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クオリア問題とは?- 人間の脳と機械の関係について考える
- クオリア問題とは、人間の脳が外部の刺激から得た情報をどのように経験や感覚として認識しているのかについての問題です。
- 例えば、赤いリンゴを見た場合、その情報は網膜で電気信号に変換され、脳で処理されて赤いリンゴとして意識されます。しかし、電気信号そのものが赤いリンゴとして意識される仕組みは理解されていません。
- クオリア問題に関する考え方は、人間の脳が機械的な処理として説明できるのか、それとも人間の意識は機械では説明できない特別なものなのか、という哲学的な問いかけでもあります。
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上できついこと書いちゃいましたが、一足飛びに結論を書きすぎたかも知れません。 僕に説明を聞くのでなくどこがおかしいか自分で考えられるようになってください。いちいち一つ一つの理論について説明を求めるのは無茶です。理論だけで現在星の数ほどの理論があるのに、~~理論、~~理論はどうか?と質問されても、それは知りません。 ただ言えることは、具体的には知らないけど、「それは正しいです」とお返事はできます。でもぼくあまりそんな勉強したくないので・・・能力も興味もないし。 といっても、やはりとことん追い求めないと気が済まないと思いますので、頑張って下さい。 苦しんだ、と言われてますが、まだ考えるのが楽しいみたいなので、それは止められないし。 嫌みではなく、僕が物理や心理学など好きなのを追いかけて、最終的に論理や正しさの薄っぺらさに気付いたように、sisiさんも、進化論など自分の才能や性格にあった学問か何かを追いかけまくらないと、いくら僕が言っても納得はしないんじゃないかと思います。自分の能力を極め尽くしてみられたら、きっと・・・ でないと、今回のお返事のように、また次から次への新しい理論を引っ張り出してくることになりそうです。気が済むまでその繰り返しになりそうと思いました。 底つきするくらい極限まで追いかけて、いい加減唯物論還元論を追いかけるのに飽きたら、そこに真理を追い求めるのを止めたくなったら、それで気が変わったら、また話しましょう。 自分を変えるべきかも? とか意識が向いたらまた質問してください。 この正しさのループから出たいと思われたら、また言ってください。 ーーー最後に投稿があったので >sheep67さんが聖書と進化論に博識であれば頼もしいのですが、どうなんでしょう ごめん、全く興味ありません。 この辺りが、うすうす、ぼくと性格違うなーと思ってた所なので、参考になることはなさそうです。 ただ、唯物論が無理あるように、これもID論??というのも無理ありますねー。間違ってないけど一面的で皮相的、と言う意味です。 ID論も、唯物論と同じくこれもまた正しくて、そして拠り所にはなりそうにない、と個人的には思いますが、でもsisiさんがそれで納得されるなら、問題ないわけですが。 宗教にチェンジとか書いたんですが、かなりのずれがあるので、具体的なことも知らないので、話は無理みたいです。 ぼくは例えば聖書が史実かどうか? とか、進化論とどう理論的にすりあわせるのか?等は完全に後回しです。ああいうのは神様の参考書だとしか思っていません。その内容が正しいかどうかでなく、参考になるかどうかだけです。 ぼくはつまり、聖書が史実であった!とか証明されてもそれで信じようという気にはならないので。聖書でなく神様専門です。 神様のことさえ分かるなら、例え仏教でもヨガでもタオでもスピリチュアルでも新宗教でも物理でも数学でも参考にしますし、選ぶ目安はそれだけなので・・というか宗教そのものに興味がないんですねー。宗教を拠り所にもしてないし。みんな参考書です。 なので、具体的には聖書やIDについてはわかりません、ごめんー。 というかそういうのなら、キリスト教などにもたくさん論者がおられるので、詳しい方に伺ったらどうでしょうか? GOOにもいるかも。 全部に答えたかな~~・・・自信ないけど 以上ぼくもまだ途中で、上のようなえらそうなこと言える身分じゃないんですが、自分のことは棚に上げて言いました。でないと何も言えないんで・・(というか偉そうなこと書いて冷や汗です・・慣れないことするもんじゃないわ・・・)
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- sheep67
