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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:今現在、とある授業で多木浩二著『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精)
アウラの喪失と芸術自体の自立的な形式の探求について
このQ&Aのポイント
- ベンヤミンはアウラの喪失を複製技術によって生じた伝統的な社会の危機だと考えている。一方、アドルノはアウラの喪失の理由を芸術自体の自立的な形式が探求されることによるものだと主張している。
- 「芸術自体の自立的な形式が探求されること」とは、芸術が自らのルールや形式を追求し、伝統的な制約から解放されようとすることを意味する。
- 「音楽の形式における脱魔術化」とは、音楽が魔術的な力や超自然的な要素から解放され、純粋な音楽として追求されることを指す。
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質問者が選んだベストアンサー
せっかく授業で読んでいるなら、そういうところを先生や皆と実際に話し合っていけばよいのにと思います。 ゼードルマイヤーの「中心の喪失」を足がかりにベンヤミンやアドルノのモダニズム論に入っていくのが穏当なのではないでしょうか。また、アドルノの「プリズメン」や「美の理論」など手に入りやすいもののなかに音楽はたくさん論じられています。 絵画がかつて、歴史画や神話の場面の大画面であったことは、それらの歴史性や物語性や神話性によりかかり、形式によりかかって成り立っていたと考えることが出来ます。音楽もたくさんの舞踊やソナタなどの伝統的な形式にもとづいて作曲されてきています。 近代にはそういうものは取り払われて、絵画が描くことと見ることの間でなりたち、音楽がそれ自体の時間を構成することで成り立つようになります。 また、脱魔術化というのは記憶にあるタームですが、詳しいところをよくおぼえていません。後期ベートーベン、ワグナー、ベルクを論じてそのように形容していたように記憶していますが、平たく言うと、音楽が音楽自らを裏切り浸食していきながら仮象をどうにかするというイメージであったと思います。 以上ご参考に、ご自分で著書にあたって理解を深めてみてください。
お礼
ありがとうございます。 来月までと時間は十分にあるので、調べてみます!