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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:道)
道に関する俳句と詩の疑問
このQ&Aのポイント
- 芭蕉の俳句「この道や行く人なく秋の暮」は有名ですが、他にも道に関する俳句はあるのでしょうか?
- 芭蕉以外にも道に関連する俳句や詩、辞世や偈などは存在するのでしょうか?高村光太郎の詩「僕の前に道はない、僕の後に道ができる」も知られています。
- 道という言葉が出てくる俳句や歌についての情報を教えていただきたいです。
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質問者が選んだベストアンサー
まず俳句から、路(じ)でもいいですか。 山路きて 何やら ゆかし すみれ草 松尾芭蕉 街道を キチキチととぶ ばったかな 村上鬼城 箱根路を わが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ 源実朝 親馬の 道をいそげば きりにぬれて 子馬も走る いななきながら 橋田東声 葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり 釋超空
お礼
道、タオ検索したり先人の著書を拝読しましたが、無為自然もこの名なしということも、本当にご理解されていないか、ご披瀝が在りません。全部削除して、図書も不要としました。 失礼ながらよくネットに乗せるものだと存じました。所詮、こういうのは本当に知り、波長の合う方に出会うしかないようです。 村上鬼城の句は私たちはこの綾瀬川や荒川土手で馴染みの経験です。 実朝ゆかりの桜も倒れ、どこも開発が進み、寂しい限りです。 釋超空って、確か民俗学であの柳田のお弟子さんでもあったかのようですね。ちょいと独特の文章は独特の回路のようです。でもよく判る句ですね。 東声は何か母子の馬に注がれているまなざしが見えてきます。 ありがとう御座いました。
補足
SPS700さん、いつもありがとう御座います。 結構あるものですね。高村光太郎や北原白秋の詩は存じておりましたが、俳句や和歌は私たちの心性に食い込む短かく、リズムで開いてくれますね。下村湖人の“大いなる道というもの世にありと思う心は未だも消えず”は、和歌というより心境叙述みたいですが、55年も前はとても新鮮でした。 哲学カテにはほとほと失望したのですが、http://gtubo.gpoint.co.jp/qa5160918.htmlへの投稿は続けています。 19, 56, 63, 64に投稿していますが、最後の二つを投稿するときに、ところで和歌や俳句では“道”はどのようにうたわれているかを、思い出そうとしたのです。 第一にはやはり芭蕉でしたね。 正しくは、“この道やゆく人なしに秋の暮れ”だそうです。 その他に、“人声やこの道帰る秋の暮”というのもあるそうですね。 お礼欄へ