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なんかまた続きを書いてみて・・・ 前の投稿をまとめると 色が有限の色の一色を持つのは、その背景に無限のグラデーションを持つからだと思う。 その無限の可能性から、どうしてただ一つの目の前の青色が定まるのか、そのクオリアの不思議は、量子力学の観測問題に似ています。 観測者問題とは、波動関数の収束と言われるような、波と粒子の相補性から来る問題です。 なんて言うんですか、「観測による波動関数の収縮」と言われる概念と、クオリアを感じるときの実感は、とても良く似てる、と言うことです。 というより、この観測問題を目の当たりにして肌身で実感して驚き感動している、というのがクオリアの本質じゃないでしょうか? 共通項もすごく多いけど、断定するには違う点も多すぎるのですが、 クオリア問題と観測者問題は同じ問題じゃないか、と想像します。 概念的には、この2つの問題は、共通項が多すぎます。違うところも多々ありますが。 またこれだけのことで、なんの数式的証明もなしにこんなことを言うのは、科学ではありませんので、 あくまで僕の憶測ですが、でもビジョンが似すぎでます。 2つの問題のルーツは一緒かも、と思います。 これが本当なら、僕らは24時間いつでもどこでも、観測者問題を実感し続けていることになります。そうまとめていいのかも、とちょっと思いました。うそかほんとかわかりませんが。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、ただひとつに決まるというのは不思議ですね。 聞きかじった程度ですが、そういわれてみると観測問題ともにていますね。 こんなにたくさん回答して貰って図々しいですが、お時間があれば、前の回答お礼欄で僕が書いたデジカメを例にしたクオリアの存在否定について、ご教授ください。
- 雪中庵(@psytex)
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#11の者です。 存在としての感受について、疑問がおありのようですので追記します。 基本的に、「外の存在を認識する」というのは、光や音といった先行感覚 に対する、他の生理的作用の大きな感覚の予測(=「そこ」に行った時に 起きる事)の結果です。 それは、五感の相関した経験の蓄積によって、先行感覚の刺激に対して、 他の感覚の部分が励起される事に起因します(さらに「起因」するのは、 “空間”の本質である遅延作用(=遠くの姿は昔の姿)によります)。 「五感」は、実はどれも、感覚器官表面での、量子相互作用に過ぎません。 (あらゆる“感受”は神経繊維のインパルス=一次元に還元されます) 視覚=光は当然ですが、聴覚の空気の振動も気体分子の最外殻電子との 電気的反発=光子の交換だし(触覚も同様)、味覚や嗅覚もそれぞれの 感覚細胞表面のカギ分子にはまる分子による電離=光子の移動です。 いずれも、感受表面での量子相互作用パターンの違いに過ぎないのです。 次に遅延作用についてですが、我々は「過去は既に終わっている」 「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、 真の『現在』は、感受表面での量子相互作用(光速)のみです。 相対性理論の四次元時空の方程式では、時間項は虚数になっており、 そのため(四次元ベクトルでは二乗になるので)空間軸と時間軸の 等距離点に、“ゼロの面”ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の 領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。 そして超光速においてエネルギーは虚数化し、相互作用=二乗に おいて負=過去(時間的反転)と等価になり、即ち、現在から 過去と未来が対発生していると言えるのです。 現在から過去と未来が発生するならば、“第一原因”の問題は解決します。 自我仮説の相補として対発生する時空仮説において、自己(=認識可能性) こそが第一原因ですが、認識体自身がその仮説的空間に有限な大きさを 占めていることで、先入的根拠の完全否定となっています。 (ただし物理的原理まで遡った「相補」なので現象的には任意にはならない)
お礼
追記ありがとうございます 少し分かってきた・・・つもりです クオリア(=「外の存在を認識する」?)は刺激に対する肉体の生理的作用の連続ということでしょうか つまり、クオリア、ありありと感じられている感覚、質感は存在しないと。 後半は未だよくわかりません 物理的知識がないからでしょうか お時間あれば喋り言葉ぐらいの平たい文章でお願いできないでしょうか もちろんこのような具体的な文章の方が確実なのは分かっていますが まだ僕には読解力不足です すみません
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
