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凶悪犯に死刑が確定すると溜飲が下がりますが、死刑が執行されたとなるとな

凶悪犯に死刑が確定すると溜飲が下がりますが、死刑が執行されたとなるとなんだかかわいそうと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。この心理の変化を心理学的に説明してくれませんか?

みんなの回答

  • sdfwer23
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回答No.3

死ぬまでは罪びとだが、死んだら皆仏となる という死生観があるのではないかと

回答No.2

罪を憎んで人を憎まず。 人は赤の他人の刑罰に憎しみを重ね合わせ、いわれなき復讐心を燃やすのです。 昔は、下手人が広場で公開処刑されるのを見物するのが習慣だったと言います。 被害者でもないのに復讐心を持ってはいけません。 南無阿弥陀仏。

mikamikamirin
質問者

お礼

レスありがとうございます。 世間一般の人が凶悪犯を憎むというより、許せないと思い、極刑を是認するのは、社会秩序を破壊したという理由からだと思うのです。 だからといって、公開死刑やリンチ、あだ討ちを望んでいません。 死刑が決まるとそこで終結した感じがあるのです。その後忘れた頃に刑の執行があります。 死刑がすぐに執行されれば、なんだかかわいそうと思うことはないのかと思ってしまいます。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>凶悪犯に死刑が確定すると溜飲が下がりますが、死刑が執行されたとなるとなんだかかわいそうと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。この心理の変化を心理学的に説明してくれませんか?          ↓ 心理学?というよりも庶民感情&心理について考えてみました。(死刑廃止論云々は別として) ◇罪を憎んで人を憎まず 罪状の凶悪さから厳罰に処されるのは当然という理性と、犯人の生い立ちや改悛の情、謝罪を知ると、刑の執行を分水嶺にして同情の気持ちも湧き上がる。 ◇死生観・宗教観 死して後は、全ての人が救われる。 死を以って贖罪され、神仏に成る。 私たち日本人の多くは、そのような教えや考え方が深層心理やDNAに刷り込まれているので、死刑を執行された人の罪業を許し浄土に旅立つたと思う心があるのでは・・・。 ◇因果応報や輪廻転生 この世で犯した罪業は自らの死で贖った。その一身を死して後まで、死者の復活を恐れたり、生前の仕打ちへの復讐や冒涜するような魂魄への恐怖心や徹底した警戒心や慣習を執念深く持っていない国民性である。 ◇人の噂も75日、水に流す 国民性、気質、人生観等に現れる、自然や寿命等へのありのままに受け入れる、自然や運命への諦観・受容。 恨みは身を滅ぼす・・・という心理が心底にあり、さらに死を以って償った&神仏に化身したと言う受け止め方から罪業を水に流し成仏を受け入れる寛容の心を美徳とする価値観や文学芸能の世界があり、私たちも自然に影響された価値観を持っているのではと思います。

mikamikamirin
質問者

お礼

レスありがとうございます。  >刑の執行を分水嶺にして同情の気持ちが沸き起こる この文章にはっとしました。そうです。やはり死んではかわいそうと思うのです。 まだ事件の記憶がなまなましいうちは、死刑で当然だと思うのですが、事件の記憶が薄れると殺さなくてもいい のではと矛盾した気持ちになるのは、なぜだろうと思っていたのです。 ことわざを例に挙げてわかりやすく説明してくださり、ありがとうございました。

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