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死とは

この世に生を受けて死を迎える。 何のために生まれて何のために死を迎えるんでしょうか。 いい年をして未だに理解できません。 楽しい人生を送っている人はその答えをだせるかもしれませんけど・・・・・ 所詮死に向かってるのに生を与えられるのがよくわからない。

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回答No.4

何のために生きてるか、なんて ほとんどの人がわからないだろうし、 わかっていたとしても 人それぞれ答えは違うでしょうね。 大切な人(恋人、両親、子供)の為に生きる人、何らかの信仰の為に生きる人、色々でしょうね。世界的にみて無宗教者の多い日本ではほとんどないでしょうけど。 何も無ければ、自分の為に生きるしかない。 でも、ふと虚しい瞬間て、ありますね。 いつだったかTVで三島由紀夫が「人は自分の為に生きれる程、強くはない」と言っていました。守るべき第三者や何かが出来た時、強く生きれるのかもしれません。 ちなみに私はといえば、 今のところ、そこまで大切に思う人もいませんし、何かを信じてもいません。 要するに寂しい…(´Д` )のか?! 少し話が飛びますが、 思春期まっさかりの中学時代、 「この世は本当にあるのか」 「私は本当に存在しているのか」 「時間って本当に流れているの」 と、一人になると延々と考えていました。 アタマおかしいですね;^_^A で、哲学本読んだりして気が紛れた事もありますが、やっぱり本当の答えだと思えなかったし、わからなかった。 どうやったってわからないはずです。 ただの妄想。 でも、そういう事の、自分なりの答えを出すことが、もしかしたら私の「生きる意味」となりうるんじゃないかと さ思いました。 恥ずかしながら、私は物書き(小説とか脚本とか)を夢みてまして、それらでその答えを表現できたらなと。 くだらない話しちゃいました;^_^A おかしな事ですが、 「何で生きてんだろ」 という話を誰かとしている時ほど、 生きていることを実感する時はありません。 きっと自分と同じように、「何で生きてんだろ」と思い悩む質問者さんが確かに居て、私も確かに存在している。それを実感するからだと思います。 全く質問の答えになっていませんし、 意味不明ですみません。 まあお互いこの先、 確かな「生きる意味」を見つけるかもしれませんし、その答えを追い求めていきませんか。きっとそれでいいのだと思います。 長文失礼しました!

その他の回答 (6)

  • demerger
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回答No.7

地球の営みとして生命体は生まれる。カビでも細菌でもウィルスでも。 ついでに、人間も。 生まれてしまう生命体に 逆に、もしも死が無かったら 未来永劫続き続ける時間の数々を どのように使えばいいのだろうか、と思う。 楽しいことは、限りある時間の中でこそ、凝縮されて堪能する。 苦しいことは、限りがあるからこそ、堪えられる。 咲く梅も桜も たぶん 何のために咲くのかは考えていないが 毎年季節を教えてくれる。 咲く花を見て癒される人が居る。 そこに居ることで誰かの役に立っている人が居る それらは、しかし、諸行無常 未来永劫は続かない だからこそ、生きる意味があるようにも感じる。 自分としては、そんなかんじでしょうか。 近所の梅が咲いています。

noname#197439
noname#197439
回答No.6

子孫を残すために生まれてるだけじゃないでしょうか。 けど死がなかったら人が溢れて暮せなくなるから死はやって来るんじゃないでしょうか。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

何の為に、なんてことはありません。 ただ産まれ、ただ生き、ただ死んでいくだけです。 何の為に、なんてのは人間を特別な存在だとする 思い上がりに過ぎません。 こういう思想は、キリスト教に由来するものである ことは知っておくべきでしょう。 キリスト教では、人間は神に似せられて創られた特別な 存在であり、他の動植物は総て人間の為に存在する ということになっています。 こういう特別な存在としての人間を、神はどうした創った のだろうか。 何か意味があるに違いない、という思想です。 つまり思想に過ぎません。 事実とは別問題なのです。 だからニーチェも、人間は意味なく生まれ、意味無く生き 意味無く死んでいくだけだ、と喝破した訳です。 繰り返します。 タダの思想です。 だから、どう考えようと、それは自分の勝手という 訳です。 意味が無いから、動物と同じでいいや、と考えるのも 意味が無いなら、自らその意味を創って生きて行けば いいではないか、と考えるのも自由です。

  • iseab
  • ベストアンサー率22% (42/187)
回答No.3

一つ目は 子孫繁栄の為・・俗に「あの世」と呼ばれる処では物体では無い為 子孫を作る事が出来ない そして二つ目・・これが重要だが 本来 人間の姿は心を成長させる為の器の様なもの 授受作用に寄る人と人との繋がりで 心は成長し 物質は元の土に還るが心は あの世「無形実体世界」に移動します まるで 蝶が 蛹から脱皮し 羽が生えた成虫になるかの如く 体から 心だけが 次の世界に飛び立ちます

noname#203300
noname#203300
回答No.2

 『浜までは 海女も蓑着る 時雨かな』という句があります。人間って死が不可避だと分かっていてもそれを迎えるまでは全力を尽くすべきだということでしょう。  さらに、『死とは肉体という監獄からの解放である』といった言葉もあります。死は決して怖れるものではないと私は思っています。適当な時期に死を迎えられるのが一番の“勝ち組”なんでしょう。自然が与えてくれた『肉体という監獄からの解放』を安堵とともに受け入れられるような人生が最高の人生だと思っています。

回答No.1

この世は単なる修行の場。 カルマを解消する場所。 何のためにもクソも無い。 輪廻転生。 前世(まで)に積み重ねたカルマが絡み合い、今世がある。 今世の“生き方”や解消したカルマ、積み上げた得があれば、次回はより高いレベルの修行が出来る。 逆に、カルマを解消出来ず、負のカルマを積み重ねると、今よりも耐え難い人生になる。 幸せを求めたり上を見るから訳解らない悩みを抱える。 人生は単なる修行の場です。

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