不確定性原理により、還元主義&決定論的な考えによる、 存在=性質の集合の、1つの性質“絶対確定化”は、それを 存在として有効にする他の性質を、無限不確定化します。 全ての存在は、量子的な不確定性(確率波動)に基づいており、 無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を 想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、 自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識します。 量子論的世界像において、有限的存在性は観察において派生する= 「全ては、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完」 だと言うなら、宇宙は自己の必要であり、完全に自由であるはずです。 しかし物にぶつかり、人と争うのはなぜかというと、その場合の自己は 「物理的根源にまで遡った」ものではなく、現象表面的&刹那的な 「自己チュー」なものだからです。 いわば「存在」とは自己矛盾なのです。 そうした短絡的自己から、認識の深まりによって“環境”を自己として 自覚化し、社会に対しては他我(愛=社会生命的自覚=自律的社会行動) において生きるなら、その意志は永遠の未来においても、宇宙の果てに おいても、予め達成されるものとなり、完全なる自由と無限の幸福が 約束されるのです。
お礼
回答ありがとうございます 僕には難しすぎて理解できません。ごめんなさい 分かるときがくるのでしょうか とりあえず、今はデジカメを例にすると視覚のクオリアなど存在しないのでないかという恐怖を感じています。 クオリアのひとつである視覚がないのであれば他のクオリアも存在しないという結論に至りそうで怖いです。
- miko-desi
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「死」を認識して嫌うことが出来るなら一般人です。 自分で自分の世界を(ここまでしますか?極限まで)ミクロにしているだけです。 もし自分が死ぬなど考えたこともない、恐れないということなら 人間以上の存在か、機械か動物かになります。 それ以外の可能性として 人間にしか見えない「哲学的ゾンビ」かも?? ↑別の質問に回答を間違えて入れてしまったんですが(おっちょこちょいです)、 敢えて(?)それほど違わないかもしれない。
お礼
回答ありがとうございます マクロ的に物事を考えるべきだと言うことでしょうか 確かに還元主義?が頭から離れません
- sheep67
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訂正 >ある次元における無限は、別の無限においては有限 ↓ ある次元における無限は、別の次元においては有限 です。すんません。
お礼
訂正ありがとうございます 補完します
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
線路は続くよ・・ で続きです トランプに例えると、無限枚のカードがある中から、ただ一つのカードが引き出されて目の前にある、その、もう偶然とも必然とも呼べないような信じられない光景です。なぜ無数にある中から、このたった一枚のカードなのだろう? いくら考えてもそれは分からない、というのがクオリアかと思います。 誰が選んだの? 偶然? 必然? という不思議です。 というのも僕は小さいときにものがすべて虹色に見えたことがよくありました。 それが大きくなってから不思議で、クオリアと呼ばれていることを知りました。でも仕組みは分からなかったんですが、今日ちょっと進んでうれしいです、自己満足的に。 ーーー 脳の象徴化機能についての想像があります。 脳神経回路のループ、というのは、無限でありながら有限です。それは次元をひとつ落とす、と言う意味においてです。神経回路がループを作っていることが、象徴化に強く関わる、と思います。 ループ、と言うものは果てがないくせに、大きさは定まっています。それはこの宇宙も同じで、果てない無限なのに、宇宙の大きさは限定されます。無限なのに有限、それはループの特徴です。 メビウスの輪しかり、クラインの壺しかりです。ある次元における無限は、別の無限においては有限になり得ます。脳にはそういう変換機能があると、想像します。 この、無限を有限に変える、幾何学的性質が、おそらく脳の中で、概念の象徴化に関わるものじゃないか、と想像してます。 そしてクオリアが無限をしょってる癖に、有限のものとしても捉えられる不思議のネックかなー。 単純に、感性と認識の間の翻訳だ、といっても良いかもしれませんが。 これも証明、と言われると、見当も付きませんが。
お礼
