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未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや
未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや というのはどのような場面で使う言葉なのでしょうか?
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子供に「パパ、人間って死んだらどうなっちゃうの?」と聞かれたとた時、話しをそらすために使う。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/kanmei.html で卷第六 【先進第十一】に行き、11-12 に辿ります。 【季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死、】というのが出てきます。 季路とは子路のことです。孔子の愛弟子。典型的な武士。武術に長け、剛直で素直なお方です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E8%B7%AF (読み方) 季路が『鬼神に事(つか)えん事を問う。』 孔子が『未だ人に事うること能わず、焉(いずく)んぞ能く鬼(き)に事えん。』と曰わく。 更に死についての質問に対して『未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。』と曰わく。 (邑瀬 伶さんのご解説) 季路が神霊に仕えることをお訊ねした。先生は言われた、「人に仕えることもできないのに、どうして神霊に仕えられよう。」「恐れ入りますが死のことをお訊ねします。」というと、「生も分からないのに、どうして死が分かろう。」 (60年も前、下村湖人のご著書などからの知識ですが) 1)白川静さんのご著書では、【孔子の出自は不明である。しかし当時の発掘や事情を勘案すると、どうもお父さんは、先陣をきっていく上級ではない武士の方らしい。母上は巫覡の女性巫女で、婚外子であるとも推測でき、葬儀や埋葬などの全国的な横断的職業集団の方らしい。 だから、(諸国遍歴も便利だったが)当然、鬼神や神霊にも、そしてその儀式にも通じていたようである】 2)下村湖人のご著書の読書と解釈、【当時も、何かと神霊信仰が上から下まで頼られたようであるが、孔子は出自にも関らず、そういう傾向に肯定的ではなかった。むしろ目前の人間を第一の要件とされていた。 人とのきちんとした在り方ができないのに、何を不可視の神霊にお付き合いするか。人のことは人の中で解決・処理していくものが殆どである。というお考えですね。 そして人生や人間のことも分らないで、どうしてこの後の死のことなどを言っていられるか。人生や人間のことを考え、修行していくと自然に死のことも見えてくるものだ。という意味として、湖人は解説されていたと存じます。生きる、ということが、死んでいくという事である。という事のようです。 同じ湖人の(旧鍋島藩ですしね)武士道のことでも、見事に生きて見事に死ぬ。とか日々に死んで日々に生きるというお話もしております。これが死と生に対する仕方だというのですね。 迷信の神霊や死のことに関る必要はない、というお話でした。 臨済宗禅のでも心頭滅却、火も涼しいといいますが、進歩して滅却すると、実際に肉体に意識はなく、完全に冷たくなります。 私はインド哲学でのやり方になっていますが、そこでも同じことが言われます。死は大事だと。これは生を処理することで可能になります。
孔子の弟子が「人は死んだらどうなるのか、死者に知覚はあるのか⇒要するに『霊魂不滅の有無』」について、孔子に問うたところ、ご質問の「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」が答として孔子の口からでたわけです。 「季路問事鬼神子曰未能事人焉能事鬼曰敢問死曰未知生焉知死」論語 弟子は純粋に「霊魂」のことを聞いているわけです。 >というのはどのような場面で使う言葉なのでしょうか? 今の世で、子供や他人から「人が死んだらどうなるのか」と問われた場合に、孔子様は「『未だ生を知らず・・・。』」とおっしゃっている、」・・・と答えます。 「人は死んだらどうなるのか」は、アホな質問ではありません。
- BuriBuri4
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ANo.1の人の回答通り「ショウも無い事を聞くなアホ」って場面で使うんだと思いますが。 生きてる意味(生きる事の目的、生きるってどういう事)とかそういう事すら分からないのに、その後の死について考える事に意味あんの?そんな事考えてどーすんの?バカなの?氏ぬの? って事でしょ。
- cyototu
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樊遅問知。子曰、「務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣」 樊遅(はちん)知を問ふ。 子曰く、「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく。知と謂ふ可し」 『論語』雍也より。 この文章が元で、「敬遠する」という言葉がうまれました。知恵あるものは、宗教を敬うが、宗教には近づかない。いわんや、死について語らないと言うことです。
「ショウも無い事を聞くなアホ」と孔子は思ったと思います。
お礼
孔子はアホでも正直な人を好んだらしいです。 あなたのような人をアホ呼ばわりする人よりね
お礼
なるほど、とても分かりやすく教えてくれてありがとうございました