• ベストアンサー

生とは? 死とは?

生とは? 死とは? 今年、長年を共にした家内が突然亡くなりました。 唐突だとは思いますが 皆様は「生と死とは何だと思いますか」 生きているかぎり、人は必ず死を迎えます。 では、なぜ人は生きるのでしょうか 生きることに意味はあるのでしょうか 答えなどないのは十分にわかっております。ですが、皆様はどう思って何を思っ て生きておられるのかお聞きしたいと思っております。 どうか、皆様のご意見をお聞かせ下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.12

まずはお悔やみ申し上げます。 お辛いですね…。 私にとっての「生」とは、大事な家族を幸せにすることです。 昔、大事な家族を亡くした経験があり、そのときの記憶は まだ喪失したままです。 そのときに、そう決めたのです。 そう決めないと、きっと今までやってこられなかったというのも ひとつでしょうね。 不適切な回答でしたら申し訳ありません。 ですが、質問者様にとっての何かがこのサイトや他の方法で 見つかることを願っています。

kuro00kuro
質問者

お礼

多くの皆様の回答が頂けて大変嬉しく思います。 ANo.12.10.7の方もそうかとは思いますが、私は未だに死を受け入れられません。 ですが、前向きに少しずつ受け入れて行こうかと思います。 皆様の回答を読んでいるうちに心が楽になったような気が致します。 特にANo.12様の「私にとっての「生」とは、大事な家族を幸せにすることです。」に深く感動致しました。私も同じ考えです。残った家族と一緒にこれからの日々を大事に過ごしたいと思います。最後に、回答して下さった皆様お忙しい中誠にありがとうございました。

その他の回答 (11)

  • mujou
  • ベストアンサー率4% (4/83)
回答No.11

生きる意味 すなわち充足感です 奥様と共に歩めた充足した年月こそ意味のある事ではないのでしょうか? 死は必然です 意味は無く あるのは恐れのみ 無一物になれば 恐れは消滅します

noname#110920
noname#110920
回答No.10

私の伯母の御嬢さん。 私も出席した、披露宴から数年後、彼女はお子さんを授かりました。出産当日、彼女の体が、癌に蝕まれていると発覚し、もう手遅れだと、医師に告げられました。 それからひとつきし、彼女は帰らぬ人となりました。 葬儀の際、亡骸になされた化粧を見た時、私には死が強く感じられていました。生前と変わらぬ顔をしているのに、表情も声も仕草もまったく感じられない。 今まで無意識に感じていた生命の躍動が、なにひとつ感じられない。 それだけが、ただひたすらに身に心に響く。いつまで続いていたか、自分でもはっきりとは覚えていません。 あなたに今、訪れた喪失感こそが、奥様の生きた意味の深さを、何よりも雄弁に物語っているのでは、ないでしょうか。 また、何か回答する機会がありますことを、心よりお待ちいたしております。

noname#143038
noname#143038
回答No.9

「人間は輪廻を繰り返して修行する目的のため現生に生まれてきたと強く信じること」 自分の一番基本となる考え方です。 生きる意味とは生まれてきたときよりも少しでも立派な人間になって生を全うすることだと自分は思うのです。 しかし諸説はありますが、あの世が存在するのは実際は分かりません。 ですがこの事を強く信じることによって確実に前向きに生きられるのです。 どんな試練があっても受け止められるのです。 生きる意味がないのでは悲しすぎます。ですから自分は強く信じるのです・・・

  • f5system
  • ベストアンサー率8% (79/896)
回答No.8

普通は生きることに疑問を持たず、 寿命を全うしますが、 ある時、死に疑問を感じたとき、 生きることの意味を考えます。 答えは何通りもありますが、 正しいものが一つ存在します。 それは、死んだ人のために生きる ということなのですね。 死んだ人はあなたを守護して、 あなたと共に生き続けるわけです。 毎朝、妻を思い浮かべて、手を合わせ 語りかければ、必ず意味が解るように なるでしょう。

  • mrps
  • ベストアンサー率20% (14/70)
回答No.7

私も9月に、大事な人を亡くしました。 血縁でも家族でもなかったのですが、 故人(女性享年25)は、子供の頃に家族の争いや、父親を亡くしたりして 心の病を患っておりました。また心臓なども弱かったです。  故人は、通常入院が妥当な状況でしたが、  どう生きるかに拘っており、拒否し通院で病気と闘っておりました。  私はこの故人を通じて、何故死なせてくれないの?何故生きるの? と毎日問われておりました。  生きるのが辛かったのです。  私も、今質問者様の気持ちが理解できます。  それは辛いというか、なんとも表現し辛い虚無な感覚です。  こういうときに生死を意識するというか、悩みます。  私は、この質問メールリスト(?)とかネットの投稿自体、故人の死後 何かに縋る一環でやっています。 それまではやってませんでした。  仕事もうまくできてません。 不況も相まってますが。。  それと私の場合、音楽創作が主な趣味ですので、 故人が生前望んでいた曲を仕上げたり、故人を想って曲を創ったりしてます。  それと月命日に墓参りをしますが、ゆかりのところには足を運んでます。  無理に、前向きに新しく人生を、、、、とか意識しない事にしています。  質問者様も、変に前向きにとか思わないで、自分の気持ちに自然に することが、いい供養とおもいませんか?