回答ありがとうございます >というのも僕は小さいときにものがすべて虹色に見えたことがよくありました。 !? 幻覚みたいなものでしょうか?それとも言葉の例えですか 後半は難解です・・・ おそらく有限、無限について僕はあまり考えたことがないからだと思います クオリアのことばかり考えています; そのうち理解できる日がくるのでしょうか ただ、文章から不可思議なものを感じます 考えだしたら僕も止まらないのでしょうね
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
ちょっと定まってきたのでもうちょっとすみません。 青にしたって、無限のさまざまな青があるはずなのに、どうしてよりにもよって目の前のただ一つに定まる青なんだ! という驚きが、青のクオリアの本体だと思います。 無限にある中から、ただ一つの有限性が選択される、その奇跡です。当り前が当り前でないことを、だれもが本音では知っているのでは、と思います。 そしてクオリア本体である、ひとつの概念の背後に前提として存在する無限は、脳で把握してるわけではない、というのは、多分実感として納得してもらえると・・・思うのですが。 これが本当だとしても科学や厳密な論理では説明しがたいと思います。
お礼
確かにクオリアが存在するとすれば その壮大なバックグラウンドに驚かざるをえないです
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
下に書いた脳の象徴化機能をひとつ。 というか僕もいい機会なんで考えさせてもらって・・ ちょっと味噌汁のクオリア、とかではアバウトだったので、ただ一つの要素的なクオリアに絞ります。 例えばよく例で上げられる色のクオリアです。 僕は青が好きなので、青で行きます。 青のクオリアが定まるには、色のグラデーションだけでも、無限の色の階層の中からただ一つが目の前にある。無限の違いの中のただ一つが目の前に存在します。それは、単純な、青、なんて言葉で呼べるような単純なものじゃありません。 青だ、という偏見で見れば、青としか思いませんが、青にすさまじいクオリアを感じるときは、そんな固定観念は取っ払われ、無限のグラデーションと無限の明暗の階層の中に浮かぶ、ただ一つの個性である、目の前の青を見ています。 無限の中の、一瞬の断面である切り口が、目の前に存在する青のクオリアです。だからこそ、理解不能なものとしてクオリアは存在します。 僕らがクオリアに無限を感じるときは、こういう無限の一断面としてのひとつの色をその全体の構図をうすうす感じ取ってるからこそ、「無限のひとつの側面としての表れであるクオリア」、としてみているのだと思います。 というか僕はそう感じますがねー、証明しろというのは無理ですが。 青なんて言葉は、その無限をぶちこわして、ひとくくりにする、木で鼻をくくるようなものですが、脳は残念ながらそんなことしかできません。脳は有限なので仕方ありませんし別に悪いわけでもないですし。 そして、それを認知するには、先に書いた宇宙も存在しないと、このクオリアも認知できません。 時間0秒ではいくら何でもクオリアを感じられませんし、空間が無くても、無限との触媒になる青を発する物体も存在できません。 なんだかんだで、ただ一つの要素的クオリアも、それを含む極限や無限と切り離しては、存在は考えられないのではないでしょうか・・・ と思うんだけど・・
お礼
回答ありがとうございます。 僕も青が好きです でも、「青に凄まじいクオリアを感じる」ということがよく分かりません 例えば、今なんかでは被写体の顔を探し出し、そこに焦点を合わし自動的に撮影してくれるカメラがあるじゃないですか。 あれってやっぱり顔の凄まじいクオリアを感じてるということじゃないですか なんか下のお礼コメント欄と同じこと書いてしまいましたすみません 極限や無限・・・ですか、言われてみたら確かに壮大ですが なんかここまできたお礼コメント欄で言うのもあれですが まだ自分クオリア感じてない気がします 最初の方のsheep67さんの回答から着いていけてないような・・・ どうか僕のお礼欄で少しずつ書いてきたデジタルカメラを例にとったクオリアの否定について、教えて貰えないでしょうか 自分でも少しピントずれてる気はしてるんです
- sheep67
