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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:クオリア問題って結局はこうでしょうか)

クオリア問題とは?- 人間の脳と機械の関係について考える

このQ&Aのポイント
  • クオリア問題とは、人間の脳が外部の刺激から得た情報をどのように経験や感覚として認識しているのかについての問題です。
  • 例えば、赤いリンゴを見た場合、その情報は網膜で電気信号に変換され、脳で処理されて赤いリンゴとして意識されます。しかし、電気信号そのものが赤いリンゴとして意識される仕組みは理解されていません。
  • クオリア問題に関する考え方は、人間の脳が機械的な処理として説明できるのか、それとも人間の意識は機械では説明できない特別なものなのか、という哲学的な問いかけでもあります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.33

上できついこと書いちゃいましたが、一足飛びに結論を書きすぎたかも知れません。 僕に説明を聞くのでなくどこがおかしいか自分で考えられるようになってください。いちいち一つ一つの理論について説明を求めるのは無茶です。理論だけで現在星の数ほどの理論があるのに、~~理論、~~理論はどうか?と質問されても、それは知りません。 ただ言えることは、具体的には知らないけど、「それは正しいです」とお返事はできます。でもぼくあまりそんな勉強したくないので・・・能力も興味もないし。 といっても、やはりとことん追い求めないと気が済まないと思いますので、頑張って下さい。 苦しんだ、と言われてますが、まだ考えるのが楽しいみたいなので、それは止められないし。 嫌みではなく、僕が物理や心理学など好きなのを追いかけて、最終的に論理や正しさの薄っぺらさに気付いたように、sisiさんも、進化論など自分の才能や性格にあった学問か何かを追いかけまくらないと、いくら僕が言っても納得はしないんじゃないかと思います。自分の能力を極め尽くしてみられたら、きっと・・・ でないと、今回のお返事のように、また次から次への新しい理論を引っ張り出してくることになりそうです。気が済むまでその繰り返しになりそうと思いました。 底つきするくらい極限まで追いかけて、いい加減唯物論還元論を追いかけるのに飽きたら、そこに真理を追い求めるのを止めたくなったら、それで気が変わったら、また話しましょう。 自分を変えるべきかも? とか意識が向いたらまた質問してください。 この正しさのループから出たいと思われたら、また言ってください。 ーーー最後に投稿があったので >sheep67さんが聖書と進化論に博識であれば頼もしいのですが、どうなんでしょう ごめん、全く興味ありません。 この辺りが、うすうす、ぼくと性格違うなーと思ってた所なので、参考になることはなさそうです。 ただ、唯物論が無理あるように、これもID論??というのも無理ありますねー。間違ってないけど一面的で皮相的、と言う意味です。 ID論も、唯物論と同じくこれもまた正しくて、そして拠り所にはなりそうにない、と個人的には思いますが、でもsisiさんがそれで納得されるなら、問題ないわけですが。 宗教にチェンジとか書いたんですが、かなりのずれがあるので、具体的なことも知らないので、話は無理みたいです。 ぼくは例えば聖書が史実かどうか? とか、進化論とどう理論的にすりあわせるのか?等は完全に後回しです。ああいうのは神様の参考書だとしか思っていません。その内容が正しいかどうかでなく、参考になるかどうかだけです。 ぼくはつまり、聖書が史実であった!とか証明されてもそれで信じようという気にはならないので。聖書でなく神様専門です。 神様のことさえ分かるなら、例え仏教でもヨガでもタオでもスピリチュアルでも新宗教でも物理でも数学でも参考にしますし、選ぶ目安はそれだけなので・・というか宗教そのものに興味がないんですねー。宗教を拠り所にもしてないし。みんな参考書です。 なので、具体的には聖書やIDについてはわかりません、ごめんー。 というかそういうのなら、キリスト教などにもたくさん論者がおられるので、詳しい方に伺ったらどうでしょうか? GOOにもいるかも。 全部に答えたかな~~・・・自信ないけど 以上ぼくもまだ途中で、上のようなえらそうなこと言える身分じゃないんですが、自分のことは棚に上げて言いました。でないと何も言えないんで・・(というか偉そうなこと書いて冷や汗です・・慣れないことするもんじゃないわ・・・)

sisi91sisi
質問者

お礼

>ただ言えることは、具体的には知らないけど、「それは正しいです」とお返事はできます。 「それは(その土俵では)正しいです」ですよね >といっても、やはりとことん追い求めないと気が済まないと思いますので、 >頑張って下さい。苦しんだ、と言われてますが、まだ考えるのが楽しいみたいなので、 >それは止められないし。嫌みではなく、僕が物理や心理学など好きなのを追いかけて、 >最終的に論理や正しさの薄っぺらさに気付いたように、sisiさんも、進化論など自分の >才能や性格にあった学問か何かを追いかけまくらないと、いくら僕が言っても納得は >しないんじゃないかと思います。自分の能力を極め尽くしてみられたら、きっと・・・ すっかりお見通しなんですね >底つきするくらい極限まで追いかけて、いい加減唯物論還元論を追いかけるのに >飽きたら、そこに真理を追い求めるのを止めたくなったら、それで気が変わったら、 >また話しましょう。 >自分を変えるべきかも? とか意識が向いたらまた質問してください。 >この正しさのループから出たいと思われたら、また言ってください。 もう大分走り疲れました。また変な疑念が湧いてこなければ良いのですが まだ進化論側からの精神を考察できてないので、唯一、心のこりですが・・・ まぁそこは前にも言った通りクオリアを自覚できる素晴らしさということも言えますね ーーー最後に投稿があったので >ただ、唯物論が無理あるように、これもID論??というのも無理ありますねー。 >間違ってないけど一面的で皮相的、と言う意味です。 >ID論も、唯物論と同じくこれもまた正しくて、そして拠り所にはなりそうにない、 >と個人的には思います 人類の起源もそうなりますか まぁどれもそれを正しいとする土俵の理論なのでという意味だろうと思いますが そこは客観的にどの論が正しいかある程度割り切れるんじゃないでしょうか >なので、具体的には聖書やIDについてはわかりません、ごめんー。 >というかそういうのなら、キリスト教などにもたくさん論者がおられるので、 >詳しい方に伺ったらどうでしょうか? >GOOにもいるかも。 そうしてみます 堂々巡りになるのかもしれませんが ただ、今そのラエリアン・ムーブメントが頭から離れなくて辛いです ありがとうございました

