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降る雪や明治は遠くなりにけり 切れ字「や」と「けり」どっちが強いでしょう?
- 一般的に俳句で切れ字を二つ入れるのはタブーとされますが、例外として中村草田男の上の句が挙げられます。
- 「降る雪や明治は遠くなりにけり」の切れ字「や」と「けり」については、意見が分かれています。
- 「や」と「けり」は強弱関係があるから成功していると言われる一方、逆の説明もあるようです。
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切れ字とは何かをまず考えて見ましょう。「言い切る形」が一般的な定義ですが、「感動の中心」と言うことも大きな意味です。「降る雪」に感動の中心があるのか、それとも「明治は遠くなり」にあるかです。 情景を考えると、振る雪の向こうに作者が明治時代に通った南青山小学校が見え隠れする。その姿に小学校時代に戻ったような錯覚にとらわれると共に、明治と言う時代が過去のものとなり、永遠に去ったことに気づかされる。 「けり」は(伝聞)過去の助動詞が有名ですが、詠嘆の意味も持ちます。それも、気づきの「けり」といって、「今までも意識していなかった事実に初めて気づいた驚きや感動」を表します。ここでは明治と言う時代が過去のものとなり、永遠に去ったことにはじめて気づかされた感動を表しています。付言すれば「にけり」の「に」は完了の助動詞で、明治という時代が完了したことを示しています。 このように考えてくると、感動の中心は「明治は遠くなり」にあると思われるのですが。 文法的に考えると、詠嘆の助動詞「けり」は、「初めて気づいた気持ち、驚きが強い時に詠嘆の意味が生じた」とされています。これに対して切れ字の間投助詞「や」は、発生的には語調を整える用法から出ています。「上の体言を下に結びつけ、軽い感動の意味を表す」ことから、「ある場面を詠嘆の意味をこめて示す」ようになるのです。両者を文法的に比較すると、「けり」の方が感動が強いということが言えると思います。 以上うまくまとまりませんが、参考まで。
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- gesui3
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芭蕉は「すべての言葉は切れ字になり得る」と言っているそうですから、あくまで相対的なものでしょう。 ましてやどちらも切れ字なのですから、。「や」と「けり」のどちらが強いかは、解釈や感じ方の問題となってくると思います。疑問自体があまり意味のない問いだと思われます。(受験勉強のしすぎ?)
お礼
下の人の素性もわからんのに揶揄するようなことを 得意げに書く輩と違って、真摯、明快なご回答をありがとう ございました。雲散霧消、大変参考になりました。