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や、やっぱもうちょっと補足・・・ クオリアは、「意味」と置き換えられるでしょうか? 置き換えら得ると仮定します。 そうしたら、意味の重要性はなぜ生まれるか、を見てください。 意味の重要性と、物質の大きさは全く比例しません。 例えば、パソコンプログラム内の、ただ一つの0と1が間違って書かれていた、とします。 でもこれは、核爆弾の管理プログラムで、この一つの間違いで、地球が滅ぶとします。 そうしたら、この0と1の違いの意味は、とても大きいものになります。 なぜこの0と1の違いの意味は大きいのか?その意味を知った人間にでっかいクオリアを与えるのか?(ちょっとニュアンス違うけど・・・) それは、その物理的?違いにまつわる、その意味を構成する、外世界が存在しているから。 その0と1の違いの意味を作成してるのは、そこに繋がる、でっかいでっかい外部の意味世界だから、です。 いい例えじゃないですねー。 でも逆に素敵な思い出の場所、なつかしいお味噌汁のクオリアも同じです。 他人にとってはどうでも良くても、本人にとってはすごく大事で意味のあるもの、と言うのがあります。 そのすごく大事さ、というのはクオリアです(アバウトに) なぜでしょうか? となると、その、把握してるクオリアの意味に繋がる、全世界の意味構造が関係してるからです。 そして脳によるクオリアの把握は、この全体意味構造を捉えきれない、その出がらしみたいなものです。 いい言い方だと、抽象化? 象徴化? というたぐいの機能を、脳は実行してるに過ぎません。 と言う意味で、脳は、全体というある種の無限極限(アバウト)と、有限との間の、翻訳者、仲介者だと思ってます。 こういう象徴化の典型は、「言葉」です。この手の機能は、脳は大得意です。 すべての存在、すべてのもの、すべてのクオリア、すべての人が捉えられるものにたいして、この部分と全体は当てはまっている、といって、伝わるのでしょうか・・ という風な、アバウトで済みません。細かくつっこまれたらまだ無理ですけど。ちょっとは楽でしょうか・・それには自信ないけど・・・
お礼
回答ありがとうございます 後半難しいですが、なんとなく分かります 客観的?機械的?に見て価値のないものを、人間は価値があると感じ取れることが素晴らしいということでしょうか? でもちょっと僕はその前段階の、価値がある(大切だ!という感覚?)に疑問なんです 本当に感じてるのか?と。 例えば従業員以外の不審者を感知する監視カメラがあるとします そのカメラはレンズ(目)に入ってくる映像をコンピュータ(脳)で情報処理し 特定のものを選びとっているわけです それってなんか人間と同じじゃないですか? その不審者と従業員を選別してるところも、今回の回答文の「意味」という概念と重なる気がしてしまいます・・・ そんな感じで機械と同じくクオリアなんてないと思ってしまいます そういう機械にはクオリアは存在しないとする立場なので。 なんか親身になってくれてる感じが文章から伝わってきます。ありがたいです。
補足
くれてる じゃなくて 下さってる ですね。恥ずかしいです。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
この感じの問題では一時悩んだので・・・ 一時人間は脳じゃないのか? もしかして脳幹? やばい、と言うときがありました。 で、そうではない理屈を考えたのですが、別に現実をねじ曲げたというわけではないです。 それは、単純に、存在は、全宇宙の中にある、と言うことです。(細かい理屈省略の説明でいいかしら) 宇宙がもしないとして、それで存在もへったくれもありません。 存在する、と言うことは、時間空間を前提にしています。 宇宙があるから、なんでもそこにあり得ます。(すさまじくはしょった説明で済みませんが) りんごがある、と言うことは、りんごを浮かべる宇宙がある、と言うことです。 この構図において、受動的な機械論と、能動的主体論は、足して2で割れます。 (というかあまりに緻密な論理的説明は僕もできてないんですねー済みません) ただの脳の電気信号は、間違いなくただの電気信号です。 乾電池に電線つないだって同じものが流れます。それ以上でも以下でもないです。 簡単に考えて、それがりんごになるわけ無いじゃないですか? この滅茶苦茶な断裂を、よく脳の研究者は(茂木さんら一部を除いて)、平気でおれるなーと驚きます。 問題は、質問に書かれてるところがポイントではないと思います。 >クオリア問題ってそういう問題ですよね これは正しいと思うんですが、 >うまく表現できませんが、ニュアンスを掴んで頂けたら幸いです。 こちらのコンピュータの例は、ただ脳をそのまま置き換えただけです。そんな置き換えをしてもあまり意味はありません。 脳は有機コンピュータみたいなものだと思うので、脳の例えとして悪いわけじゃないですが、クオリアの問題は、脳をコンピュータに置き換えたからと行って、浮き彫りになる分けじゃありません。 そこでピントがずれてると思います個人的に。 脳だろうが、コンピュータだろうが、ただの電池で導線に電流を流すだけの一番簡単な電気回路だろうが、どうしてそんなものが、りんごになるのか? それが問題だと思います。 (ここから先は、無限と有限の組み合わせ、というやっかいな話になるので、できたらここで手を打てたら・・) どうでしょうか?
