- ベストアンサー
純粋理性批判(Q9)
純粋理性批判(Q9) 判断表「判断の性質」の、 「否定判断:A は B ではない」 と、 「無限判断:A は B ではないものである」 の違いを説明してくださる方はいらっしゃらないでしょうか。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
自分もよく分からないのですがなぜ無限判断という名前がついてるのか教えて欲しいです。まあネットで調べれば出てきますよ。 あえて言いますと否定判断というのはただ否定しているだけ 無限判断はBではない何かという意味です。 つまりAというのが存在する事を意味ます。つまり「Aは何だろうが構わない」は否定判断になるらしく「Aは何かである」というのが無限判断らしいのですが否定判断であってもAは何かであるわけで同じじゃないかと思うのですが知ってる方教えてください。
その他の回答 (6)
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
カントが難解なのは翻訳の難しさというより カントが懐疑の試みを闇雲に残したせいです。 決して理解できなくても悔やむことはないそうです。 カント自身も 「私は哲学を教えることは出来るが、哲学することは教えられない」 といいました。 物事を固定すると主眼を見失って 「自ら試む哲学」が出来くなってしまうからなのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >決して理解できなくても悔やむことはないそうです。 :安心しました。 でも、結局、必死で悩みそうです。^^;
ついでにですが以前「主観的妥当性は何ですか」と補足されたのを答えていなかったのを思い出したので書きます。まず客観的妥当性は客観対象であるというのは以前答えました、主観的妥当性というのは自らの感覚や視覚の妥当を言います。たとえば自らが「おいしそう」と感じた場合は主観的妥当性。「りんごが二つ見える」主観的妥当性。「リンゴが二つある」客観的妥当性ということらしいです。詳しくはわかりません。
お礼
ありがとうございました。
すみません勝手に書いてしまいましたがやはりどういう違いがあるのかは分かりません。
お礼
率直なコメントありがとうございます。
あ!わかりました。たとえば「幽霊は人間ではない」これは否定判断しかし幽霊が居るかどうかは問わない ということかもしれませんつまり主語が存在するか否かの問題ということでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「幽霊は人間ではない」 :なるほど。 「幽霊は人間ではない存在である」 が無限判断、ということになるのかもしれませんね。 前者は、人間ではない、と否定しているだけ。 後者は、人間以外の何者かである無限の可能性を示唆している・・・ってとこでしょうかね。
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
否定判断は、予めAが何であるかを知っておく必要があって、 とにかく自分が規定して知っているAと、 対象物Aが同一であるのかどうかを比較検討している。 限定するには否定していくことになっていくんですね。 無限判断は、過去にAと断定していた自分(A)と 今の観測者である自分(B)が 時空間的には別個な存在なのに 果たして同一人物であるのかないのか? ではないでしょうか? カントもよくわかってないです。 当たり前を疑うのが哲学の出発だとしても、 そこまで疑えれるかっ!って感じです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ではないでしょうか? :私の能力では、ではないのか、ではあるのか・・・、判断が付きかねるご見解でした。 >カントもよくわかってないです。 :そうなんですか。^^ 喜ぶべきか悲しむべきか・・・。^^;
補足
「ではない」と 「ではないものである」に、将来的な変化の可能性の違いまで含まれている、ということなんでしょうか・・・。 いずれにせよ、否定判断は必ずしも絶対的な否定ではなく、無限判断は絶対的否定、ということでしょうか?
- ausfeper
- ベストアンサー率33% (46/138)
Aは今はBじゃないけど後でBになるかもしれない。 Aは永遠にBにはならない。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
「ではない」と 「ではないものである」に、将来的な変化の可能性の違いまで含まれている、ということなんでしょうか・・・。 いずれにせよ、否定判断は必ずしも絶対的な否定ではなく、無限判断は絶対的否定、ということでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 お陰さまで腑に落ちました。 否定判断は、あくまで否定自体が目的。 無限判断は、B を否定することによって、結果としてB 以外であれば A は無限に規定できる、という意味なんでしょうね。 一応、そういうことにしておきます。^^;