その他の回答 (33)

回答No.3

 考えてみました。  人間の“目”が捉える情報は、  形、色、大きさ、遠近、速度、・・・・・ほかに何かあるでしょうか。  これらの“映像”を網膜から後頭葉へ伝達する手段を調べると“電気信号”といえるのですね?  それでは、現象(景色)から網膜の間は、電気信号なんだろうか。    単にそれは光だ、ということなんでしょうか。  素人なので知りませんが。  遠近を感じる脳。大きさを感じる脳。形を感じる脳。色を感じる脳。  電気信号のさまざまな変化が、これらの情報を脳に伝える。  それらの情報を受け止めることのできる人間の脳は高性能ですね。  私は、クオリアというのは、例えば金属製の物より、木製の製品のほうに温かみを感じる。といった事のように受け止めています。  布団を見るとふわふわした感じを受けますが、こういった“感じ”の事をクオリアと言っているのではないでしょうか。  でもいろいろ考えてしまいます。映像って、物質?だなんて。     

sisi91sisi
質問者

お礼

回答ありがとうございます >私は、クオリアというのは、例えば金属製の物より、木製の製品のほうに温かみを感じる。 >といった事のように受け止めています。 それは脳が金属を認知して、以前木製品を触ったときの感覚の記憶を思い出し それと比較しているだけではないのでしょうか 一度も金属を触ったことのない赤ちゃんははたしてクオリアを感じるのでしょうか やはり脳は何も感じてない気がします

noname#156094
noname#156094
回答No.2

素人ですが クオリア問題は、人間的情報の問題なのでしょう。 機械的な情報そのものは無機的であり、客観的な確実性があります(当たり前ですが) 実験により測定もできるし、完全なコピーも可能ですね。 ですが、人間が捉えた情報は不確実で常に変化し続けているように思えます。 感覚質ともいわれるクオリアは、主観的な情報であり、常に不確実なのでしょう。 情報そのものは非人間的であっても、感覚によってもたらされる情報は人間的になってしまうものだという見方もできます。 情報そのものが変化や変換をしてこそ人間に受け入れられているという事なのだと思います。 感覚というフィルターを通して入ってきた段階で、情報はすでに変化してしまいますし 記憶媒体にしても、その入力時においても、また出力時においても変化してしまっているのではないでしょうか。 こうした見方をしていくと、人間の情報の記憶とか再現の働きは余りにも不安定で不確実なもののように思えます。 情報全体の正確な伝達とか再現という見方からすれば、人間の脳の働きは失格かもしれません。 でも、情報の質感を正確に捉えているという見方からすれば、人間の脳の働きは合格であるとも言えるように思います。 情報に質感を与えるとか、質感によって分類するとかいった働きは人間にしかできないものです。 情報の把握において、そうした人間的な変換が自然に行われているという見方からすれば、その事を機械的な情報処理と比較するのは意味がなさないようにも思われるのですが・・・ 新しい情報の質感は、すでにある情報の質感と照合され分類されていくように思います。 そうした素早い働きは感性によるものなのでしょう。 感性コンピューターが人間なのかもしれませんね。 感性コンピューターの情報処理がクオリアなのかもしれませんね。 その辺のソフトが開発されればコンピューターも人間に近ずけるかもしれませんね。 完全には無理のように思いますけど・・・ ご参考になさってください。

sisi91sisi
質問者

お礼

回答ありがとうございます 質感を伝えるということですね 自分はいまいち質感というものを感じないのです 特に視覚についての質感を感じない、というか理解してないのかもしれませんが。 カメラ(視覚)、体重計(圧力)、温度計(温度)などもクオリアとして感じとっているような気がしてしまいます

noname#118806
noname#118806
回答No.1

 主観的な次元というのは未だ解明されていませんが仮説で言うならばディスプレイという別次元が存在するということを肯定せずにはおれません。つまり魂の世界が存在することの理論的証明になります。物理的世界からの情報を肉体を通して送られてくる情報を受け取る世界です。逆に言えば主観世界の主導権によって認識している訳ですから機械的に動いているのではなく主観的に動いている事になりますが物理的変化によって精神状態は変わるので主導権が主観に存在していても危ない自己啓発やセミナー、異常な新興宗教、大衆操作がお得意のテレビ番組はたまた普通の認識に至るまで物理世界の刺激によって誘導することは造作ない訳で目が覚めて文句を言っても「じゃあ何でやめんかった?」といわれて文句も言えないわけです。

sisi91sisi
質問者

お礼

回答ありがとうございます >ディスプレイという別次元が存在するということを肯定せずにはおれません それはデジカメのディスプレイで電気信号が画像に変換できるように 人間の脳内でも同じような変換が起きていると仮定でき、別次元というのはいまいちピンときません むしろ電気信号を画像に変換できることが魂の世界が存在しないことの理論的証明の一部になりませんか? というかそう思わざるをえない(機械的に還元される)ため僕は恐怖を感じているんです

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