お礼
たくさんの回答ありがとうございます。ひとつずつ返信させて頂きます。 >この構図において、受動的な機械論と、能動的主体論は、足して2で割れます。 ちょっとここがよく理解できないのですが、sheep67さんの回答をこのまま読み進めていっても差し支えないでしょうか >脳だろうが、コンピュータだろうが、ただの電池で導線に電流を流すだけの >一番簡単な電気回路だろうが、どうしてそんなものが、りんごになるのか? >それが問題だと思います。 デジカメのディスプレイに撮影したリンゴが表示されるのが不思議だということでしょうか それとは違うのでしょうか。いまいちデジカメの構造を理解しておりませんが デジカメがレンズから取り入れた情報をディスプレイで表示できたように 脳内でも眼球から取り入れた電気信号を脳の一部分で再表示し、認識することに疑問を感じません なんかピントずれてますか?そんな気も若干してきました。 sheep67さんもこの問題について悩まれたようなので、どういうわけかホッとします
補足
追記させてください(補足欄ってこの使い方であってますか?自分は質問者です) >脳だろうが、コンピュータだろうが、ただの電池で導線に電流を流すだけの >一番簡単な電気回路だろうが、どうしてそんなものが、りんごになるのか? >それが問題だと思います。 sheep67さんは機械も流れる電気信号でクオリアを感じるという立場ということでしょうか
お礼
>ただ言えることは、具体的には知らないけど、「それは正しいです」とお返事はできます。 「それは(その土俵では)正しいです」ですよね >といっても、やはりとことん追い求めないと気が済まないと思いますので、 >頑張って下さい。苦しんだ、と言われてますが、まだ考えるのが楽しいみたいなので、 >それは止められないし。嫌みではなく、僕が物理や心理学など好きなのを追いかけて、 >最終的に論理や正しさの薄っぺらさに気付いたように、sisiさんも、進化論など自分の >才能や性格にあった学問か何かを追いかけまくらないと、いくら僕が言っても納得は >しないんじゃないかと思います。自分の能力を極め尽くしてみられたら、きっと・・・ すっかりお見通しなんですね >底つきするくらい極限まで追いかけて、いい加減唯物論還元論を追いかけるのに >飽きたら、そこに真理を追い求めるのを止めたくなったら、それで気が変わったら、 >また話しましょう。 >自分を変えるべきかも? とか意識が向いたらまた質問してください。 >この正しさのループから出たいと思われたら、また言ってください。 もう大分走り疲れました。また変な疑念が湧いてこなければ良いのですが まだ進化論側からの精神を考察できてないので、唯一、心のこりですが・・・ まぁそこは前にも言った通りクオリアを自覚できる素晴らしさということも言えますね ーーー最後に投稿があったので >ただ、唯物論が無理あるように、これもID論??というのも無理ありますねー。 >間違ってないけど一面的で皮相的、と言う意味です。 >ID論も、唯物論と同じくこれもまた正しくて、そして拠り所にはなりそうにない、 >と個人的には思います 人類の起源もそうなりますか まぁどれもそれを正しいとする土俵の理論なのでという意味だろうと思いますが そこは客観的にどの論が正しいかある程度割り切れるんじゃないでしょうか >なので、具体的には聖書やIDについてはわかりません、ごめんー。 >というかそういうのなら、キリスト教などにもたくさん論者がおられるので、 >詳しい方に伺ったらどうでしょうか? >GOOにもいるかも。 そうしてみます 堂々巡りになるのかもしれませんが ただ、今そのラエリアン・ムーブメントが頭から離れなくて辛いです ありがとうございました