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.6

まずはお悔やみ申し上げます。 甚だ感覚的な愚見ですが・・・。 人間に限らず動物は、本能的に得体が知れないものに対して、不安や恐怖を感じますよね。 その不安や恐怖に打ち克つため、例えば犬は、知らない人に対して唸り声を上げ、精一杯、必死に立ち向かうのだと思います。 私は、この「立ち向かう本能」こそが「生きること」の正体では無いかと思っています。 万物の霊長である人間にとって、最後に残る最大の得体が知れないものが「死」であり、「死に立ち向かうこと」こそが、「生きること」では無いでしょうか? 「死」を完全に究明してしまえば、人間は立ち向かうことを忘れ、生物として生きていけないのではないか?と思いますし、この永遠の命題を、連綿と子孫に託すことで、人間は生きられるのでは無いかと思います。 それ故、人間の「立ち向かう力」は、「死」の不安や恐怖から、自分を守るためでは無く、自分が愛する存在(伴侶や子孫)を守るために、最大に発揮されると思います。 大変悲しいことですが、質問者様の様に、もし愛する存在を失った場合、人間は、他の愛する存在を見つける能力だって有りますし、愛する存在が守りたかった存在を、代わりに守り続けると言う道を選択することも出来ます。 あるいは、乗り越えられない悲しみにも立ち向かうことこそが、人間の本能だと思います。 尚、生と死は表裏一体ですが、ニワトリと卵で言えば、死から生は生じませんので、生が主で死が従です。 従たる死のことを思い悩んで、主たる生を台無しにする様な人生は、それこそ人生最大の損失かと思います。 万物の霊長たる人間は、生の尊厳を高め、生を謳歌する責務も負っているのではないかとも思います。

  • my_eco
  • ベストアンサー率42% (50/117)
回答No.5

お役に立てるか分かりませんが・・・。 死は、いずれ訪れるものですから、考えても仕方がないと思いますので、それまで、どう生きるかが大切だと思います。 最後まで愛され続けた奥さんは幸せですね。そして、愛し続ける事が出来た事も、また幸せな事だと思います。 私流の考え方ですが、愛する事は、相手を幸せにする事だと思っています。奥様も質問者様に幸せになってもらいたいと願っていたのではないでしょうか。であるならば、奥様は、質問者様にどんなふうに生きて欲しいのでしょう。 自分が愛した人が願っていた事を実戦する。これだけで、十分だと思います。 もし、わたしなら、日々の出来を、心の中で妻に話しかける毎日だとおもいますし、胸を張って、妻に話せる日々を送りたいと思います。

  • rimurokku
  • ベストアンサー率36% (2407/6660)
回答No.4

ご愁傷様で、お悔やみ申し上げます。 死とは、この世の中から形が無くなることでしょう。 でも生きてこの世に残った者には、思い出という形で消えることなく残ります。 では死んだ人はどのようになるのでしょうか。 誰にも解らないことですが、たぶん喜びや悲しみなどの記憶も経験も、そして何も感じることも出来ない全くの無になるのでしょうね。 しかし、それではあまりにも悲しく生きてきた意味見いだせません。 勿論、生命的に子孫を残し繋いで行く現実を否定出来ませんが、それだけでは空しすぎます。 私的に信じているわけではありませんが、この世は修行の場と言う仏教で教え解いている事を考えずには居られません。 先立つ人はこの世での修行を終えて、新たなる世界に旅立ったと思うことが出来れば、修行をまだ終えることが出来ない私たちは気持ちよく送り出すことも出来るのではないでしょうか。 そして、いずれこの世に残された全ての人達も、修行を終えて旅立つことが出来るのだと。 今の悲しみも苦しみも、そして寂しさも旅立つまでの修行であると。 その苦しみや悲しみ、そして寂しさの中に僅かな安らぎや喜びを見いだせれば、この世の修行中のご褒美であり、先に旅立った人へのはなむけで有るかも知れません。 先に旅立った奥様のためにも、残された修行を積む中で安らぎを見つけて頑張ってください。

回答No.3

お悔やみ申し上げます 答えになっているかどうか分からないのですが 昔の言葉に 判れは出会いの始まり、出会いは別れの始まりと言う言葉が有ります これも一種の輪廻転生の一つですかね 又亡くなられた奥さんがいつまでも悲しんでいることを望むと思いますか? 忘れてはいけませんが、いつまでも引きずらない事も必要と思います これからの人生を楽しむようにして行ってください

  • banbi618
  • ベストアンサー率23% (11/46)
回答No.2

奥様を亡くされてとてもつらいですね。 だからこそ、生死について真剣に考えるのですね。 私が考える、生死・・・ 死という、大きな大きな目標に向かうために、今を生きるのだと思います。 もしかしたら、今日死ぬかもしれないから、死ぬ間際に「こんなはずじゃなかった」と後悔しないために、自分や家族の幸せとは何だろう、と模索しながら今を懸命に生きています。

関連するQ&A