になってくるでしょう。 「〇〇のため」と言いつつ人類は数多くの誤謬を犯してきましたし、犯しつづけているように見えます。 この「ため」の価値観を、どのように進化させていけるのか、ということになると思うのですが、この場合のバックグラウンドとして、 >人は人のために生きる以外に何のために生きる道があるというのでしょう。 このとき、「人」とは自分も他人も含めた一くくりの「人」です。 :という認識は不可欠だと私も思います。
お礼
ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。
人は多すぎる(笑)。個人は、個人の自我という妄想のうちに囚われています。実質的に考えると、その対応を一人でなさるのは、無理があるのではないかと・・・ それより、本来ひとつとおっしゃられるなら、そのひとつの存在の現れである、真理のために生きられるのが、妥当ではないかと。それだと、応用が利きます。 奇想天外かもしれませんが、神は、人のために在るのではなく、人が、神のために在るにある、と思えるのです。一番上を、押さえといたら、間違いない!
お礼
ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。
- 巧(@TYR_efes)
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さぁ、どうでせう・・・何も考えずノープランな 日々を送っていれば、そういった事にすら実感を持たなくなるかと。 他の多くの生物達と同様に、自分の生命維持に対する義務にのみ 最も忠実な生き方も、そう間違ったものではないと思いますが・・・
お礼
ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
確かに、現在は社会性(分業化&組織化)が充分発達しており、 個人の生は社会全体の順調な運営に依存している以上、 「自分が生きる」=「人のために生きる」となっています。 とはいえ、第二次大戦頃までは、社会=物質循環の単位は、 国家が主であり、その領土の拡大や覇権争いが、進化=より 優れた“種(この場合国家)”の選択として、正しかったの です(それを避けるのは人類自体が劣化する事)。 (さらに戦国時代以前は、国内でも県単位で戦争していた) ただし、「現在は社会性が充分発達した=社会とは助け合う ために集まったもの」であるとはいえ、個人の意識や為政者 の判断が、それについていっているとは言い難い状況です。 人が働く時に、“人助けのために働いている”という自覚が あるでしょうか?(実質はそうなのですが) お金をもらうために仕方なく働いているのであり、できれば 大金持ちになって働かない(=生物的には死)で済む事を望む。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、 人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった “馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動を とらせる方法をとったのです。 (そんな個人の意識をベースにした国家が戦争するのを回避し難い) お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、 自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせる“矯正具” なので(社会生命として生きる事である労働=助け合いを、 お金をもらうために嫌々働かされる)、当然、自由意志を 束縛する機能があります。 要するに、自己存在の本質に根ざした生による真の喜びに 目をそむけ、他律的生に変質しているのです。 ±0の死から充足の増進(プラス)を目指して生きているはずが、 いつの間にか、苦痛(マイナス)から逃げるだけの、限りなく 死人に近い生へと堕してしまった。 「死に臨んでの後悔」どころか、生きる事そのものの意味を 希薄化(社会的二次的情報による他律)させ、日々生きる 真の目的である精神的充足を低下させているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質) 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々を して、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。
お礼
ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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ちょっとやぶにらみを。 ★ 「人」を自と他に分けることに、大した意味などありません。 ★ このとき、「人」とは自分も他人も含めた一くくりの「人」です。 ☆ 《自と他 / 自分と他人》を分けて表現しているぢゃありませんか? 分けてもいいんです。 関係性と同時に 相対的な独立性もあると想定したほうがいいはずですよ。人間という存在についてはです。自由意志というそれです。 二人や三人があつまって初めて自由意志が存在し得て その意志の自由が確立するというわけのものではない。こう見たほうが うまく行くのでは?
お礼
ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。
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お礼
ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。